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『平将門』

土曜日, 9月 24th, 2011

     鬼城竜生

 

平将門がどのような人物か知らない。武将というよりは、どちらかといえば妖しい奴という認識の方が強い。どちらかといえば安倍晴明の世界の住人として、世に徒なす輩という認識である。取り

敢えず平将門を祀ったという『筑土神社』に御参りすることにした。

 

筑土神社-01

 

築土神社は天慶三年六月(940年)、関東平定後、藤原秀郷らの手で討たれて京都でさらし首にされていた平将門公の首を首桶に納め、密かに持ち去り、武蔵国豊島郡上平河村津

 

筑土神社-02

 

久戸の観音堂に祀って津久戸明神と称したのが始まりだとされる。江戸城築城後の文明拾年六月(1478年)、太田道灌が江戸城の乾(北西)に社殿を造営。太田家の守護神、そ

 

筑土神社-03

 

して江戸城の鎮守神として厚く崇敬したという。筑土神社の主神は天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)。相殿神(あいどのの神)は平将門公、菅原道真公とされている。

 

筑土神社-04

 

しかし、築土神社が将門を祀る神社であることを明らかにしたのは鎮座1050年を記念、御由緒を発行した平成二年のことであるとしている。やはり平将門が天皇に対する逆賊という話に遠

 

筑土神社-06

 

慮したためのことのようであるが、神様の世界も生臭いようである。

 

筑土神社-07

 

神社で御絵馬を頂戴した。絵馬の袋に『平将門公龍馬紋の由来』が書かれていた。

 

筑土神社-11

 

承治二年将門公が志を立て、兵馬を起こしたとき、突然空の一角が稻光ったと見ると、九曜星が、矢のような早さで落ちてきて忽然として黒馬に変わり地を蹴って駆け出そうとした。将門公

はそれを見るより早く、部下に命じて黒馬を繋ぎ止めさせた。この神事により兵は大いに奮い立ち起ったと伝えられています。

筑土神社-08

筑土神社-09

 

古来中国では、最上級の馬を「龍」と呼んでおります。将門公の漆黒の駿馬はまさしく「龍」そのものであり、公は龍馬を縦横無尽に駆使し、多くの勝利を手中にしました。

 

筑土神社-10

 

本日の予定としては、筑土神社の次は、平将門の首塚に行くことにしていたので、大手町に出て、三井物産の隣を目指した。高いビル郡の狭間に異空間のごとく静かに首塚はあった。神田明神が管理しているということで、 植木の剪定などもキチッとしていたが、驚いたのは胡蝶蘭の鉢植えが二鉢、供えられていたことである。

平 将門は、平安時代中期の関東の豪族とされている。平氏の姓を授けられた高望王の三男・鎮守府将軍平良将の子。桓武天皇五世。下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸国を巻き込む争いへと進み、その際に国衙を襲撃して京都の朝廷に対抗して独自に天皇に即位して「新皇」を自称した。その結果、朝敵となる。しかし即位後わずか二ヵ月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐された(承平天慶の乱)。死後は御首神社、築土神社、神田明神、国王神社などに祀られる。武士の発生を示すとの評価もある。死没 天慶三年二月十四日(940年3月25日)。別名: 相馬小次郎、滝口小次郎、新皇。

2010年9月10日(金曜日)の総歩行数は9,647歩。

             (2010.10.6.)