Archive for 9月 22nd, 2008

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『胆嚢摘出の経過』

月曜日, 9月 22nd, 2008

 

魍魎亭主人

 

胆嚢に石があるといわれ出してから相当の期間が経過したが、この間、だからどうしろといわれたことは一度もない。第一、胆嚢に石があるというのは病気なのか、単なる生命体としての現象なのかよく解らないところがある。ただ、『胆石症』という言葉があるところを見ると、病気ということになるのだろうが、無症候性に経過している限り、一般人が病気という認識を持つのは無理なのではないか。

ところで先日来、食事後に右季肋部に『枝を握った拳』が入ったような圧迫感が起こるようになり、やがて痛みがでるという経過を辿っていたが、暫くすると何事もなく治まってしまうので、特段大層な病状とは認識していなかった。しかし、晩飯の後、珍しくシュークリーム等を食して寝たところ、深夜の2時頃から右季肋部に突拍子もない痛みが発生し、翌朝8時まで続いた。

本当は救急車をと考えたが、救急車を拒否する病院の話をマスコミに吹き込まれており、救急車に乗ってから行き先が決まらないのは困るということで、救急車を依頼することはしなかった。

尿の色は明らかにビリルビン尿といわれる色調を呈していると思われたので、朝の9時になるのを待って近隣の内科医を受診し、血液検査をして貰った。結果が出るのは夕方5時頃ということで、自宅待機し、指定の時間に検査結果を聞きに行ったところ、黄疸が出ているということで、この状態では個人の医院では対応できないといわれて、近隣の総合病院の消化器内科宛てに紹介状を書いて貰った。更に夜中に痛みが出るようであれば、紹介状を書いてあるので、遠慮しないで救急車で病院に行くようにという助言をいただいた。

次の日、紹介状持参で、病院に出かけたが、予約無しの患者であり、医師の診察を受けたのは11時頃であった。しかし、朝食は抜きできているということで、血液検査、X線検査等を一通り実施し、『胆石、胆管炎』で即日入院ということになった。挙げ句の果てにCT検査を受け、逆行性内視鏡的胆管造影・乳頭切開術により14mmの胆石を摘み出すことになった。

結局4月16日に入院し、25日に退院という経過を取ったが、10日間の入院期間の大部分は黄疸の治療に要した時間ということのようである。そこで考えるのは、胆嚢に石があるという場合、何れは胆嚢から石が出て悪さをするのであれば、最初から石を取り出す処置をした方がいいのではないかということである。つまり胆石症が病気ならさっさと処置してしまった方が、全体としての治療費は安く済むのではないかという気がするのである。但し、躯に刃物を入れる以上、一定の危険性は覚悟しなければならないと思われるが、一方で、無症候性の胆石症もあるとすれば、単純に病気と決めつけてしまうのはあるいは問題なのかもしれない。

内視鏡で胆石を掴み出したあと、退院日程を告げに来た医師が、外科の医師の判断ですが、まだ胆嚢に石が残っているので、胆嚢を摘出した方がいいといっています。退院後に胃の内視鏡検査と肺機能の検査を予約しておきたいのですが。

エッ、胆嚢取っちゃっていいんですかね。その後の生活になんか影響が出るのではないんですか。

いや、胆汁を溜めて置くだけの器官ですから特に無くなっても影響は出ません。それより一度石が出ると癖になってまた石が出て来ますから、取ってしまった方がいい。手術の予約を入れておきますよ。

確かに、また石が出てくる可能性があるということであれば、取ってしまった方がいい。旅行などに出かけた先等で、胆石が飛び出してくる等ということになると、それこそはた迷惑である。また当人も2度とあの痛みは嫌だという思いもあり、手術を承諾することにした。

お腹を切って摘出するとなると、退院までに相当時間が掛かりますか?。

腹腔鏡下で手術が出来ればそんなに掛からないはずです。詳しいことは外科の先生にお聞きになってください。

切らないでも出来るということですね。

ただ皮下脂肪が厚い場合には腹腔鏡下での手術は出来ないといっていましたが。

 

