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『患者様』は究極の尊敬語か?

火曜日, 8月 14th, 2007

医薬品情報21

代表 古泉秀夫

『患者』という言葉は、医師の側から見れば、自分の手によって『病気やけがの治療を受ける人』の意である。受診する側からしても同様に、『病気やけがの治療を受ける人』なのである。つまり『患者』という呼称は、人が人として正常ではない状態におかれていることを意味しており、最近、医療関係者がとってつけたように『患者様』なる呼称を多用し始めたが、正常人とは異なる病人だということの念押しをしているだけで、患者の立場に敬意を表していることにはならない。

第一、旧国立医療機関は、厚生労働省が指示しているからということで、日本語として正しい用い方ではない『患者様』を無批判に導入しているが、上級機関が指示すれば、誤った指示であっても、何の疑問も持たずに導入してしまうという、その主体性のなさが恐ろしいのである。

この点に関して、厚生労働省の「医療サービス向上委員会」が2001年11月、「国立病院等における医療サービスの質の向上に関する指針』なるものを打ち出し、患者に対する言葉遣いや応対の仕方を改めるため、当時の国立病院に「患者の呼称の際、原則として、姓(名)に『様』を付ける」ことを求めたとされている。つまり患者の個人名を呼ぶときに「○○さん」ではなく、「○○様」と呼ぶことを求めたものであって、『患者』という普通名詞に様を付けることを求めたのではないとしている[日本語の現場-職場で30「患者に「様」付け“行政指導”;読売新聞,第46034号,2004.5.19.]。

ある日突然、『病人様』といわれた患者側にすれば、医療関係者と患者との関係が何ら改善されることなく、いきなり呼び方を変えられたとしても、その医療機関で、患者中心の医療が行われるようになったという認識を持つことは多分ないはずである。むしろ胡散臭い言葉の魔術で、さも親切な扱いをしていると見せながら、従来と全く変わらない不親切さを提供しているというのが認識の筈である。事実、患者1000人を対象としたある雑誌のアンケートでは

  • 違和感を覚える      38.1%
  • 当然だと思う       15.7%
  • 何とも思わない      40.1%

という回答結果が報告されている。また、市立総合病院で実施した患者アンケートでも、入院患者では「さん」の支持者が69%、「様」の支持者は4%と、圧倒的に「さん」の支持者が多いという結果が出ている [日本語の現場-職場で31「サマにならない「患者様」;読売新聞,第46035号,2004.5.20.]

厚生労働省が「医療サービス向上委員会」で、国立医療機関における患者サービスの向上を目指したというが、厚生労働省が国立医療機関で目指すべきは、各医療職員の人員増であって、竹槍で戦車と戦う精神論ではないはずである。

“衣食足りて礼節を知る”は現代でもなお真理であり、国立医療機関のサービスの悪さの最大の問題点は、不足する人員にあるということである。精神的な余裕がないところに、ゆとりのあるサービスは生まれない。ゆとりのあるサービスのできないところから、患者が安心や満足を得ることはできない。

医療制度の異なる外国の医療機関の配置人員と比較する気はさらさら無いが、国内の地方自治体立の病院との比較でも、明らかに国立医療機関の配置人員は少ないといえる。働いている職員は、口元に笑いを浮かべて患者サービスにこれ務めている風に見えるが、眼は笑っていないという怖い状況にある。安上がりに、『患者様』という言葉だけで、医療機関のサービスが向上するわけではない。また、病院の管理者も、『患者様』を振り回すことで、自分の管理する病院のサービスが向上したと考えていたとすれば、大いなる誤謬である。

他を引き合いに自説の正しさを証明する気はないが、『言葉を丁寧な形にしても、けっして丁寧な意味にならないという例はほかにもある。病院へ行くと、「患者さま駐輪場」「患者さま待合室」と書かれていることがある。「患者さま」といわれるのは何となく落ち着かない。なぜなら「患者」という言葉自体がすでに悪い印象を与えるため、いくら「さま」をつけてもらってもうれしくない。

「病人さま」「怪我人さま」「老人さま」など、いくら頑張っても敬うことにならないのである。「ご来院の方」「外来の方」などというように変えた方がいいと思われる。』 [金田一春彦:日本語を反省してみませんか-日本語-;角川oneテーマ21,角川書店,2002]

金田一氏は、我が国を代表する日本語学者である。その氏が、おかしいといっているいじょう『患者様』は敬語になっていないということである。最近、薬剤師が書く文書に、本来は『患者』とすべきであるところを『患者様』あるいは『患者さん』としているものが見受けられる。何の意味があってそのような言葉を使用しているのか知らないが、それらの言葉を見るたびに背中がむずがゆくなる。もし、そのような言葉を書くことで、患者を敬っていると考えているとすれば、それは誤った判断に基づく考えだといわなければならない。

(2004.6.24.)