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倫理的な判断はできるか?

水曜日, 8月 15th, 2007

鬼城竜生

「人間の心を学び、倫理的に間違っていると思った時は、『NO』と言える判断力、決断力を磨いてほしい。よく観て、よく聴き、信念を持って発言してもらいたい』  この言葉は、東京都立広尾病院の点滴ミス・隠蔽事件の被害者の夫である永井裕之氏の講演中の言葉であるとされている。

都立広尾病院の医療事故は、1999年2月、左手の指関節の軟骨をとる手術を受けた永井氏の妻が、その後、看護師に誤って消毒薬を点滴注射され、死亡したというものである。死亡の原因は、注射筒を用いて消毒薬を秤取するという、病棟の悪しき習慣によるもので、その後、多くの病院で、消毒薬の秤取に注射筒を用いないという至極当たり前のことを禁止する茶番劇が演じられたが、正確に必要な薬液を秤取するという目的のために、多くの病院で行われていたということである。

更に都立広尾病院の事例は、その失敗を組織ぐるみで隠蔽しようとした病院側の対応のまずさから、社会の医療不信を拡大する一因となったと批判されている。点滴を実施した看護師は、当初からその可能性を報告していたが、主治医は「心筋梗塞や心疾患の可能性が強い」と説明。当時の病院長も医師法に基づく警察への届け出を渋り、死因の説明も不十分だった。

当時、都が作成していた『医療事故・医事紛争予防マニュアル』では、患者が死亡した時、過失が極めて明確な場合を除いて警察には届けず、病理解剖を勧めると記載されていたという。当時の都立広尾病院の院長は、マニュアルの作成責任者で、都衛生局も隠蔽に加担していたとされている [読売新聞,第46215号,2004.11.16.]。

医師法に基づく警察への届け出については、次の通り定められている。

第19条:診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。

2.診察若しくは検案をし、又は出産に立ち会つた医師は、診断書若しくは検案書又は出生証明書若しくは死産証書の交付の求があつた場合には、正当の事由がなければ、これを拒んではならない。

第21条:医師は、死体又は妊娠4月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、24時間以内に所轄警察署に届け出なければならない。

第23条 医師は、診療をしたときは、本人又はその保護者に対し、療養の方法その他保健の向上に必要な事項の指導をしなければならない。

第24条 医師は、診療をしたときは、遅滞なく診療に関する事項を診療録に記載しなければならない。

上記の新聞報道でも触れられているが、「遺体に異常を認めながら警察への届け出で義務を怠ったのは医師法に違反しているとして、訴えられていた当時の院長に対する上告審判決が、 2004年4月14日、最高裁第三小法廷で出され、同被告の上告は棄却されたという。

被告側は「検案とは死体検案書を作成する場合に限られ、診療中の患者の場合は検案書を作成しないので届け出義務はないと」主張。「業務上過失致死などの刑事責任を問われる恐れがあるときに、届け出義務を負わせるのは憲法違反」と主張していた。

これに対し第三小法廷は、「検案とは死因を判定するために死体を検査することで、診療中の患者か否かを問わない」とし、「届け出義務は犯罪を構成する事項の供述まで強制するものではない」と違憲の主張も退けた。被告は1999年2月、入院中の主婦が消毒薬を点滴されて死亡するという事故の後、遺体を検案した医師らと共謀し、異常を警察に届け出ず、後日、病死とする虚偽の死亡診断書などを作成したとされている。

医療事故の裁判を争ったことのある弁護士と同席した時、病院の職員が真実を述べないとする苦言を呈していたが、その意図するところは、永井氏の冒頭の発言と同様の趣旨であると思われる。

ところで我が身を顧みて、果たして倫理的に間違っていると思った時『NO』と言えるのかを自らに問えば、直ちに『応』とする結論を出すことは難しい。院内における事故調査委員会で、正論を述べることは可能だとしても、組織として結果が出された場合、果たしてその決定を無視して、外部に公表することができるのか。ことの善悪は別にして、自ら参加した会議の結論である。会議で常識的な結論を得ることができないからといって、会議の内容を他所で覆すというのでは、会議における決定の意味をなさなくなる。

内部委員会で、事故を事故として認識し、その原因を含めて外部に公表すべきであるという主張を行うことは可能である。更に強力に主張し、委員会の結論を意図するところに誘導する努力も厭う気はない。しかし、委員会で結論が出され、方針が決定された場合、個人の社会正義を貫くために、それを乗り越えて内部告発に走れるのかということになると、逡巡せざるを得ない。

ことの善悪は別にして、結論が出てしまえば、その結果に従うというのが組織人としてのありようではないのか。従って、組織として医療事故は隠蔽しないという、基本的な姿勢を明確にしていない組織に属したことの不幸を嘆くとしても、個人としての正義には限界があるということではないのか。

しかし、この問題は常に考え続けていなければならない命題であり、咄嗟に結論を出せといわれても、普段から考えていなければ、簡単に結果の出せる問題ではないようである。ただし、今回の判決で、医師の警察への届け出義務は明確にされた。その意味では判断に混乱を起こす問題の一つは、分かり易くなったということのようである。

(2004.11.20.)


  1. 薬事衛生六法;薬事日報社,2004