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薬局苦情拾遺[1]

水曜日, 8月 22nd, 2007

医薬品情報21

古泉秀夫

 

(1)薬の入れ違い 

 

 日本薬剤師会に寄せられた「平成18年度 薬局・薬剤師に対する苦情・意見について」なる記事が目についた。平成18年4月14日から平成19年1月25日に寄せられた内容の極々一部である。 

H18.5.2.「薬を入れ間違えたのに対応が悪い」(患者・電話) 

 1日3回のビタミン剤と1日1回の降圧剤(ノルバスク)を、薬袋に入れ間違えられた。ノルバスクの服用が1日3回なので、飲む前におかしいと気付き、薬局に連絡したが、対応が悪かった。対応した薬剤師はずっと無言だった。 

[事務局対応]所属の県薬に連絡。

 

薬袋に医師の指示した用法・用量を記載し、正確に薬を入れて患者に渡すまでが調剤で、上記の例は、正真正銘、明らかに調剤過誤である。服まないうちに患者が気付き、連絡をくれたということは、逆にいえば、事故を未然に防ぐことが出来たということで、感謝すべき事態で、薬剤師としては喜ばなければならない。このような事態に至れば、誠心誠意お詫びを申し上げるしか方法はない。にも関わらず何故この薬剤師は無言で対応したのであろうか。全く理解できない。沈黙していれば患者の苦情は通り過ぎてしまうと考えていたとすれば大間違いである。患者に実害があった場合、沈黙していたとしても何の解決にもならない。 

更に不思議なのは、この苦情を受けた日薬の対応である。『所属の県薬に連絡』としているが、連絡しただけでは何の解決策も示されなかったのではないか。危機管理のための研修会等に、強制的に出席させ、具体的な対処の仕方を勉強してもらうぐらいのことはやってもらわなければ困るということである。

 

H18.5.9.「薬の在庫がないとの理由で処方箋を拒否された」(患者・電話) 

 普段行く薬局でない薬局に処方箋を持って行った。

 小児用の薬で「在庫がない」とのことだったので、「取り寄せてもらえますか?」と尋ねたら、「そのような対応はしていない」と、処方せん調剤を拒否された。 

[事務局対応]所属の県薬に連絡[薬事新報,No.2468:385(2007)]

 

薬剤師法第21条に『調剤に従事する薬剤師は、調剤の求めがあった場合には、正当な理由がなければ、これを拒んではならない。』とするのが、いわゆる薬剤師の『調剤の求めに応ずる義務』を規定した条文である。 

ここでいう『正当な理由』として、 

1]旅行や近親者の不幸で不在中のとき

2]調剤をすることが出来ないと認められる程度の病気に罹患しているとき

3]院内処方せんを調剤薬局で受け取った場合

4]天変地異により薬剤師が薬局において調剤できない場合 

等ということが上げられている。従って、『処方薬の在庫がない』等というのは正当な理由に含まれていない。つまり、『在庫がない』という口実で、調剤を拒否した薬剤師は、薬剤師法第21条に違反したことになる。罰則規定がないとはいえ、薬剤師が自ら薬剤師法を無視するということは、薬剤師存在の根源をないがしろにする問題だといえる。 

近隣の調剤薬局に確認し、薬剤の借り入れの努力をする。病院から出された処方せんなら、当該病院からの借用を相談する。それが無理なら取引のある卸に依頼し、緊急で薬を入手する。これらのうちいずれかの方法を採れば、薬を手に入れることは出来るはずである。最も1回の調剤で40-50錠しか使用しないのに、500錠包装しか販売されていないとすれば、結局は死蔵品が増える。その後、何時処方されるか分からないから購入はしたくないという発想になるのであろうが、それは理由にならない。 

薬を探している間、当然、調剤することは出来ないが、一定の時間の予測が付けられた段階で、調剤可能時間を割り出し、患者にその点を説明して待ってもらい、後刻届けるということでも済むはずである。 

医療に携わっているという認識が欠けたとき、調剤薬局の薬剤師はただの商売人に成り下がってしまう。調剤過誤に対して何の対応も示さず貝になってしまう薬剤師も、法律に違反して尚反省のない薬剤師も、人の命にかかわる仕事をしているという認識か欠如しているとしかいいようがない。薬剤師教育が臨床を重視するため6年制になった現在、自覚のない薬剤師は前線から撤退せざるを得なくなるのではないか。 

等と、書いているうちに読売新聞[わたしの医見-後発品扱う薬局教えて;第47104号,2007.4.27.]なる投書が掲載された。 

 『うつ病のため、精神科に通っています。今月21日の朝刊一面で、新薬と有効成分が同じだが値段が安い後発医薬品の普及が進んでいないという記事が掲載されていました。

 記事でも触れていますが、昨年度から処方せんに「後発品への変更可』との欄が追加され、普及が後押しされています。私も、抗うつ薬について「変更可」とされ、医師の署名ももらいました。それを持って2か所の薬局に行きましたが、「薬の在庫がない」といわれましたので、結局、値段の高い先発薬にしました。確かに、全ての薬を薬局が置いておくのは無理かもしれません。その時は、どこで買えるかを病院が教えて欲しいと思います』 

