『「飲まなく茶」下痢の恐れ』
土曜日, 2月 27th, 2010医薬品情報21
古泉秀夫
『「飲まなく茶」下痢の恐れ』という見出しで、小さな囲み記事が出た。『都は30日、ダイエットに効くお茶として販売された健康食品「飲まなく茶」に、医薬品成分のセンナが含まれていたと発表した。下剤成分が含まれ、腹痛や下痢を引き起こす恐れがあるといい、飲んで体調を崩した人が品川区に相談して判明した。
都は同日、目黒区内の健康食品販売会社に、販売中止と自主回収を指示。「持っている人はすぐに使用をやめてほしい」と呼びかけている[読売新聞,第48020号,2009.10.31.]。
これに関連して東京都のホームページに『報道発表資料』として次の資料が収載されていた。
医薬品成分(センナ葉)を含有する健康食品の発見
平成21年10月30日
福祉保健局
東京都健康安全研究センター及び東京都薬用植物園で、痩身効果をうたった健康食品について成分検査を行ったところ、本日、医薬品成分を検出したのでお知らせします。
健康食品において、医薬品成分を含むものは医薬品とみなされ、薬事法の違反となります。なお、本件は当該製品を購入した消費者が品川区に相談したことが端緒となって発見されたものです。
薬事法違反の製品(製品表示から抜粋)
商品名:飲まなく茶
原材料名:ウーロン茶、プーアル茶、ローズ、蓮茶、夷草の実、霊芝、甘草
(以下省略)
違反の事実
検査結果:センナの葉(葉片)を検出(約14.4%)
センナの葉を含有し、経口で摂取するものは、薬事法第2条第1項に規定する医薬品に該当し、本事例は、薬事法第55条第2項(無承認無許可医薬品の販売・授与等の禁止)の規定に違反する。
上記成分は副作用として、腹痛、下痢等の健康被害が発生するおそれがあります。
当該製品を持っている方は、直ちに使用を中止し、健康被害が疑われる場合には、速やかに医療機関を受診してください。原則として、食品には医薬品成分は含まれてはなりません。健康食品の一部には、含有されてはならない医薬品成分を含むものがありますので注意が必要です。
参考
1. センナとは
センナはマメ科の植物で、小葉及び果実を医薬品(緩下剤)として使用する。主な成分として、センノシドA及びセンノシドBを含有する。
学名:Cassia angustifolia Vahl又はCassia acutifolia Delile(Leguminosae)
2. 適用:便秘、便秘に伴う次の症状の緩和:吹出物、のぼせ、痔、頭重、肌あれ、食欲不振(食欲減退)、腹部膨満、腸内異常発酵 (ただし、これは医薬品として承認許可された製品に認められた効能であり、当該製品で上記効能が確認されているものではない。)
3. 副作用:腹痛、下痢等が報告されている。妊婦、乳児に対する安全性は確認されていない。
4. 医薬品に使用される部位
専ら医薬品として使用される部位:果実、小葉、葉柄、葉軸。
食品として使用できる部位:茎
センナ末はOTC薬のうち『第2類医薬品』に分類されて市販されている。承認されている効能・効果は『便秘。便秘に伴う次の症状の緩和:頭重、のぼせ、肌あれ、吹出物、食欲不振(食欲減退)、腹部膨満、腸内異常発酵、痔』とされている。副作用として
『皮ふ:発疹・発赤、かゆみ。消化器:はげしい腹痛、悪心・嘔吐』が添付文書中に記載されており、更に『1週間位服用しても症状がよくならない場合』及び『次の症状があらわれることがあるので、このような症状の継続又は増強が見られた場合に、服用を中止し,医師又は薬剤師に相談すること:下痢』とされており、健康食品として市販されるようなものではない。
本来医薬品として製造承認を取るべきものをいわゆる健康食品の『お茶』として販売することに土台無理がある。
(2009.12.13.)
囲まれているということだったので、黄葉でも撮ろうかということで、11月23日(月曜日)に出かけた。
た。
の目的地であろうと言うことで辿り着くと将に一之宮神社であった。但し、期待していた公孫樹並木は、残念ながら黄葉して居らず、緑のままで、些かガッカリというところであるが、自然を対象にして写真を撮ろうとすれば、これは仕方がないと言うことである。思う通りに自然を調整することは無理というもので、それこそ成り行き任せと言うことである。
け
もちのみこと:食物の神)・事代主命(ことしろぬしのみこと:宣託を司る神)・面足命 (おもだるのみこと:過不足無くととのえる神)・海津見命 (わたつみのみこと)・水速廼女命 (みずはやのめのみこと)・塩土老命 (しおつちおじのみこと:塩の神)・船玉姫命 (ふなだまひめのみこと:海の神・船の守り神)・表筒男命 (うわつつのおのみこと:海の神・航海の神)・豊玉姫命 (とよたまひめのみこと:竜宮の乙姫)・瀬織津姫命 (せおりつひめのみこと:清流の女神・雨を司る)
四年九月一日、百七代正親町天皇の御宇(紀元2221年・西暦1561年)、現在地に勧請創立され、明治の初年ごろまでは一之宮大明神、一之宮明神社と称され、光輝ある武蔵風土記にも不断の由緒を有し、古伝説もあり霊威赫々尊崇感謝の奉祀がいまに続いております。御鎮座四百年(横浜開港に先立つこと三百年)親から子へ、子から孫へと代は変わりましたが、この四百年の幾春秋を子安全町(創立当時は子安村及び西寺尾白幡)の守護神として仰がれて参りました。この間、分久二年三月十四
日、旧社殿大破再建。慶応四年一月七日、神奈川桑名屋火事。明治三十年十二月十八日、浮浪者の失火。明治三十四年三月、再建(社殿右側舞殿として保存)。大正十二年九月一日、関東大震災等、累次の災害を蒙っておりますが、その折々の氏子崇敬者各位の熱誠協力は、再建に復興に表わされ、昭和三年七月、表参道百二十坪購入となり、過去昭和二十八年八月を境として、戦中戦後の間、昭和十七年二月、本殿裏山(現社殿敷地)百五十坪購入、昭和二十六年四月、公益事業幼児教育施設の開設、昭和二十八年八月、講和条約締結記念中参道六十余坪の購入等、幾変遷はありましたが、着々境内外の整備拡張を図り、昭和三十四年十月、四百年式年事業委員会の結成を見、爾来二年有半、昭和三十七年八月に社殿の竣功。