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E型肝炎ウイルス(hepatitis E virus)の不思議

水曜日, 8月 15th, 2007

1955年以来、インド国内数カ所で雨期あるいは洪水後に肝炎の爆発的な流行が繰り返されてきた。この肝炎の疫学的、臨床的特徴は、

  1. 糞便に汚染された飲料水を介する経口感染である。
  2. 既に幼児期にHAV(hepatitis A virus)に感染して抗体陽性の若年成人(15-40歳)に好発する。
  3. 潜伏期が約40日でA型肝炎より長い。
  4. 死亡率が1-2%でA型肝炎の約10倍であり、特に妊婦の死亡率は高く、10-20%に達する。
  5. ペア血清がHAVとHBVのいずれとも反応しない。

等である。

従って、この肝炎は流行性肝炎(epidemic)あるいは便口伝播型(enterically transmitted) 非A非B型肝炎と呼ばれてきた。最近、その伝播様式に因んでeをとり、E型肝炎と呼ばれるようになった。E型肝炎は、A型肝炎と同様に一過性の黄疸を伴う急性肝炎を発症したのち速やかに回復し、慢性化することはない。小児は通常不顕性感染で発症しない。感染後はほぼ終生続く免疫が成立する。

E型肝炎ウイルスhepatitis E virus(HEV)は、肝細胞で増殖して胆汁中に分泌され、糞便とともに排泄される。HEVのvirionは、直径32-34nmの球形であり、 envelopeを持たない。viral genomes(ウイルスゲノム)は7.5kbの一本鎖、プラス鎖のRNAであり、poly Aをもっている。HEVは分類上はカリシウイルス(科)とされている。

HEVは、インドの他、パキスタン、ネパール、ミャンマー、旧ソ連、中国、アフリカ、メキシコなどに広範に常在しており、これらのHEV浸淫地への旅行者の増加と、それらの地域からの労働者の急増により、輸入肝炎として日本へも持ち込まれる危険性が高い

[天児和暢・他編:戸田新細菌学;南山堂,1997]。

■インド、パキスタン、バングラディシュ、ネパール、ミャンマー等の東南アジア諸国をはじめ、アフリカ、中南米等の熱帯・亜熱帯地域の発展途上国に広く分布し、流行を繰り返している。好発年齢は15-40歳の壮年期で、小児や老人には少ない。  我が国にはE型肝炎ウイルスは常在していないが、発展途上国との交流の拡大とともに、輸入感染症として患者が発生することが予測される

[山西弘一・他編:標準微生物学 第8版;医学書院,2002]。

ほぼ我が国の細菌学の教科書では、E型肝炎ウイルスは輸入感染症とされていた。つまりE型肝炎ウイルスは国内には存在せず、専ら生存地は衛生状態の悪い後進国ということになっていた。しかし、北海道でエゾシカの肝臓の刺身を食した人がE型肝炎を発症し、神戸では猪に肝臓の刺身を食した人が発症した。更に北海道では、焼き肉屋で豚の肝臓の生焼けを摂食してE型肝炎を発症した。

北海道の事例については、旧ソ連から輸入されて定着したのではないかとする意見もあったようだが、それでは神戸のウイルスの説明がつかない。更に猪は雑食性であり、人と同じような食性を示すと考えられるため、糞口感染の機会があったことは予測できるが、エゾシカの食性は雑食性ではないはずで、草や木の葉を食していながらどういう経路で感染が起こったのか、若干分かり難いところがある。

しかし今回、従来の教科書を全面的に書き直すことが必要となる事実が新聞報道された。

最近になって存在が確認され、ときおり集団感染を引き起こすE 型肝炎ウイルスは、既に約100年前には国内に侵入し、”土着化”していたことが厚生労働省研究班(主任研究者・三代俊治東芝病院研究部長)の調査研究で解った。富国強兵政策の一環で、軍人の体力をつけるため英国から輸入したブタによって持ち込まれ、肉食文化の普及で全国に拡大したらしい。

E型肝炎ウイルスは遺伝子の特徴から1-4型があることが知られ、時間の経過とともに変化していく。遺伝子の変化を調べることで、ウイルスの歴史、移動、系統関係が解る。同班の溝上雅史・名古屋市大教授らは、国内と世界各地で見つかったE型肝炎ウイルスの遺伝子を比較した。国内のウイルスは大きく分けて3型と4型の二つのグループが混在し、いずれも約100年前に、起源となるウイルスが国内に侵入したことが解った。

国内で主流の3型は、ヨーロッパや米国など、19世紀に英国と交流が盛んだった国々に多い。日本も1900年頃に、軍人の体力強化のために英国からブタを大量に輸入した。ブタのE型肝炎ウイルス保有率は非常に高いことから、研究班はブタがウイルスを持ち込んだ可能性が高いと断定。肉食文化の普及で、ウイルスが土着したと見ている。 E型肝炎ウイルスの感染経路は、ブタやシカ、イノシシなどの肉の生食によるものと解ってきた。

しかし数年前まで日本のE型肝炎の殆どは、インドなど海外で感染したものと考えられていた

[読売新聞,第46722号,2006.4.9.]。

E型肝炎ウイルスが我が国に上陸して100年。既に本邦に土着化していたというが、それなら現在までに報告されたE型肝炎ウイルスの感染者が、何故、輸入感染症の患者であるとされてきたのか。感染者の全てが、海外旅行経験者だったとでもいうのであろうか。いずれにしろ国内に存在しないとされてきた理由がよく解らない。

E型肝炎ウイルスの存在そのものが未確認という時代が続いたということもあるのかもしれないが、長いこと非A非B型肝炎として扱われて来た症例の中に、本来はE型肝炎ウイルス感染者とされなければならない患者がどの程度いたのか。

相手が眼に見えないということ以外に、重症化する患者が少ないということが、E型肝炎ウイルスを深く静かに潜行させた原因なのかも知れない。

しかし昔から「豚肉の生は喰うな」といわれ続けてきたが、最初の感染源は豚だということからすれば、その口伝は正しかったということである。

(2006.4.16.)