Archive for 2月, 2012

トップページ»

『銀翹散について』

火曜日, 2月 28th, 2012

 

KW:臨床薬理・銀翹散・ぎんぎょうさん・風邪・かぜ・金銀花・連翹・薄荷・桔梗・甘草・荊芥・淡竹葉・淡豆鼓・牛蒡子・羚羊角

Q:銀翹散について

A:銀翹散(クラシエ製薬)は、次の処方により構成されている。
銀翹散エキス粉末…5,900mg(成人1日の服用量3包(1包2.3g)中含有量)
金銀花………4.26g
連翹…………4.26g
薄荷…………2.556g
桔梗…………2.556g
甘草…………2.556g
淡竹葉………1.704g
荊芥…………1.704g
淡豆鼓………2.136g
牛蒡子………2.136g
羚羊角………0.132g
全量…………24g

銀翹散エキス顆粒は漢方の古典と云われる中国の医書『温病条弁(うんびょうじょうべん)』に収載される銀翹散という漢方を基本として創られた処方である。
効能:かぜによる喉の痛み・口(のど)の渇き・せき・頭痛。
用法・用量:1日3回食前又は食間に水又は白湯で服用。
成人(15歳以上):1包/日。15歳未満7歳以上:1/2包/日。7歳未満5歳以上:1/4包/日。5歳未満:服用禁。
副作用:偽アルドステロン症(尿量減少、顔・手足の浮腫み、目蓋が重くなる、手の強張り、血圧上昇、頭痛等)。皮膚(発疹、発赤、痒み)。消化器(悪心、食欲不振、胃部不快感)。

連 翹:(forsythiae suspensa[局]):トリテルペノイドとしてはbetulinic acid、ursolic acid、oleanolic acid、リグナン及び配糖体phillygenin、phillyrin、arctigenin、arctiin、フラボノイドのrutin、quercitrin等が報告されている。その他、forsythoside A、forsythin、forsythigeninの含有が検討されている。連翹が熱性疾患や化膿性疾患に対して用いられることにより、抗菌作用、抗炎症作用が検討されている。連翹の適応症の一つに細菌感染症があると見なされることから抗菌作用の検討され、煎液には黄色ブドウ球菌、赤痢菌A群、溶血連鎖球菌、肺炎双球菌、チフス菌などに抗菌作用を示し、結核菌やインフルエンザ・ウイルスを抑制するの報告がある。その他、抗アレルギー作用、抗炎症作用が報告されている。

薄 荷:(mentha arvensis L.var.piperascens):精油を1%内外含有し、葉に1.5-4%、茎に0.1-0.3%含む。l-menthol 30-67%、methylacetate 5-31%、l-menthone 2-22%の他に、1,8-cineole、β-caryophynene、l-limonene、isomenthone、germacrene-D、piperitone、pulegone等のテルペノイドを含む。薄荷培養細胞由来の細胞外多糖中に含まれるペクチン成分に関する報告がある。薄荷油は中毒量以下で鎮痙的あるいは運動抑制的に作用する。薄荷油は蛙・兎で中枢麻痺作用を起こし、末梢血管拡張作用が報告されており、その他、利胆作用、鎮痛作用、抗炎症作用・抗アレルギー作用、抗菌作用、皮膚刺激作用が報告されている。薄荷油として健胃薬として配合剤の原料になり、鎮痛、鎮痒、収斂、・消炎薬としてパップ剤などの形で使用されている。

桔 梗:(platycodon grandiflorum A.De Candolle):根にトリテルペノイドサポニン(platycodin)、ステロール類を含有する。サポニンはplatycodigeninをアグリコンとするplatycodin A、C、D、D2 等とpolygalacic acidをアグリコンとするpolygalacin D、D2等に分類される。platycodogenin、3-O-β-glucosylplatycodigeninが分離されている。ステロール類はα-spinasterol、α-spinasteryl-β-D-glucoside、Δ7-stigmasterol等が知られている。効能として去痰・鎮咳作用、抗炎症作用、マクロファージ貪食能亢進作用、排膿作用・抗菌作用等が報告されており、漢方的には咳は二次的な物で喉痛と膿が主になっている。つまり桔梗の適応は鎮咳、排膿、去痰、喉痛が主である。

