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「巴豆油の毒性」

土曜日, 10月 6th, 2007

対象物

巴豆。巴豆油、はず油、クロトン油、croton oil。別名:oleum crotonis、oleum tiglii。巴豆霜。

調査者

古泉秀夫

記入日

2006.8.20.

成分

巴豆油(croton oil):34-57%として脂肪酸:oleic acid、palmitic acid、stearic acid、lauric acid、crotonic acid、tiglic acid等。その他phorbol ester A1-4、phorbol ester B1-7、crotin(毒性蛋白)、crotonoside、arginine等を含む。

一般的性状

ハズ。トウダイグサ科ハズ属。ハズは漢名『巴豆』の音読み。印度、東南アジア、中国南部原産の常緑小高木で、日本では薬用(種子が下剤)として渡来した。巴豆の成熟した種子を乾燥したもの。学名:Croton tiglium L.。

毒性

猛毒があるため、一般には油を圧出し、残りの残渣(巴豆霜)を丸薬あるいは粉末として用いる。しかし、毒性は存在するので、使用に際しては細心の注意が必要で、少量、短期間に留める。phorbol esterは強力な発癌性を有する。phorbol esterの親化合物であるホルボール(phorbol)は、巴豆油に含まれるテルペン。皮膚及び粘膜を強く刺激し、小嚢胞の発疹を惹起する。

*alcohol中のクロトン油は“Mickey Finn(睡眠薬入りの酒=仕込み酒)”の一つの型である。

*吸収・排泄:不明。多分皮膚を通して吸収される。

*毒作用:2滴で危険症状を起こすことがある。幼児に対する推定致死量は3-4滴。成人致死量は1mL。

症状

*経口摂取:喉と口腔の灼熱の後、酷い腸炎の症状、嘔吐、胸痛、疝痛、下痢(水様又は出血性)。頭痛、傾眠、眩暈と虚脱。皮膚は冷えて湿る。脈拍弱く、血圧と体温は低下、呼吸は遅い。呼吸又は循環障害により死亡。その他、強烈な瀉下作用と同時に激しい腹痛、裏急後重の症候。腸の平滑筋を直接刺激、蠕動運動を亢進させ、腸粘膜を刺激し、炎症を惹起し、分泌を増強させるの報告。

*皮膚接触:局所に炎症と灼熱感。24時間後に水疱が現れ、破れて自然に痕跡亡くなる。その他、発赤、腫脹、水疱、糜爛。更には赤血球の減少、白血球の増加、陰嚢水腫、睾丸萎縮等。大量塗布では死に至るの報告。

*眼:酷い炎症、結膜腐食、角膜混濁。

処置

*胃洗浄は無効の報告。

*緩和剤:牛乳、卵及び粥。出来たら液体を経口投与。又は電解質障害が認められたら食塩とブドウ糖を絶えず静脈内投与。

疝痛にはアトロピン 1mg皮下注射。保温。48時間保てば回復有望:しかし腎及び肝障害が発現した場合、治療延長の必要性。

*解毒薬として黄連あるいは緑豆の煎湯を用いるの報告。

黄連:成分としてベルベリン(抗菌作用)、タンニン(収斂作用)、苦味質。黄連はこれらのいずれかの作用を利用する。

緑豆:解熱と解毒の効がある。

事例

 まもなく、着物を改めていた家臣が「御家老。かような物が衿に縫いつけござりました」

「うむ。これへ持て」淳斉たちが顔を寄せているところへ差し出された物は、何の変哲もない小さな薬袋であった。「なんと、四つ目屋の薬袋ではないか。なにやら細かい字で効能が書いてある。吉之丞、そのほう眼鏡を出して………」、「はっ。かしこまりました」 吉之丞が、やおら懐から眼鏡を取り出して、「まず薬種の名前らしく『巴豆油』と書いてござります」、「なんですって。巴の豆と書いてございますか」と言いながら駆け寄ってきたのは、公事師の伴彦左衛門。息急き切ってくるなり薬袋を見て、さっそく「巴豆油」についての知識を披瀝した。 巴豆油という薬は、巴豆という猛毒を含む植物の種子から採った油で、神経痛や凍傷の薬として外用し、また下剤として内服する劇薬である。「これを飲み過ぎると、からだ中の水分がなくなって、ぐったりいたしますが、そのまま水を飲ませないでおけば、たちまち死んでしまう匙加減のむずかしい薬種でございます』[小松重男:川柳侍;光文社,2003]。

備考

『ミッキーフィン』は、睡眠薬入りの酒というよりは、“仕込み酒”という方が適当ではないかと思われる。最初は気に入らない酒場のおやじに下剤入りの酒を飲ましたということから、出てきた言葉だとされている。『裏急後重(テネスムス:tenesmus)』(りきゅうこうじゅう)は、『しぶり』のことで、強い便意がありながら殆ど排便できず、ついには便所から出られなくなるような状態をいう。直腸に強い炎症があるため、軽度の刺激でも便意が容易に起こるもので、赤痢などで見られるとされている。物語の中で、巴豆油そのものは使う暇がなかかったため、使われていない。しかも薬袋に入れて衿に縫い込んでいたということで、毒物自体は、巴豆油ではなく、油を搾った後の『巴豆霜(はずそう)』ではないかと思われる。

この作品は、別に推理小説というのではなく、どちらかといえば、物語の本筋とはあまり関わりなく、作者の川柳に関する蘊蓄を読み取る物語として読んでいたところ巴豆油なる言葉が出てきて、殆ど聞いたことのない物だったため調べたところ、相当きつい毒性を発揮する物であることが分かったという次第である。

最近、新しい毒物を使った物語に行き合わず、小説を読むのも些か草臥れていたが、期待していなかった物語の中で新しい毒物に行き合うと、ついニヤリとしてしまう。しかし『巴豆霜』は、薬物としては、甚だ使いにくい薬であり、もはや薬としての役割を終わり、お蔵入りしてしまっているのではないかと思われる。なお、処置方法については、対症療法が主で、緑豆が特効的に効果があるという裏付けは得ていない。黄連の解毒効果については、巴豆霜の解毒薬としての効果は期待できないのではないかと思われる。

文献

1)牧野富太郎:コンパクト版3-原色牧野日本植物図鑑III;株式会社北隆館,2002

2)曽根維喜:続東西医学 臨床漢方処方学-優秀処方の組み立て方・東西薬物の併用-;南山堂,1996

3)Anthony T.Tu・編著:毒物・中毒用語辞典;化学同人,2005

4)白川 充・他共訳:薬物中毒必携 第2版;医歯薬出版株式会社,1989

5)南山堂医学大辞典 第19版;南山堂,2006

6)伊澤凡人・他:カラー版 薬草図鑑;家の光協会,2003