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『池上本門寺』

日曜日, 2月 5th, 2012

   鬼城竜生

2011年4月9日(木曜日)池上本門寺に桜の写真を取りに出かけた。本門寺には何回か花の写真を撮りに行って、五重塔と桜という組合せの写真は、ブログにも何枚か載せている。しか本門寺-01本門寺-05し今回の目的は、桜の花に埋もれる五重塔という構図で写真が撮れる場所を見つけたということである。本門寺の五重塔を俯瞰的な構図で写真を撮ることができる場所を見つけたと云うことで、前に一度紅葉の時期に撮りに来たが、その時は紅葉ではなく、ただ濃い緑の中に五重塔が沈んでいる写真になった。

その意味で今回は、桜の花の中に沈む五重塔と考えていたが、実際に現場に行ってみると、桜の木の位置がどうやら目論見と違ったようで、相変わらず前面は緑の濃さのみが目立っていた。ある意味で言えば、池上本門寺の裏側から狙うみたいな位置であるため、殆ど正面から見る位置に植えられている桜は、満足に見られないということの様である。正確に確認もせず、勝手にそう思い込んでいたと云うことで、馬鹿な話だが、本門寺の境内で、写真を撮っている時に、背後から声を掛けられ、驚いたが、何と大学の同級生であった。

それこそ妙なところであったということになるが、聞いてみると、特段近所に住んでいる訳ではなく、わざわざ桜の花を見に来たと云うことで、クラス全員約120名が全国に散っているということからいえば、偶然もいいところである。もそれだけ桜の名所として池上本門寺が有名だと云うことなのかもしれない。

池上本門寺は、日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安五年(1282)十月十三日に61歳で亡くなられた場所に建てられたものであるという。日本門寺-02蓮聖人は、弘安五年に九年間棲み本門寺-06なれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向う途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられたという。つまり池上本門寺は、池上宗仲が自分の領地を提供した土地に建てられたと云うことのようである。池上本門寺の山号は“長栄山”とされている。

所で池上本門寺について調べていたら当然日蓮宗に行き当たる。日蓮宗について紹介された文書を読んでいるうちに“不受不施派(ふじゅふせは)”なる言葉に行き会った。何だろうと思って検索したところ『日蓮の教義である法華経を信仰しない者から施し(布施)を受けたり、法施などをしないという不受不施義を守ろうとしてかつて存在した宗派の名称である。』という記載が見られた。嘗て存在したということは、今はいないと云うことなのだろうか?。不受不施派は時の権力には弾圧されたようである。つまり時の権力者であれ信者でなければ認めないということであり、為政者にとっては都合が悪い。勿論、“不受不施派”に対して“受布施派”という柔軟性のある対応を取った派もあり、“不受不施派”の寺院は閉鎖を命じられたものもあるようで、他の宗派に変更して寺院の存続を認められたものもあるようである。

元々日蓮は日蓮宗を広めるために、既存の宗派を強烈に批判したようであるから、頑固に教義を守ろうとする派があっても仕方がないが、「遅れてきた乗客」にしてみれば、目立たなければ生き残れないと云うことだったのかもしれない。

本日の総歩行数9,949歩で、1万歩にはならなかったが、境内を彷徨い、桜の花を撮り歩いた結果で、他に足を伸ばしていないので仕方がない。

 

(2011.9.23.)