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「硫化水素(hydrogen sulfide)ガスの毒性」

金曜日, 10月 5th, 2007

対象物

温泉ガス(硫化水素)

調査者

古泉秀夫

記入日

2006.1.5.

成分

硫化水素(hydrogen sulfide)。H2S=34.08。

一般的性状

無色、空気より重い可燃性の気体(沸点:?60.4℃、融点:?85.5℃)で、低濃度では特有の孵卵臭を呈するが、50-150ppm以上では嗅覚疲労に陥り、臭気を感じなくさせるといわれている。種々の溶媒によく溶解し、1gの硫化水素は水242mL、エタノール94.3mL、ジエチルエーテル48.5mLに溶解する。また、硫化水素は脂溶性が高いため、生体膜を容易に通過するという性質がある。

石炭・石油、天然ガス、火山、鉱山、温泉など自然界から発生するだけではなく、下水、屎尿処理槽、産業的過程での排出、工業的合成によっても発生する。大気汚染防止法で、特定有害物質の一つに指定されている。中毒事故発生時には、救助者が二次被害に遭う事例も多い。

毒性

硫化水素の中毒作用は、全身作用と刺激作用に基づく局所作用に別けることができる。中枢神経系を含む全身作用の機序は、シアン同様、チトクロム酸化酵素等、酸化的リン酸化に与える酵素の阻害、組織中毒性低酸素症を生じることによると考えられている。空気中0.1-0.2%(1000-2000ppm)の濃度で死に至る。▼*シアン化水素と同程度の毒性を有し、低濃度では粘膜を刺激し、高濃度では肺、神経を冒し、咳、嘔吐、頭痛、眩暈などの症状が出現する。▼0.025ppm:臭気を感じ始め。▼3 - 10ppm:不快な臭気。▼20-30ppm:強烈な不快な臭気(孵卵臭)。▼50ppm以上:結膜に対する刺激作用。▼50-100ppm:気道・呼吸器系に対する刺激作用。▼100-200ppm:臭気の消失(嗅覚疲労)。▼500ppm以上:30-60分曝露で致死するといわれている。▼500-1000ppm:致死的呼吸麻痺、不整脈、神経麻痺、急激な虚脱、死亡。▼*許容濃度(25℃,1atm):10ppm。▼マウス(吸入)致死量:60ppm(1時間)。▼ヒト(吸入)50ppm[症状発現]。

症状

高濃度曝露の場合の特徴的症状である『knockdown現象』(急激な虚脱状態)は、極めて急激であり、呼吸抑制、頻脈、振戦、cyanosis(紫藍症)、痙攣などを伴い、致死的となる可能性がある。中枢神経症状は、硫化水素の神経系に対する直接作用と考えられている。患者の示すvital sign(生命徴候)は、徐脈ないし頻脈、過換気又は無呼吸に及ぶ呼吸抑制、低血圧又は高血圧と、重症度により様々な症状が見られる。

局所症状

眼:眼痛、結膜炎、角膜炎、眼瞼浮腫などが生じる。

気道:刺激作用により肺水腫を発症することがある。硫化水素ガスは中等度の水溶性を示し、気道に対する作用は塩素ガスなど水溶性の高いガスと比較すると刺激性はやや低いが、深達性があり、末梢気道に到達し易いとされている。

皮膚:疼痛、掻痒、紅斑等。

処置

治療としては呼吸・循環管理、亜硝酸塩の投与を行う。

▼?速やかに患者を新鮮な空気の場所に移動し、100%酸素を吸入させる。▼?気管内挿管し、機械的人工呼吸を行う。▼?低血圧:ドパミン、ノルアドレナリン等のカテコラミンの持続投与を行う。▼?痙攣:ジアゼパムの静脈投与。▼?まだ、evidenceは不明とされるが、特異的治療として亜硝酸アミル、亜硝酸ナトリウムなど亜硝酸塩の投与が報告されている。▼亜硝酸アミルは毎分30秒間、ガーゼに浸すなどの方法で患者に吸入させ、3分毎に新しいアンプルを開け、亜硝酸ナトリウム投与開始まで続ける。3%-亜硝酸ナトリウム 10mL(未発売:院内調製)を2-4分かけて静注。▼血中メトヘモグロビン濃度が30%程度を越えないようにモニターすべきである。▼なお、硫化水素ガス中毒に対してチオ硫酸ナトリウムの投与は禁忌であると報告されている。

事例

温泉ガス?母子3人死亡 秋田の泥湯・父も重体 都内から旅行

29日午後5時頃、秋田県湯沢市高松の泥湯温泉にある屋外共同駐車場脇の雪山の中で、宿泊客が倒れているのを、探していた「奥山旅館」従業員が見つけた。倒れていたのは家族4人。除雪された雪の山が温泉の熱で溶け、トンネルのような空洞状態になっていた。空洞の内部に硫化水素ガスがたまると、濃度が高くなる場合があるという。

硫化水素は無色のガスで、卵の腐ったような臭いがする。呼吸困難や眩暈、喉の痛みなどの症状を引き起こし、濃度が高いと死に至ることもあるという。現場附近はガスが発生しやすいとされており、過去には死んだツバメやスズメが見つかったこともある。

各地で事故例

火山ガスには硫化水素、二酸化硫黄、二酸化炭素などがあり、過去にも多くの事故を招いたが、特に硫化水素ガスは、濃度が高まると嗅覚を麻痺させるため、噴出に気付かない可能性も高く、死亡例は多い。1989年3月には、鹿児島県牧園町(現霧島市)の温泉旅館の脱衣場で、流入した硫化水素ガスを吸った母娘が死亡した。山でも1971年12月群馬県・草津白根山の中腹で、温泉ボウリング現場から漏れたガスでスキーヤー6人が死亡。1976年8月には同県の本白根山の中腹で女子高生ら3人が、1997年9月には福島県猪苗代町の安達太良山・沼ノ平らで女性登山者4人が死亡した [読売新聞,第46623号,2005.12.30.]

備考

硫化水素ガスの特徴的事項として、”孵卵臭”なるものが挙げられている。しかし、最近身近に腐った卵など存在しないとすれば、”孵卵臭”といわれても解らない。危険性が解らなければ、避けようがないわけで、もっと危険と安全の境目を教える方策を考えるべきではないか。嘗てはガキ大将が仲間を仕切り、それぞれの仲間内には妙な知恵に恵まれた学者がいて、卵の腐ったみたいな臭いのする場所は毒ガスがあって危険だ。山ではそのガスにやられてスズメが墜ちるとか、夾竹桃には毒があるから葉っぱや枝を口に入れてはいかんとか。中には蜂に刺されたときにはオシッコをかけるといいなどという誤った口伝もあったが、それなりに危険を避ける知恵は持っていた。

子供達が群れて自然と戯れる機会が無くなった分、何処かに代わるものを創ることが必要なのではないかと思われる。

今回の事故で亡くなった方々の御冥福を衷心よりお祈りする。

文献

1)志田正二・代表編:化学辞典;森北出版株式会社,1999

2)Anthony T.Tu・編著:毒物・中毒用語辞典;化学同人,2005

3)(財)日本中毒情報センター・編:症例で学ぶ中毒事故とその対策 改訂版;じほう,2000

4)西 勝英・監修:薬・毒物中毒救急マニュアル 改訂6版;医薬ジャーナル,2001

5)山口徹・他総編:今日の治療指針;医学書院,2005

6)高久史麿・他監修:治療薬マニュアル;医学書院,2005