甘 草:(glycyrrhiaze radix):トリテルペノイド配糖体を6-14%含有し、その主成分glycyrrhizinは蔗糖の150倍の甘味がある。酸加水分解によりglycyrrhetinic acidと2分子のglucuronic acidを生ずる。蔗糖の300倍の甘味を持つapioglycyrrhizin、苦味を持つlicorice-saponin B等が単離されている。フラボノイドとしてはliquiritinとそのaglycone(非配糖体)のliquiritigenin、isoliquiritinとそのaglycone(非配糖体)のisoliquiritigenin、licoflavone、licoricone、licoricidin、クメスタン類のglycyrol、isoglycyrol、カルコン類のlicocharcone A、B、C、D等、他にクマリン及び桂皮酸誘導体、アミノ酸、糖類など多数の化合物が単離されている。効果として抗潰瘍作用、抗アレルギー作用、中枢抑制作用、副腎皮質ホルモン様作用、性ホルモン作用、解毒作用、肝障害改善作用、抗ウイルス作用、インターフェロン誘導作用など、免疫系改善作用、多くの生理活性が報告されている。漢方処方ではかぜ薬、解熱消炎鎮痛薬、鎮痛鎮痙薬、鎮咳去痰薬、健胃消化薬、止瀉整腸薬等に配合されている。

金銀花:(japanese honeysuckle:金銀花・忍冬・スイカズラ・吸い葛):精油に約30種類の成分を含有する。linalool、pinene、tetrahydrofuran、citronellol、α-terpineol、benzylethylalcohol、carvacrol、eugenol、benzylethylalcohol、l-hexene等、花蕾にはchlorogenic acid、isochlorogenic acid等、フラボン誘導体としてluteolin、lonicein、inositol等。その他グリコシド等を含んでいる。効果として抗病原微生物作用、抗炎症及び解熱作用、抗高脂血症作用、軽度の抗潰瘍作用、免疫に対する作用:白血球貪食機能促進・細胞性免疫の抑制作用、抗早期妊娠作用。一般に高熱を呈する感染症疾患に抗炎症、抗菌、解熱作用などの効能を有する。

淡豆鼓(学名:glycine max:タントウシ・香豆鼓・豆鼓):大豆の成熟種子を加工したもの。成分として蛋白質(19.5%)、脂肪(6.9%)、炭水化物(25%)、その他vitamin B1、vitamin B2、ニコチン酸、カルシウム塩、P、Fe、酵素、lecithin等。効能としてニコチン酸等による細胞の新陳代謝の促進、血管拡張作用等。焦燥感、不眠症に用いられる。

羚羊角:学名:antelope:レイヨウカク):成分として角質蛋白、その水解物として18種類のアミノ酸及びポリペプチド、コレステロール、リン脂質類、リン酸カルシウム、keratin、無機塩、vitamin A、微量元素等。薬効として鎮静・催眠作用、抗痙攣作用、解熱作用、高血圧作用、その他子宮平滑筋に対して興奮作用・腸平滑筋に対して抑制作用を示す。

荊 芥:(schizonepeta tenuifolia:ケイガイ):精油(約1.8%)を含み、主成分はd-menthoneの他、d-limonene、dl-menthone、α-pinene、camphene、β-pinene、3-octanone、p-cymene、3-octanol、β-elemene、β-hunulene、piperitone、piperitenone等。モノテルペンとしschizonepetoside ABCDE、schizonol、schizonodiol等。フラボノイドとしてhesperidin、apigenin-7-0-glucoside、licteolin-7-0-glucoside、diosmetin、hesperetin、luteolin等。薬効として抗病原微生物作用、鎮痛解熱作用、抗炎症作用、止血作用、抗酸化作用、抗癌作用(弱い)。効能はかぜ症候群、蕁麻疹、皮膚掻痒症等。

