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「しだれ桜」

土曜日, 2月 4th, 2012

      鬼城竜生

東京でしだれ桜を撮ろうとすると些か苦労する。六義園のしだれ桜はよく知られており、時期になると夜間照明を当てて、暗闇に桜の姿を浮き出させる工夫がされている。逆に云えば、それだ東御苑-01東御苑-02け“しだれ桜”は珍しいということになるのだろう。更にその季節になると、無闇に人が集まり、六義園の入口に100人を超える人の行列が出来ていた。一度写真を撮りに行ったが、並んでいる人数にウンザリして、帰ってきてしまった。そこへ行くと京都の桜は、無闇にしだれ桜が多い。関西と関東という地域性の違いか、人間性の違いか解らないが、染井吉野は江戸彼岸系の桜が下敷きになって開発されたということであるから、関東に染井吉野が多いのは仕方がないことかもしれない。

しかし、無闇に人の多い六義園の桜を避けて、何とかしだれ桜の写真を撮ろうとしているが、その他の所のしだれ桜は、比較的若い木が多く、あまり納得する写真になっていない。仕方がないので桜の季節になると写真を撮りに出かけるが、行く時期が速かったり遅かったりで、染井吉野でさえ巧く撮れないと云うことが、ここ何年か続いている。

所で今年は東日本大震災の影響で、何処も夜間照明はしないと云うことだったが、千鳥ヶ淵に行くことにした。ここならばその前東御苑-03に皇居東御苑によることが出来るし、前に行った経験からも云っても間違いなく桜は咲いているということで、2011年4月2日(土曜日)にかみさんと二人で出かけることにした。

東御苑-06地下鉄の竹橋駅で降りて平川門から入り、梅林坂を抜けて天守台の横に抜ける。取り敢えず天守台に上り、何気なく辺りを見回していると、「あれ、今造っている塔じゃないの」とかみさんが云うので、「そんなこたぁないだろう」と云いながら指さす方を見ると、靄で霞んだような彼方に、墨田川河畔で造られている電波塔が微かに見えた。「こりゃ遠すぎてこの小さな写真機では写せないかな」とぼやきつつ、シャッターを切ったが、果たして巧く写ったかどうか。

江戸城の天守閣は、かの有名?な振り袖火事で類焼したという。不思議なのは、その後、天守閣を再建しようという話が出なかったという所である。最も今更威容を誇ることもなかったのかもしれないが、何よりも財政が逼迫し、それどころの話ではなかったというのが本当のところだったのかもしれない。しかしよく解らないのは、堀と石塀に妨げられている城の中の天守閣が燃えたということであるが、よほど乾燥がきつく、大きな火が飛び火してきたと言うことでもなければ、延焼するとは考えられない。まあ、消火の技術はたいしたものではなかった考えられるので、火が飛んできたらどうしようもなかったということなんだろう。次ぎに桜の島で桜をと思ったが、前回来た時のような華々しい桜は見られず、直ぐ後ろにある竹林に移動した。この竹林にある竹は、色々面白い竹が並ん東御苑-08でいる。竹林の前に説明用の掲示板が建てら東御苑-012れていたが、国内だけではなく、国外の珍しい竹も移植されているようである。今回は何枚か写真を撮り説明書の写真も写したが、晴れた日の早朝、明るい太陽光の下で、写せば、へぼな写真も見られるものになるかもしれない。
石室の前を過ぎて、野草の島、果樹古品種園、本丸休憩所等を渡り歩き、花の写真を撮り歩いた。尤もこの石室、見る人によって云っていることが違い、氷を入れていたとか、火事の時に隠れたとか云っているが、氷室とするには貧弱であり、これでは保存した氷は長持ちしないだろうと思えるほどの造りである。また、火事の時に逃げ込むというのも、石室の大きさを考えれば無理であり、下手をすれば蒸し焼きにされてしまう。如何せん江戸時代の人達といえど、火除けで造るならもっと火除けらしい石室にしたのではないか。本当は道具類を入れておく場所だったという説明がされている。

桃華楽堂の前で花の写真を撮り、北詰橋門から外に出てた。科学技術館のの前を通り、吉田茂の銅像を右手に、日本武道館の前に出た所で、武道館の2階に食堂があったので、そこで昼飯を食うことにしたが、あまり献立の種類は多くなかった。

田安門を抜け、九段坂から千鳥ヶ淵に出て、そこそこ桜の写真を撮り、靖国神社に向かった。その間、千代田のさくら写真撮影会の出店が出ていて桜の木でカバーしたUSBを一つ購入した。

靖国神社の境内に入り、啓照館の前を通り新池庭園に出たが、神社の案内によると『この庭園は明治の初めに作られたもので、平成十一年(1999)の復元工東御苑-011事により全国有数の名園であることがわかりました。回遊式のこの庭園は、深い山の中を思わせる滝石組みが一番の見所です。花崗岩の直橋は日本一の長さを誇ります。』となっている。この直橋を渡る時にやや覚悟が入ったが、それだけ年を取って、平衡感覚に衰えが出ていると云うことなのだろう。洗心亭、靖泉亭に囲まれた池は、花に囲まれて落ち着いた雰囲気があり、本日最高の写真が撮れた。

所で靖国神社は、明治二年(1869)六月二十九日、明治天皇によって建てられた東京招魂社が始まりで、明治十二年(1879)に「靖国神社」と改称されて今日に至っているとされる。靖国神社の本殿内は、写真撮影禁止で、遠くから社殿をを写すことは出来るが、それは前回来た時に写していたので、今回は新池庭園だけの写真ですますことにした。写真を撮り終えたので、帰るかということになったが、遊就館の玄関広間に売店もあるということだったので覗くことにした。色々面白い物を販売していたが、いい絵葉書がなかったので今回は何も買わずに帰ることにした。

本日の総歩行数は12,701歩ということで、辛うじて一万歩を超えることが出来た。

         (2011.9.19.)