少なくとも薬を揃えるのは薬剤師の役割であり、患者が薬を手に入れるために薬局を回遊するなどということがあってはならない。ただ、処方薬は買えるとか買えないとかの問題とは別なところにあり、健康保険で給付されるものの一つである。更によく分からないのは『後発品への変更可』というのは、商品名で指定するのではなく、一般名で指定して、一般名が同一(成分が同一)であるなら薬局が所持しているどの銘柄の薬を選択してもよいということであり、広範な選択肢を持っているはずである。それが2軒の薬局で持っていないとすると、よほど後発品の少ない医薬品なのかあるいは後発品のない医薬品なのではないかと疑いたくなる。更に病院で取り扱い薬局を教えろという話もあるが、病院と同一資本の薬局(第二薬局)開設の弊害を排除するため、病院が特定の薬局に誘導することは禁止されている。その点は御理解いただきたいのである。

 

(2)自費処方せん 

 

 H18.4.20.「自費の処方せんを調剤してもらえなかった」(患者の家族・電話) 

 娘が薬局に自費扱いの処方せん(睡眠薬)を持って行ったところ、怪しまれ、調剤してもらえなかった(今回はたまたま普段とは別の薬局に持って行った。処方せんは自費扱いであるため、オリジナルの様式を使用していた。)。

 患者(娘)があきらめて帰ろうとしたところ、出入り口まで追いかけてきて、「処方せんのコピーを取らせてほしい」と求められた(コピーには応じた。また、薬局は疑義照会は行っていない。)。

 後日、私(母親)が当該薬局に電話し、「処方せんのコピーを返してほしい」と申し入れたところ、それには応じてくれたが、その際「あの処方せんじゃ普通は怪しいと思われても仕方ないです。調剤年月日の記載欄もないし」と言われた。

 単なる苦情というだけでなく、「今後の参考にしてくれれば」という気持ちから電話しました。 

[事務局対応]御意見を伺うのみ。[薬事新報,No.2466:331(2007)]。

 

睡眠薬や精神安定剤は、闇の世界で高く売れる。しかし、これらは何れも医師の処方せんが無いと手に入らないので、処方せんの改竄や偽造が行われる。まあ、背景としてはこういうことがあるため、前出のような話になるのであろうが、残念ながら基本的な対応の仕方は間違っているといわなければならない。 

薬剤師法-(処方せん中の疑義) 

第24条として『薬剤師は、処方せん中に疑わしい点があるときは、その処方せんを交付した医師、歯科医師又は獣医師に問い合わせて、その疑わしい点を確かめた後でなければ、これによって調剤してはならない』 

つまり処方せんを受け取った薬剤師が、その『処方せんの記載事項に疑わしいと思われる点がある場合、処方医に確認した後でなければ調剤してはならない』となっているわけで、持参した患者がどうであれ、今回の事例では、先ず処方医に処方せんの不備等について確認し、その上でどうするかを決定するのが、本来の対応の仕方である。第一、患者は自分がもらった処方せんにどの様な不備があるのか分からない。患者に責任のない部分で、患者の責任を追及するような対応の仕方は間違いである。 

またこの条文には、罰則規定=法三二4が存在する。 

第32条 次の各号のいずれかに該当する者は、50万円以下の罰金に処する。

『4 第24条又は26条から第28条までの規定に違反した者』 

なお、『処方せん』が具備すべき事項については、医師法施行規則に『処方せんの記載事項』として、規定されている。 

第21条『医師は、患者に交付する処方せんに、患者の氏名、年齢、薬名、分量、用法、用量、発行の年月日、使用期間及び病院若しくは診療所の名称及び所在地又は医師の住所を記載し、記名押印又は署名しなければならない』。更にこれ以外に健康保険法に基づく決まりがあり、健康保険の範疇で処方せんを書く場合には、上乗せ分の具備すべき事項の記載が求められる。 

つまり処方せんの具備すべき事項は、法律で定められており、これは医師の守備範囲である。従って処方せんに不備がある場合、受け付けた薬剤師は直接医師に処方せんの不備を指摘すべきであり、患者にものをいうのは筋違いである。 

ところで[事務局対応]であるが、御意見を伺うのみとは何か。明らかに薬剤師法に違反している行為を行った薬剤師に対して、厳しく指導すべきであり、それが出来ないのであれば、国民の健康に貢献しなければならない薬剤師の集団としての存在価値は無くなるのではないか。

 

(2007.6.30.)

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