『肝臓で作られる消化液である胆汁の1日の生成量は約1L。その97%までは水分であるとされている。これは一旦胆嚢に貯蔵され、濃縮されて水分は85%程度に減少し、胆汁酸やムチンなどの固形物は約15%に増える。胆嚢内の胆汁(胆嚢胆汁あるいはB胆汁)は暗褐色を呈し、やや粘稠である。』

 

至極簡単に胆嚢を摘出するという話になったが、人間の体にいらないものが付いているとは考えられないという原初的な疑問については、胆汁を貯蔵しているだけですから、無くても特に困らないということで一蹴されてしまった。胆嚢に一時停車せず、そのまま十二指腸に到達したところで、胆汁の機能は十分に果たせるということのようである。

手術に要する時間は、4-5時間程度。当人は麻酔をされており、全く気づかずに病棟の術後患者集中室に一晩寝かされ、次の日には自分のベッドに戻り、午後には膀胱カテーテルを外され、自分で動くように指示された。従来では考えられない速さで回復に向かったが、それでも痛いものは痛いので、暫くは鎮痛剤の世話になっていた。更に驚いたことに、所々記憶が飛んでいるような気がするというか、時系列で経過を考えていく時、ある部分で記憶が抜けている状況があるのは、麻酔による後遺症なのかどうか。

薬剤師として薬の副作用については、文献的に理解しているが、実際に自分が経験すると、少しずつ違う状況が感じられるので戸惑うことがある。しかし、これは個人的な反応であり、全体が同じような結果になるとは限らないところに、薬を使うことの難しさがあるといえる。

ところで主治医が摘出した胆嚢に入っていた胆石をくれた。医師の言では11個ということであったが、殆どが小さなもので、砂粒をやや大きくした程度の黒いものであった。医師の意見では、この小さな石が色々いたずらするので、胆嚢を摘出して正解でしたよということであり、胆嚢が白く変色していたところがありましたが、今までに何回か炎症を起こしていたようですよということであった。

1)長谷川栄一:新・医学ユーモア辞典 改訂第2版;エルゼビア・ジャパン,2002

(2008.6.15.)

「多摩川台公園」

月曜日, 9月 22nd, 2008

鬼城竜生

紫陽花が咲いているということで、6月14日(土曜日)『多摩川台公園』に出かけることにした。とはいえ、何処にあるのか解らないのでYahooで検索多摩川台-01してみたが、解りやすい地図を入手することは出来なかった。

取り敢えず京急蒲田駅で降りて、JR蒲田駅ビルまで行き、東急多摩川線で多摩川駅まで行くことにした。しかし、驚いたのは多摩 川線は蒲田駅から多摩川駅までの往復路線で、全線が大田区内を走っているというある意味ローカル線であったということである。

蒲田駅 → 矢口渡駅→ 武蔵新田駅→ 下丸子駅→ 鵜の木駅 → 沼部駅→ 多摩川駅

多摩川駅を降りて、最初降り口を間違えて『田園調布せせらぎ公園』に入り込んだ。この公園はどちらかといえば運動等の参加型の遊びをするための公園みたいな感じがした。踏切で線路を渡り多摩川の川側に出て、川に沿って暫く行くと、右手に紫陽花の花が見えた。下から見る限り大した数では無いと思われたが、坂道を登って上に上がってみると、相当の数の紫陽花が見られた。この公園の紫陽花は7種類3000株と紹介されているが、必ずしも正確な数では無いような気がするが、思い過ごしでしょうか。

『多摩川台公園』には、この他に「四季の野草園」があり、鈴蘭、芝桜等の野草を中心に、様々な草花が植えられているとされていたが、季節的にはそれほど多くの花が見られるという状況ではなかった。その他、「水生多摩川台-02植物園」があり、池に土と水で沼地に似た環境が造られ、姫水仙、アサザなどの水生植物と花菖蒲、アヤメといった湿地の植物が植えられているということであるが、今回そこまで足を伸ばさなかった。

