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何か違うんじゃないか

水曜日, 8月 15th, 2007

嘗て『ゾロ』と呼ばれていた薬がある。先発品の特許切れを待って、それこそ雨後の竹の子のようにゾロゾロ出てくる状況を比喩していった言葉であるが、言い得て妙である。当然、中には製剤技術の稚拙な会社もあり、溶出試験の結果、先発品との比較で、後れを取るものもあり、服用した患者の糞便中に原形のまま排泄されてしまったなどという話しも聞こえてきた。

時代は変わり『医療費の総枠抑制』という流れの中で、2002年以降、厚生労働省はいわゆるgeneric(一般名商品)の使用を推進する方策を採り始めた。

2002年3月 国会予算委員会で、坂口厚生労働大臣から国公立病院での後発品使用を促進する発言
2002年4月 診療報酬改訂で後発品使用促進の点数化(処方点数2点の加算)新設。-院外処方で後発品を含む処方をした場合に加算。
2002年6月 厚生労働省-後発品使用の促進化を国立病院へ通知。-患者への薬の処方に際し、後発品があれば必ず使用を検討するよう要請。
2003年4月 DPCに基づく包括支払制度を特定機能病院に導入-包括部分のコスト削減が病院経営の視点で重要性を増し、結果として後発品への変更が促進。
2004年4月 民間病院を含む一部医療機関にDPCの試行的拡大-厚生労働省本格的な民間病院への拡大を期待

一方、業界側も2003年9月23日に国立病院東京医療センターにおいて『日本ジェネリック研究会』の発足シンポジウムを開催している。

ところで最近の一般紙に、genericの意見広告が、全紙版で掲載されていたが、何か方向性が違うのではないかという違和感が残った。長年の下積み生活で、日の当たるところにでた経験のない役者が、いきなり舞台照明を当てられたのと同じで、我が時至れりと勇み立つのは分からぬでもないが、医療関係者が期待しているのは、実力の分からない役者を、派手な宣伝だけで、あたかも名優に見せかけるような虚構ではない。

今、genericに取って必要なことは、地道に資料を揃える努力である。悪いが大衆向けに、派手な宣伝を打つ話しではない。同じ金を使うなら、先発品を対照とした自社製品の体内動態値の比較試験や市販後調査の強化による副作用情報の収集等に使うべきで、第三者が評価するに足る資料を積み上げる努力なのである。

現在、厚生労働省は、先発品とgenericの同等性を証明する手段として、溶出試験を義務づけ、その結果を“オレンジブック”として公表している。しかし、溶出試験の結果から、生物学的同等性を証明することには、チョィト無理があるといわなければならない。生身の人間には種々の変異性がみられ、機械的な試験の結果が即ヒトには外挿できない。特に医師に対しては、溶出試験の結果をみて先発品とgenericとの同等性を認知しろなどといったところで、納得するわけはないのである。臨床医は、常に生身の人間を相手にしているから臨床医なのであって、生身の人間で効くのか効かないのか、生身の人間で副作用が出るのかでないのか等が問題になるのである。

上っ面な局面のみに眼を向けず、地道に資料の集積を続ける企業が、最終の勝利者となるのは、genericの世界とはいえ、究極の真理である。

(2004.7.8.)