牛蒡子:(burdok:ゴボウシ):リグナン誘導体のアクチゲニン、アクチイン、マライレジノール、ラッパオールA、B、C、D、Eを含有する。薬効として子宮収縮、強直性痙攣誘発、心臓運動抑制、血管拡張、一過性血圧低下 (アークチイン) 。効能として解熱、解毒、去痰、消炎薬として、感冒、咳嗽、咽喉痛、麻疹等に応用。

淡竹葉:(tantikuy

「ミグルスタットについて」

火曜日, 2月 28th, 2012

 

KW:薬名検索・ミグルスタット・miglustat・ザベスカ・Zavesca・Niemann-Pick病C型・ニーマン・ピック病C型・Gaucher病?型・ゴーシェI型

Q:ミグルスタットについて

A:ミグルスタット(miglustat)は、軽症のゴーシェ病I型の治療に使われる経口、基質抑制療法治療薬。商品名はザベスカ(Zavesca)で[アクテリオンファーマシューティカルズジャパン株式会社]、国内未発売薬である。最近ニーマン・ピック病C型の治療にも有効という研究が発表され、欧州ではニーマン・ピック病C型の治療薬としても認可されている。
miglustat(1回100mg、1日3回 経口投与)は、グルコシルセラミド合成酵素阻害薬である。グルコセレブロシド(グルコセレブロシダーゼの基質)濃度を減少させる作用があるため、酵素補充が不可能な患者への代替療法になると報告されている。

miglustatは、Gaucher病の治療薬として使用されているが、ニーマン・ピック病C型にも有効として国内でも治験が開始された。

*効能・効果:小児例から成人例のNiemann-Pick病C型(ニーマン・ピック病C型)及び酵素補充療法が有効ではない又は継続できない成人のGaucher病?型(ゴーシェI型)。
用法・用量:Niemann-Pick病C型:1回200mg、1日3回経口投与(12歳以下の小児例へは体表面積で換算した量を投与)。Gaucher病?型:1回100mg、1日3回経口投与。

1.適応疾病の重篤性:Niemann-Pick病C型は進行性の神経症状を示し、乳児後期発症例は、発症からまもなく言葉がしゃべれなくなり2-3年で寝たきりとなる。発病から5-10年前後で死亡することが多い。若年発症では、知的退行と運動障害で発病し、5-6年で寝たきりになる。発病から10-20年前後で死亡することが多い。現在、乳児後期発症例は日本で約10名が生存し、若年型も日本で約10名が生存している。症状の進行を防ぐ有効な治療法はなく、嚥下障害や呼吸不全に対する経管栄養や胃ろう造設、気管切開と喉頭分離などの対症的な医療ケアが治療の中心となる。
Gaucher病?型は肝臓、脾臓、骨の進行性の症状を示すが、神経症状は示さない。II型とIII型は、それぞれ乳児期と小児期に進行性の神経症状で発症する。II型は急激に進行し、発病後数年で死亡する。III型は発病後5-10年で死亡する。日本では、I型が約50名、II型が10-20名、III型か20-30名存在する。酵素補充療法が承認されているが、中枢神経症状には、顕著な効果は得られていない。またGaucher病の神経症状にはmiglustatが有効であるとする報告はない。進行性の神経症状に対しては対症的なケアが治療の中心になる。

2.医療上の有用性:Niemann-Pick病C型は進行性の稀少神経難病で、これまで全く治療法がない中で、進行性の神経症状に対する初めての新しい治療薬として期待できる。
Gaucher病の中枢神経症状には効果があるという報告はなく、Gaucher 病I型で、酵素補充療法の継続が困難または酵素補充療法で効果が不十分な例に対する新しい治療薬として期待できる。