公園の野草園・水生植物園がある場所は、かつて調布浄水場があった場所だとされる。大正時代から昭和時代まで、ここから東京に上水道を供給していたという。跡地は浄水場であったことを残すため、濾過池・沈殿池をなるべくそのままの形で水生植物園・ 植物園に転用し、地下貯水場は水生植物園への貯水に利用しているとされる。

『多摩川台公園』とは、そもそもどんな公園かということがよく解らず、色々調べてみたが、納得いくような説明資料は手に入らなかった。ただ、internet上のHPに次の記載がされていた。
『多摩川台公園は川に沿って伸びる丘陵地に約750mにわたって展開しています。面積が66,661m2と広大なうえ、自然林の道、古墳、展望台、水生植物園、四季の野草園、あじさい園、山野草の道、そして二つの広場をそなえるな 多摩川台-03ど見所は豊富です。その中心はなんといっても自然林の道です。起伏に富む園地の多くは赤松、欅、楢、櫟などの武蔵野の面影をとどめる自然林に覆われています。樹々は年月を経て高々と繁り、その下を幾筋もの小径が走っています。』

更に『古墳群と古墳展示室』としての説明に『管理事務所の隣にうず高く盛り上がっているところがあります。それは「亀甲山古墳」で、都立芝公園のある丸山古墳と並んで都内では最もよく知られた古墳です。また、多摩川台公園の最高地には、この地域で最古の前方後円墳である宝莢山古墳があります。この二つの前方後円墳は向き合う位置に造られ、その間には小円墳が8個連なっていて、多摩川台古墳群と呼ばれています。管理事務所には、全国でも珍しい「古墳展示室」が併設されています。』

『公園のある台多摩川台-04地は武蔵野台地の南端部にあたり、国分寺崖線に位置するために多摩川との高低差は大きく、多摩川方面への眺望はすばらしい。また、桜の木が多く、春には桜の名所として知られている。』とする説明も見 られる。

『多摩川台公園』の隣というか隣接地に「多摩川浅間神社」がある。主祭神は木花咲耶姫命で、熊野神社と赤城神社を合祀している。本殿の建築様式は浅間造であり、これは東京都内では唯一のものである。また、社殿は浅間神社古墳の上に建てられているとされているが、神社の境内に多摩川に向けて見晴台が張り出していて、川の風景を見るには都合のいい場所といえた。

いずれにしろ自分の眼で確認して歩かなければ意味がないが、今回は間違えて紛れ込んだみたいな話しで、今後深く探求してみたい公園だといえる。本日の歩数は10,967歩で歩数的にはギリギリ1万歩を超えたという所である。

(2008.6.28.)

紫陽花祭り

月曜日, 9月 22nd, 2008

鬼城竜生

新聞で本郷の紫陽花祭りの話が記事として紹介されていた。6月13日(金曜日)白山神社に出かけることにした。京急蒲田駅1番線から羽田発の急行電車に乗り換え、三田まで行き、都営三田線に乗り換えて白山駅で降りた。白山駅のA3出口を出て右側に眼をやると、白山白山-01神社入り口を示す大きな看板が出ていた。

白山神社は天暦年間(947-957)の創建といわれているが、現在地に移設されたのは明暦元年(1655)とされている。天暦年間に加 賀一宮白山神社を現在の本郷一丁目の地に勧請したが、後に元和年間(1615-1624)に二代将軍秀忠の命で、巣鴨原(現在の小石川植物園内)に移設された。その後、五代目の将軍職につく館林候綱吉の屋敷造営のため、明暦元年(1655)現在地に再度移設された。但し、この縁で綱吉と生母桂昌院の厚い帰依を受けたといわれている。

白山神社の御祭神は、菊理姫命(くくりひめのみこと)・伊弉諾命(いざなぎのみこと)・伊弉冊命(いざなみのみこと)とされている。

" 主神の菊理媛大神(白山大神)”は別名を、白山比