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ミッキー・フィンの毒性

金曜日, 8月 17th, 2007
対象物 ミッキー・フィン(Mickey Finn)
成分 抱水クロラール(chloral hydrate)。 [米]chloral hydrate、[仏]Hydrate dechloral、[独]Chloralhydrate、[ラ]Chloralis
hydras。
別名:トリクロロアセトアルデヒド(trichloroacetaldehyde)。
一般的性状 劇薬
本品は抱水クロラール(C2H3O2Cl3=165.42)99.5%以上を含む。本品は無色透明又は白色の結晶で、刺激性の芳香を有し、味は腐食性でやや苦い。空気中では徐々に揮散する。本品1gは水0.25cc、アルコール1.3cc、 クロロホルム2cc又はエーテル1.5ccに溶け、テレビン油には溶け易く、オリブ油には極めて溶け易い。
安定性:水溶液は紫外線照射により速やかに塩酸及びトリクロル酢酸に分解する。通常の保管条件では、徐々に分解が起こり、1%-溶液では室温で20週後、 約5%が分解する。
貯法:気密容器。
常用量:1回0.5g、1日1.5g。極量:1回2g、1日6g。
基原:1832年Liebigが初めて本品を発見し、1834年Dumasはクロラールの組成を決定し、Stadelerは澱粉をMnO2及びHClと蒸留するときクロラールの生成することを知った。 1869年Liebreichは初めて本品を催眠薬として用いた。日局には初版以来収載されている。

応用:1.0-2.0gを経口投与するとき、徐々に倦怠感を増し、約30分で睡眠し、1時間で極点に達し、数時間持続する。本品は分子自体が睡眠作用を有
し、一部は不変のままで、一部は体内でCCl3・CH2OHに還元され、glucuronic acidと結合しurochloralic acid C7H11Cl3O7となって、他は徐々に分解されて尿中に排泄される。抱水クロ ラールが主に注腸、坐薬として使用されるのは、経口投与時の口腔・胃に対する刺激、筋注したときの神経・筋に対する障害、静注による血栓形成などを避ける
ためである。
本品は精神興奮状態、酒客譫妄、破傷風、ストリキニーネによる痙攣、癲癇、急癇、子癇、舞踏病に用いる。

内服には1日量1.0-2.5-3.0gを大量の水で稀釈し、あるいは粘漿、牛乳及び卵黄に和して投与する。酒客譫妄などには大量1日7.0-8.0
(!)を与えることもあるが、数回に分服させる。大量の頓服はしばしば死因となる。小児は比較的大量に耐える。鎮静薬としては1-2時間毎に1回0.2-
0.5-1.0-2.5(!)を用いる。
外用には粘漿(サレップ漿、ゴム漿)と和して潅腸料とし、1回量を成人(3.0-5.0:200);小児(0.1-0.6:60);乳児0.25として反
復する。テタニーには鎮痙薬としてなお多量を用いる。
注射は刺激が大きいため、痔核並びに海綿様血管腫の治療に使われることがあるに過ぎない。その他歯科で局所麻酔に、また皮膚科では毛生え液原料とする。
本品は水で分解するから用に臨んで冷水で配剤する。
副作用:特異体質の患者では、薬用量で呼吸及び血行障害、昏睡、悪心、嘔吐、蕁麻疹、紅斑、皮下溢血等を起こす。ことに呼吸器又は心臓の疾患ある患者には 危険で、肺浮腫又は心臓麻痺を起こして死ぬことがある。
習慣性があるので、連用すれば大量を要し、大量の連用は、消化不良、下痢、発疹、羸痩(ルイソウ)、精神機能減退、臓器の変性を起こす。
慢性中毒患者には、一時に使用を中止すると禁断現象が起こるため、徐々に減量する。

