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バーコードは誰が付けるのか?

水曜日, 8月 15th, 2007

魍魎亭主人

2000年10月25日付の読売新聞に、『国立国際医療センターで、投薬の時期や量などの診療内容を、バーコードで瞬時にチェックできる管理システムの整備に取り組むことを決めた。不注意な基本的ミスの防止や、薬品の在庫管理による病院経営の改善が主目的だが、診療全般を一括管理することで、多角的に情報を蓄積、薬の効果や、効率的な治療方法などの分析にも威力を発揮しそうだ。

医療行為を行うごとに薬や患者の腕に巻き付けたバーコードを読み取る。薬のバーコードには、薬名、投与量や有効期限、製品番号が記され、もし登録内容と異なると警告がでる』とする記事が収載されていた。

現在、我々が日常的に眼にするバーコードは、黒白の縦線が並列して横長に配列されている『一次元バーコード』であるが、これではコーディングできる情報量が少なく「薬名、投与量や有効期限、製品番号」等を入力することは困難である。従って、ここで考えられているバーコードは、コーディングできる情報量が飛躍的に増えたとされる、『二次元バーコード』の利用が考えられているのであろうが、どれだけ多くの情報量が、バーコードにコーディングできたとしても、基本的問題が片付かなければ、問題の解決が図られたということにはならない。

つまり、基本的な問題というのは、医療機関で使用される全ての製品に、何時この『二次元バーコード』の導入がされるのかということである。

例えば医薬品に関していえば、現在でも箱単位ではバーコードがコーディングされており、医療機関によっては、このバーコードを用いた物品管理が行われている。しかし、今回報道された内容は、箱単位でのバーコードではなく、各薬剤の個別最小単位-例えば注射薬のアンプル1本1本へのコーディングということであろう。

曲面のある錠剤にさえ印刷できる技術がある現在、注射薬のアンプルに『二次元バーコード』を印刷することは可能であろうが、果たして製薬企業は、アンプルの1本1本に『二次元バーコード』をコーディングすることを了承したのであろうか。

更に錠剤の1錠1錠に、『二次元バーコード』を印刷することも技術的には可能であろうが、バーコードリーダーに読み取らせる場際、錠剤やカプセルを素手で持って読み取らせるという方法は、衛生管理の上からも不向きである。

更に新聞報道に見られる『製品番号』とは、JANコードやYJコードではなく、新しく製品コードとして設定することになったコードだと思われる。しかし、このコードもやっと新会社を設立して、作業を開始するという段階だと聞いている。従ってこのコードもこの2?3カ月の間に全ての整備が終わるということではないのではないか。

新聞報道によれば、本格稼働の予定は2001年の9月だという。少なくともこの僅かな期間に、全製薬企業が新たな設備投資を実施し、全ての個別製品にバーコードをコーディングするとは信じられない。とすると個別製品の一つ一つにバーコードをコーディングするのは院内で職員がやるとうことなのであろうか。バーコードの印刷から個別注射薬のアンプル1本1本に印刷したバーコードを張り付ける作業を院内で実施するとすれば、新たに過誤を起こす機会を増やすだけの話ではないか。

それに注射薬のアンプルにのみバーコードをコーディングしたところで全体としての過誤防止対策にはならない。院内で使用する全ての製品にバーコードを貼付するとすれば、新たに膨大な作業量を院内に持ち込むことになり、現状の配置人員の中で、増加した作業を実施するとすれば、それは何の過誤対策にもならないことになる。

電子カルテの実施は、あらゆる作業の結果を電子化しなければならないのはその通りである。しかし、それを実施するために、あらゆる職場に作業量の増大をもたらしたのでは何の合理化にもならない。厚生省にすれば、予算の都合もあり、国を挙げて情報技術がいわれているときに、電車に乗り遅れたのでは、国立病院の電子化は後れを取るとの思いから、とりあえず打ち挙げた構想かもしれないが、ボタンの掛け違えから強引に実行などということになれば、迷惑を被るのは病院の職員のみならず、最終的には患者である。

ところで同じ記事の中に、『一足先に地元の新宿区医師会と患者の医療情報を共有化するシステムを開始している。「1地域・1患者・1カルテ」の実現で医療のスリム化を図る有力な手段となる』とする関係者の談話が掲載されていたが、これもおかしな話だ。厚生省は従来、ナショナルセンターでは地域医療は行わないと言い続けてきたはずである。

事実、国立小児病院と国立大蔵病院の統廃合により新たに設立される『成育医療センター(仮称)』における地元住民との最大の争点は、引き続き地域医療を継続し、地域住民の治療を行うか否かであり、厚生省は地域医療は地方自治体の責任で、ナショナルセンターは標榜する専門医療を実施するといい続けていたはずである。

最も最近では小児救急医療部門を『成育医療センター(仮称)』に設置するといっているところを見ると、まさか救急車が都外の全国各地から来るとは考えていないであろうから、地域医療を実施するのはやむを得ないと考えているのかどうか。

いずれにしろ新聞で取り上げられた国立国際医療センターは、感染症を主体とするナショナルセンターだったはずである。その施設が1地域・1患者・1カルテ等といっているのは、将に厚生省の従来の見解とは異なることになるが、そのへんの整合性はどうなるのか、伺いたいところである。

電子カルテ化を否定する気はない。むしろ積極的に実施すべきであると考えている。しかし、急ぐあまり医療事故の増大を招きかねない拙速は避けるべきである。更に職員の労働条件を無視した近代化などはあり得ない。医療機関はものを造る工場とは違うはずである。無闇な合理化は職員の心を荒廃化させ、患者サービスの低下に連動する。

看板だけはやけに立派であるが、人間的な温もりのない医療機関では、治療を受ける患者は、不幸である。

それと最近気になるのは、全てを電脳化することで、医療過誤が防止できるという発想である。機械が100%安全だという神話は、一体どこから生まれてきたのか。近代科学の粋を集合化した航空機も落ちるときは落ちる。まして機械を扱うのは人間である。

その人の安全に対する対策抜きで、どんなに機械化したところで過誤はなくならない。医薬品等へのバーコードのコーディングは、やはり製薬企業が、製造工程の一連の流れの中で行うのが当然であり、製薬企業の作業転換の遅れを病院職員に転嫁すべきではないと申し上げておきたい。

[2000.11.4.]