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何処かおかしくありませんかね

水曜日, 8月 15th, 2007

鬼城竜生

花粉症の治療を受けた子供の処方せんに、点鼻薬が書かれていたにもかかわらず、点眼薬が調剤され、薬局で誤薬の確認をされたときの経緯。

対応した薬剤師が、ヘラヘラ笑いながら「あぁ、間違っていますね」というので、「何かおかしいですか?」詰問するようなやりとりになった。さらに薬袋に書いてある薬剤師名と、実際に薬を渡した薬剤師(=調剤した薬剤師も同じと思うとのこと)の名前が違うことを指摘すると、「うちのチェーンはそういうシステムです」との回答であった。説明を聞くと、そのチェーンでは、

  1. 誰が調剤・投薬しても決まった人の印鑑を押す。
  2. 当日にその決まった人がいなくてもその人の印鑑を押す。

というシステムだそうだが、このシステムに問題はないか。本来、印鑑は調剤した人が、「私が調剤しました」ということが分かるように押すのではないか。 このシステムでは、責任の所在が分からなく、不安に思いました。

[平成16年度 全国医薬分業担当者会議資料(16) 平成17年3月26日 日本薬剤師会 国民・患者から寄せられた意見・駆除など(H16.3.30 -H17.3.10) H17.3.10.「薬の間違えと調剤した人の印鑑について」(患者の家族:電話);薬事新報,No.2403:60(2006)]

患者から調剤過誤を指摘されて”ヘラヘラ笑いながら”薬剤師が対応するという図式は甚だしく理解に苦しむ。子供の嘘がばれて、ヘラヘラしながら言い訳をするという図は理解できないわけでもないが、少なくとも専門職能である薬剤師が、患者から調剤過誤を指摘されてヘラヘラしていられるという神経は、理解の外である。

何処のチェーン薬局か知らないが、一体全体どの様な社員教育をしているのか。少なくとも接遇教育に関しては、零だということが出来る。更に申し上げれば、専門職能である薬剤師が、調剤に関してどの様な姿勢で向かわなければならないかという、基本的な教育さえもが欠落しているといえる。

勿論、調剤に対応する姿勢は、薬学教育の中で教育すべきことである。しかし、実際に患者に直面して行う調剤には、大学の教育とは異なる緊張感が存在する。そういう緊張感の中で、調剤をすることの意味を理解することは、真の専門職能としての自己を確立することに繋がるはずである。つまり調剤過誤は、最悪の場合、患者の生死に関わる問題に発展することを、常に念頭に置いて仕事をする薬剤師を育てるのは、大学ではなく、実際に調剤をする現場なのである。

更に不可解な点は、薬剤師が説明した当チェーンのシステムというやつである。患者の親の聞き間違いでないとすると、『調剤印』に対する考え方が、完全に間違っているといわなければならない。分担調剤をする場合、それぞれの部署で直接調剤に携わった薬剤師が、自らの職能を賭けて押印するのが調剤印であり、薬剤師を日替わりで決めて、その薬剤師の調剤印を押印するなどという行為は、何の意味も持たない。ましてや当人が出勤していない場合でも、構わずに押印するなどという仕組みは、押印する本来の意味を見失っている。

患者に薬を渡す薬剤師と調剤した薬剤師が違うということは、患者あるいは患者家族に薬の説明をしなければならないということを考えれば、より経験のある薬剤師が説明するということで、調剤者以外の薬剤師が窓口業務を行うことに特に問題はない。しかし、患者家族にその点での誤解があるとすれば、薬剤師としての説明義務を果たしていないということである。

チェーン薬局というからには、それなりの規模の薬局であると思われる。当然、薬学生の実習現場となる可能性もあるということである。しかし、調剤に対する不遜とも見える思いあがり、あるいは完全な誤解に基づく仕事をしている薬局は、教育の現場として、絶対に相応しくない。

(2006.1.3.)