1)福島雅典・総監修:メルクマニュアル第18版日本語版;日経BP社,2007
2)「医療上の必要性に係る基準」への該当性に関する専門作業班(WG)の評価資料;厚生労働省,平成22年4月27日

 

         [011.1.MIG:2011.12.31.古泉秀夫]

「遺伝子多型について」

火曜日, 2月 28th, 2012

 

KW:語彙解釈・遺伝子多型・遺伝的多型・遺伝子配列・genetic polymorphism・DNA・突然変異・SNP・スニップ・単一塩基多型

Q:遺伝子多型について

A:遺伝子多型(遺伝子配列の相違):人間集団全体で見た時、遺伝子には色々な型が存在するが、遺伝的個人差のことを「遺伝子多型」という。その本質はDNAの違いである。DNAには四種類の塩基(A、G、T、C)があるが、それら一個ずつが塩基置換によって違っている場合、SNP(単一塩基多型;スニップ)と呼ぶ。

患者個人によって薬物の効果、副作用の易発現、血中濃度の変動等が見られるのは、多くは遺伝的に定められた医学的素因の個人差に起因する。薬物代謝酵素の遺伝子や薬物及び代謝産物の無毒化に係わる酵素の遺伝子の変異あるいは遺伝子多型を各人について調べ、薬物の有効性を高めたり副作用を減弱することが行われている(薬理遺伝学、Pharmacogenomics)。

遺伝的多型(genetic polymorphism):同じ種類の生物の個体間に遺伝的に決定される二つ以上の不連続な遺伝的変異が世代を超えて共存し続けている状態。最も頻度の高い対立遺伝子頻度(遺伝子型頻度)が0.99(0.95の値を用いる場合もある)未満の時、変異遺伝子の頻度が少なくとも1%(5%)以上の時、その遺伝子座は多型であると定義する。おのおのの遺伝子型の出現頻度は、単なる突然変異の出現によっては説明しきれないほど高い。理由として進化の過程で、ある環境では有利に働く遺伝子に不利になるような突然変異が生じたとき、この変異遺伝子は別の環境では有利に働くことがあり得る。これらの二つの環境がしばしば入れ替わるような状況では、遺伝的多型が見られる。遺伝的多型は、遺伝子型が固定される前の進化の過渡的状態か、又はその遺伝子の間に淘汰価(選択価)の差がなくて中立的なことを示している。ほぼ同義として、遺伝子多型という用語も用いられる。

その他、「同一生物種内又は集団内に遺伝子型の異なる個体が常にある比率で混在して維持される現象。集団の占める生態的環境の差によって生じる多型、超優性遺伝子座における平衡多型、環境の変化・逆転による移行性多型など、色々の原因によって生じる。」とする説明もされている。

また「多型(polymorphism)は、表現型多型と遺伝的多型とに分けられる。表現型多型とは二つ以上の異なる表現型が同じ種の集団の中に存在する状態を指す。遺伝的多型とは同じ生物種の集団のうちに遺伝子型の異なる個体が存在すること、又はその異なる遺伝子・DNA配列のことをいう。」とする説明も見られる。

1)野村隆英・他:シンプル薬理学改訂第4版;南江堂,2008
2)医学書院医学大辞典 第2版;医学書院,2003
3)最新医学大辞典 第3版;医歯薬出版株式会社,2005
4)南山堂医学大辞典19th.,2006
5)斉藤成也:DNAから見た日本人;ちくま新書,525,2009

 

   [615.8.GEN:2011.12.7.古泉秀夫]

『池上本門寺』

日曜日, 2月 5th, 2012

   鬼城竜生

2011年4月9日(木曜日)池上本門寺に桜の写真を取りに出かけた。本門寺には何回か花の写真を撮りに行って、五重塔と桜という組合せの写真は、ブログにも何枚か載せている。しか本門寺-01本門寺-05し今回の目的は、桜の花に埋もれる五重塔という構図で写真が撮れる場所を見つけたということである。本門寺の五重塔を俯瞰的な構図で写真を撮ることができる場所を見つけたと云うことで、前に一度紅葉の時期に撮りに来たが、その時は紅葉ではなく、ただ濃い緑の中に五重塔が沈んでいる写真になった。