毒性 致死量は約10gとされるが、4gで死亡した例がある。また30gを摂取しても障害を見なかったという報告もある。致命的血中濃度:通常 25mg/100mL。
急性毒性:LD50ラット(経口) 500mg/kg。・(経口)800mg/kg。ヒト経口中毒量:約10g。
症状 重 篤な昏睡及びチアノーゼ症状に続きショック状態、不整脈を呈する。多量投与は体温と血圧低下、遅く弱い呼吸を伴う心臓衰弱を起こす。アルコールは協同作用を持つ。慢性作用は腎と肝の障害で、中毒性精神病を伴う。被刺激性
と性格荒廃。眠気、精神錯乱と歩行の協同運動失調、浅い呼吸で昏睡、弛緩、後に肺水腫が現れ、気管支肺炎にいたる。脳浮腫、長く続く昏睡の肺への作用で死
亡。本品の蒸気は眼や鼻を刺激する。濃厚溶液は皮膚を刺激する。
中枢・末梢神経症状:痙攣発作、譫妄、振戦、不安、頭痛、眩暈、興奮、運動失調、抑鬱、構音障害。
消化器症状:悪心、嘔吐、胃痛。
循環器症状:低血圧、チアノーゼ、心臓麻痺、ショック、不整脈。
呼吸器症状:呼吸緩徐、呼吸麻痺。
皮膚症状:発疹、紅斑、掻痒感。
その他:発汗、体温下降、肝障害、腎障害。
処置 急性中毒には人工呼吸、胃洗滌、興奮薬の注射を行う。又は胃洗浄。人工呼吸と酸素吸入。血圧を維持するために、血管収縮剤。予防的ペニシリン。
毒物の除去:催吐又は胃洗浄。吸着剤と塩類下剤。
排泄促進:血液透析、血液灌流
維持管理:気道確保、人工呼吸。正常体温維持。心電図モニター(心疾患素因のある患者)。
対症療法
低血圧にはα-アドレナリン作動薬。不整脈に対してリドカイン(本剤による不整脈にはβ-遮断薬が有効である)
事例 「要するに、この事件のトリックなるものは」と、この家の主は続けた。「ミッキー・フィンと称する強力飲物があるな。麻酔薬のまざった、飲むと頭がくらくらっ
とするやつだ。あれにヒントをえたものなのなのさ。いい気持ちで、あいつを飲んでおると、とつぜん、頭がひっぱたかれたみたいな感覚に見舞われる。いきな
り、猛烈な痛みがはじまって、耳ががんがん鳴り出す。酷いときは、そのまま意識を失ってしまうことがあるものだ。
ミルズのやつ、例のサイフォンに、この飲物を仕掛けたんだが、あの日のうちに、チャンスはいくらもあった。彼は必要な時刻を心得ておったのだから、その
時までに、仕事をすませればよかったのだ。いや、彼ばかりじゃない。きみたちもみんなが知っていることで、フランシス・シートンがウイスキー・ソーダを飲
む時刻は、1日にわずか1回、それもきちんときまっておる」 [宇野利泰・訳(ディクスン・カー):カー短編全集2-妖魔の森の家-ある密室;創元推理文庫,1970]。
備考 『ミッ キー・フィン』という名称の毒薬はない。しかし、辞書で検索したところ『Mickey Finn=睡眠薬入りの酒』と書かれている位であるから英国当たりではそれなりに認知されているということなのだろう。
Mickey Finn=仕込み酒。本来はアイルランド系の人の名前あるいは酒場の名前だという紹介も見られる。酒場のおやじが嫌みな男で、酒に下剤を入れられたという
ことから来ているようである。
その他、『Mickey』だけで、通例アルコール飲料に麻酔剤や下剤をこっそり混ぜたもので、何も知らずに飲んだものを無力にするという解説も辞書中に見
られる。酒に入れられた下剤は『クロトン・オイル(croton oil)=ハズ油』であるとされている。その後仕込み酒に仕込まれる薬物は、バルビツール剤あるいは抱水クロラールになったということであるが、本編の場
合、その書きぶりからすると抱水クロラールであろうと考えられる。
文献 1) 小学館ランダムハウス英和大辞典;小学館,1979
2)第六改正日本薬局方解説書;南江堂,1954
3)大阪府病院薬剤師会・編:全訂医薬品要覧;薬業時報社,1984
4)内藤裕史:中毒百科-事例・病態・治療;南江堂,2001
5)西 勝英・監修:薬・毒物中毒救急マニュアル 改訂6版;医薬ジャーナル,20016)白川 充・他:薬物中毒必携 第2版;医歯薬出版株式会社,1989
調査者 古泉秀夫 記入日 2005. 11.9.