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法律が法律であるために

水曜日, 8月 15th, 2007

病院の薬剤部に属する“医薬品情報管理室”には、薬に関する問い合わせだけではなく、医療のみならず、薬や医療とは何の関係もない問い合わせが寄せられることがある。その中の一つにらい予防法に関連する問い合わせがあり、初めてらい予防法に眼を通した時のことである。

の当時、日本の法律の中に『断種・堕胎』という優生手術の実施を明確に記載している条文が残っているなどということは、思いもしなかっただけに、らい予防法の中にその条文を見たときには、未だにこの様な条文が記載されている法律が罷り通っていることの事実に衝撃を受けた記憶がある。

1873年 ハンセン(ノルウェー)が癩菌発見
1907年 「癩予防ニ関スル件」制定
1909年 熊本県等に公立療養所開設
1931年 癩予防法(旧法)制定。隔離対象を全患者に拡大
1947年 憲法施行。新薬プロミンによる治験開始。
1953年 患者らの法改正要求に反し、らい予防法(新法)制定(付帯決議として『近い将来、新法の改正を期する-隔離規定を見直すことが予定されていた)』。
1960年 世界保健機関(WHO)が外来治療の方向性を勧告。
1981年 世界保健機関が多剤併用療法を提唱
1995年 日本らい学会(現・日本ハンセン病学会)が法廃止に関する決議(4月22日)。
1996年 らい予防法4月1日付で廃止。
1998年 7月31日熊本地裁に13人が提訴(西日本訴訟、15次で計589人)
1999年 3月26日東京地裁に21人が提訴(東日本提訴、7次で計126人)
  8月27日元厚生省医務局長が熊本地裁で「らい予防法は誤りだった」と証言。
  9月27日岡山地裁で11人が提訴(瀬戸内訴訟、6次で計64人)
2001年 1月12日西日本訴訟第一陣の結審(判決中で『当時の医学的知見を総合すると、遅くとも1960年以降は、ハンセン病は隔離しなければならないほど特別な疾患ではなくなっており、隔離規定の違憲性は明白になっていた-憲法13条に違反』の判断)。
  4月5日超党派の国会議員が原告を    支援する懇談会発足。
  4月14日3地裁の原告が統一原告団を結成。
  5月11日西日本訴訟第一陣が全面勝訴。
  5月23日政府控訴断念を決定
  [読売新聞,第44933号,2001.5.11.]

ハンセン病は、単なる癩菌による慢性細菌感染症である。遺伝的な原因に由来する病気ではない。

従って、ハンセン病に感染した患者が出産したとしても、遺伝的に病因が継承されるわけではなく、その意味では、断種や堕胎を、法律的に義務付けなければならない何等の理由もないということである。

1953年にらい予防法が改正され、新法が制定された。

その時に隔離規定を見直すとして『近い将来、新法の改正を期する』とする付帯決議がされたという。しかし、実際には、らい予防
法の改正内容に反対する患者達への単なる猫騙しとして、付帯決議を付したに過ぎない。それが証拠に、隔離政策は引き続き実施されていたし、近代国家にあるまじき断種や堕胎の条文も停止されることなく、生き続けてきたのである。

その意味では、2001年5月11日に出された熊本地裁の判決は、国の責任のみならず、法改正の遅れについても『国会議員の立法上の不作為』と認定し、患者側の全面勝訴となる判決を出した。将に、行政・立法等の、それぞれの立場での無責任さを追求した、当然の判断だといえる。

少なくとも1953年のらい予防法改正時には、細菌感染症であることが分かっており、断種や堕胎を法律の条文に入れることはなかったはずである。にもかかわらずそのような条文が挿入されたのは、法律各条の文書は、官僚の作文だったからだろう。

国会議員にしても、官僚の作文に反論し、修正する等という深いところまで、考えていたのかどうか。大体、この法律でどんなに頑張ったとしても『票』には繋がらない。

ところが5月24日のNHKテレビの論評では、「救癩(らい)の父」と呼ばれた長島愛生園の初代園長、光田健輔などの参議院での参考人証言により「癩予防法」改正・強化の動きが起こったとされていた。こういう話を聞くと、またかという気になるが、権威という名の虚城に鎮座していると、世間一般の常識が通用しなくなるということなのだろう。最もその戦前のらい療養所の実体は、体のいい刑務所みたいなものだったと聞かされたことがあるが、その意味からいえば、ハンセン病の療養所の所長などというのは、殺生与奪の権を持った封建君主とでも思っていたのかもしれない。

事実、文書化された国会での氏の参考人意見をみると、患者は囚人であるといわんばかりの発言であり、感染を根絶するためにも断種が必要だと力説している。嘗て“光田反応”について調査してくれとの依頼があり、ハンセン病に関連して、氏の名前は記憶にあったが、一方で、明らかに『らい予防法を非近代的な法律に変質させた』責任も氏にあるというべきではないか。

日本人は権威に弱い。自ら権威を振り回す国会議員も、権威の効力を知っているだけに、一般人以上に権威の呪縛に取り憑かれてしまったということかもしれない。法律が法律であるためには、誰のための法律なのかを十分に踏まえて、審議することが必要なはずだが、それをしなかったということである。

今回の問題について、“小泉総理”は、法務・厚生労働省の期待に反して『控訴せず』の断を下した。

諸般の事情に精通し、かつ適正な判断を下せると、独善的ともいえる自負を持ちながら、体を動かすことあるいは決断をすることを苦手とする日本の官僚には絶対に出来ない芸当である。

勿論、法律的あるいは司法判断上、熊本地裁判決には、問題なしとはいえないのかもしれない。しかし、長年にわたって放置されてきた人としての尊厳回復を最優先した今回の判断は、将に政治とはかくあるべきであるとする範を示したものといえる。しかし、官僚の顔を立てるあまり、鵺的な判断しかしてこなかった政治家が、初めて政治家としての独自の判断を示した今回の事例、今後も同様に判断できるのかどうか、甚だ見物だということが出来る。

[2003.7.29.]