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人が二本の足で

水曜日, 8月 15th, 2007

魍魎亭主人

人が2本の足で歩き始めたときから、地球は汚れ始めた。

等といえば、大袈裟にすぎるかもしれない。人が2本の足で歩き、手を歩くための補助的機能から解放して、専ら道具を使うための機能を強化してきたことが、今日の大量生産、大量消費の世界を作り出したのではないかと、そんな気がするのである。

ところで、最近、メダカを見なくなったという新聞の記事をみた。メダカのみならず、自然環境の破壊に伴って、既に絶滅してしまった動植物や絶滅の危機に瀕している動植物が数多く報告されている。

これらの記事の解説では、お決まりのように生命力の弱い動植物、環境に適応できない動植物が、絶滅、あるいは絶滅の危機に瀕しているとされている。このような解説を見るたびに、人は自らをどのへんに位置付けているのかと不思議になる。あるいは人はどの様に環境が悪化したとしようと、最後まで生き残ることが出来る、最強の動物だとでも考えているのだろうか。

各地にみられる自動車の排気ガスによる公害問題、イタイイタイ病や水俣病の工場廃水を原因とする疾病等を考えた場合、人は他の動物以上に、環境破壊には対応できない生き物ではないのか。

現代社会では、全ての人々が便利さを追究し、便利であることが何よりも人にとって幸せな生活環境だと考えてきたが、本当は自然と調和した生活こそが、人にとって最も幸せな生活なのではないか。不便さを我慢することで、自然環境を極力残すことが人にとっても、生命を維持する上でも、必要なことではないのか。

洪水を防ぐために、川を単なる水を流すための側溝化するのではなく、小魚が泳ぎ水草が繁茂し、岸辺では子供達が遊べる河川とするために再工事を行う。ゴミを廃棄するために干潟を埋め立てるのではなく、いかにゴミを少なくするかの工夫を徹底する。

あらゆる工夫を導入することにより、都会の中に自然を復活させることが、人に精神的な安定を与え、生命体としての生き残りを可能にするのではないかと思われるのである。

人だけが自然界の中で最強でいられるわけがない。他の生物との共存があって、初めて生きられるはずである。

しかし、既に遅く、我々が気付かぬところで、人は既にレッドリストに収載されているのかもしれない。

[2000.7.31.]