その意味で今回は、桜の花の中に沈む五重塔と考えていたが、実際に現場に行ってみると、桜の木の位置がどうやら目論見と違ったようで、相変わらず前面は緑の濃さのみが目立っていた。ある意味で言えば、池上本門寺の裏側から狙うみたいな位置であるため、殆ど正面から見る位置に植えられている桜は、満足に見られないということの様である。正確に確認もせず、勝手にそう思い込んでいたと云うことで、馬鹿な話だが、本門寺の境内で、写真を撮っている時に、背後から声を掛けられ、驚いたが、何と大学の同級生であった。

それこそ妙なところであったということになるが、聞いてみると、特段近所に住んでいる訳ではなく、わざわざ桜の花を見に来たと云うことで、クラス全員約120名が全国に散っているということからいえば、偶然もいいところである。もそれだけ桜の名所として池上本門寺が有名だと云うことなのかもしれない。

池上本門寺は、日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安五年(1282)十月十三日に61歳で亡くなられた場所に建てられたものであるという。日本門寺-02蓮聖人は、弘安五年に九年間棲み本門寺-06なれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向う途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられたという。つまり池上本門寺は、池上宗仲が自分の領地を提供した土地に建てられたと云うことのようである。池上本門寺の山号は“長栄山”とされている。

所で池上本門寺について調べていたら当然日蓮宗に行き当たる。日蓮宗について紹介された文書を読んでいるうちに“不受不施派(ふじゅふせは)”なる言葉に行き会った。何だろうと思って検索したところ『日蓮の教義である法華経を信仰しない者から施し(布施)を受けたり、法施などをしないという不受不施義を守ろうとしてかつて存在した宗派の名称である。』という記載が見られた。嘗て存在したということは、今はいないと云うことなのだろうか?。不受不施派は時の権力には弾圧されたようである。つまり時の権力者であれ信者でなければ認めないということであり、為政者にとっては都合が悪い。勿論、“不受不施派”に対して“受布施派”という柔軟性のある対応を取った派もあり、“不受不施派”の寺院は閉鎖を命じられたものもあるようで、他の宗派に変更して寺院の存続を認められたものもあるようである。

元々日蓮は日蓮宗を広めるために、既存の宗派を強烈に批判したようであるから、頑固に教義を守ろうとする派があっても仕方がないが、「遅れてきた乗客」にしてみれば、目立たなければ生き残れないと云うことだったのかもしれない。

本日の総歩行数9,949歩で、1万歩にはならなかったが、境内を彷徨い、桜の花を撮り歩いた結果で、他に足を伸ばしていないので仕方がない。

 

(2011.9.23.)

「しだれ桜」

土曜日, 2月 4th, 2012

      鬼城竜生

東京でしだれ桜を撮ろうとすると些か苦労する。六義園のしだれ桜はよく知られており、時期になると夜間照明を当てて、暗闇に桜の姿を浮き出させる工夫がされている。逆に云えば、それだ東御苑-01東御苑-02け“しだれ桜”は珍しいということになるのだろう。更にその季節になると、無闇に人が集まり、六義園の入口に100人を超える人の行列が出来ていた。一度写真を撮りに行ったが、並んでいる人数にウンザリして、帰ってきてしまった。そこへ行くと京都の桜は、無闇にしだれ桜が多い。関西と関東という地域性の違いか、人間性の違いか解らないが、染井吉野は江戸彼岸系の桜が下敷きになって開発されたということであるから、関東に染井吉野が多いのは仕方がないことかもしれない。

しかし、無闇に人の多い六義園の桜を避けて、何とかしだれ桜の写真を撮ろうとしているが、その他の所のしだれ桜は、比較的若い木が多く、あまり納得する写真になっていない。仕方がないので桜の季節になると写真を撮りに出かけるが、行く時期が速かったり遅かったりで、染井吉野でさえ巧く撮れないと云うことが、ここ何年か続いている。

所で今年は東日本大震災の影響で、何処も夜間照明はしないと云うことだったが、千鳥ヶ淵に行くことにした。ここならばその前東御苑-03に皇居東御苑によることが出来るし、前に行った経験からも云っても間違いなく桜は咲いているということで、2011年4月2日(土曜日)にかみさんと二人で出かけることにした。

東御苑-06地下鉄の竹橋駅で降りて平川門から入り、梅林坂を抜けて天守台の横に抜ける。取り敢えず天守台に上り、何気なく辺りを見回していると、「あれ、今造っている塔じゃないの」とかみさんが云うので、「そんなこたぁないだろう」と云いながら指さす方を見ると、靄で霞んだような彼方に、墨田川河畔で造られている電波塔が微かに見えた。「こりゃ遠すぎてこの小さな写真機では写せないかな」とぼやきつつ、シャッターを切ったが、果たして巧く写ったかどうか。

江戸城の天守閣は、かの有名?な振り袖火事で類焼したという。不思議なのは、その後、天守閣を再建しようという話が出なかったという所である。最も今更威容を誇ることもなかったのかもしれないが、何よりも財政が逼迫し、それどころの話ではなかったというのが本当のところだったのかもしれない。しかしよく解らないのは、堀と石塀に妨げられている城の中の天守閣が燃えたということであるが、よほど乾燥がきつく、大きな火が飛び火してきたと言うことでもなければ、延焼するとは考えられない。まあ、消火の技術はたいしたものではなかった考えられるので、火が飛んできたらどうしようもなかったということなんだろう。次ぎに桜の島で桜をと思ったが、前回来た時のような華々しい桜は見られず、直ぐ後ろにある竹林に移動した。この竹林にある竹は、色々面白い竹が並ん東御苑-08でいる。竹林の前に説明用の掲示板が建てら東御苑-012れていたが、国内だけではなく、国外の珍しい竹も移植されているようである。今回は何枚か写真を撮り説明書の写真も写したが、晴れた日の早朝、明るい太陽光の下で、写せば、へぼな写真も見られるものになるかもしれない。
石室の前を過ぎて、野草の島、果樹古品種園、本丸休憩所等を渡り歩き、花の写真を撮り歩いた。尤もこの石室、見る人によって云っていることが違い、氷を入れていたとか、火事の時に隠れたとか云っているが、氷室とするには貧弱であり、これでは保存した氷は長持ちしないだろうと思えるほどの造りである。また、火事の時に逃げ込むというのも、石室の大きさを考えれば無理であり、下手をすれば蒸し焼きにされてしまう。如何せん江戸時代の人達といえど、火除けで造るならもっと火除けらしい石室にしたのではないか。本当は道具類を入れておく場所だったという説明がされている。

桃華楽堂の前で花の写真を撮り、北詰橋門から外に出てた。科学技術館のの前を通り、吉田茂の銅像を右手に、日本武道館の前に出た所で、武道館の2階に食堂があったので、そこで昼飯を食うことにしたが、あまり献立の種類は多くなかった。

田安門を抜け、九段坂から千鳥ヶ淵に出て、そこそこ桜の写真を撮り、靖国神社に向かった。その間、千代田のさくら写真撮影会の出店が出ていて桜の木でカバーしたUSBを一つ購入した。

靖国神社の境内に入り、啓照館の前を通り新池庭園に出たが、神社の案内によると『この庭園は明治の初めに作られたもので、平成十一年(1999)の復元工東御苑-011事により全国有数の名園であることがわかりました。回遊式のこの庭園は、深い山の中を思わせる滝石組みが一番の見所です。花崗岩の直橋は日本一の長さを誇ります。』となっている。この直橋を渡る時にやや覚悟が入ったが、それだけ年を取って、平衡感覚に衰えが出ていると云うことなのだろう。洗心亭、靖泉亭に囲まれた池は、花に囲まれて落ち着いた雰囲気があり、本日最高の写真が撮れた。

所で靖国神社は、明治二年(1869)六月二十九日、明治天皇によって建てられた東京招魂社が始まりで、明治十二年(1879)に「靖国神社」と改称されて今日に至っているとされる。靖国神社の本殿内は、写真撮影禁止で、遠くから社殿をを写すことは出来るが、それは前回来た時に写していたので、今回は新池庭園だけの写真ですますことにした。写真を撮り終えたので、帰るかということになったが、遊就館の玄関広間に売店もあるということだったので覗くことにした。色々面白い物を販売していたが、いい絵葉書がなかったので今回は何も買わずに帰ることにした。

本日の総歩行数は12,701歩ということで、辛うじて一万歩を超えることが出来た。

         (2011.9.19.)

「6年制が迎える崩壊の危機?」

金曜日, 2月 3rd, 2012

   魍魎亭主人

 

2011年12月13日に開催された文部科学省の『薬学系人材養成の在り方に関する検討会』(座長=永井良三・東京大学大学院医学系研究科教授)で、薬科大・薬学部が質の高い入学者を確保するための対応策について、ワーキンググループから報告を受けた。薬科大学については6年制学科の5年次進級率が低く、今後、薬学生の質低下が大きな問題になるとして対応策を検討していた。この日は定員充足率や進級率などが特に低い大学に対し改善を求めていくことや、今後の対応についてヒアリングを実施していく方向性が示されたが、結論には至らず、引き続き検討していくことになった。

文科省の調査では、6年制1期生が入学した2006年度の6年制学科入学者数は国公私立大合計で11,119人、5年次進級者は8,684人で、進級率は78.1%で8割を下回った。更に5年次に進級した学生のうち、実務実習を終了したのは8,581人で、入学者のうち実務実習まで終了できた学生は77.2%に留まっている。

ワーキンググループの井上圭三座長(帝京大薬学部長)は「学生の質の確保が出来ないと進級率がどんどん悪くなる。極めて深刻な問題」と指摘。各大学に自己点検・自己評価を求めて改善策のヒアリングを行うの提案を行っている。結論については1期生が受験する最初の国家試験の結果なども参考にすることで意見の一致を見たという[日刊薬業,2011.12.14.p.2]。

多分、国家試験の結果は、悲惨な状況になるのでは無いか。もし、それが避けられたとすれば、また手品が使われ、各大学が、国試の受験者を大幅に絞り込むという手を使った結果ということかもしれない。しかし、現実問題として、国家試験の後でも、各薬科大学は改善策を打ち出すことは出来ないのでは無いかと思われる。何故なら自ら大学の数が多すぎるから減らそう等という結論を導き出すことは出来ないと考えられるからである。

「進み続ける少子化」を鍵語としてこの問題を考えた場合、受験生の数の減少=学生確保のための無理な募集=経営安定化のための合格者決定という循環を繰り返す限り、学生の質を上げることは困難ではないのか。都内の薬科大学・薬学部でも共立薬科大学を呑み込んだ慶應義塾大学薬学部、医学部及び附属病院が併設されている昭和大学薬学部等、それなりの優位性のある大学は、一定の応募者を確保できているが、それ以外の多くの所では、応募者は減少傾向を見せており、特に地方の大学では、入学者の定数確保が難しかったという話も聞こえてくる。

少なくとも少子化という現実のなかで、更に6年制という長期間の学費負担に耐えられないと考えたとすれば、今後とも受験者数の増大は考えられない。更に6年制の学校を卒業し、卒業後の評価が見えてこない現状では、益々応募者は減少する。しかし今更4年制に戻ることは出来ない。

このような状況の中生き残りを図るとすれば、大学の統廃合しか道はないのではないかと思われるが、如何であろうか。

        (2012.1.7.)