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『そうだ 京都 行こう』

金曜日, 1月 2nd, 2015

           魍魎亭主人

昭和38年に昭和薬科大学を卒業したので、クラス会の名称を「三八会」と付けたが、甚だ安直と云えば安直、但し分かり易いことこの上なく、第11期生(D-1)というのは、忘れてしまっても卒業年次だけは忘れようがない。
京都秋-001

 

クラス会の命名の安直さに比べて、妙に結束力の強いクラスで、卒業後暫くは4年に1回、どういう訳かオリンピックの開催年に併せて、真面目に実施してきた。そのうち亡くなる人がでたことで、クラス会は2年に1回開催することに変更した。
今回その何回目かのクラス会をすることになり、紅葉時期の京都ということになった。旅館はどうするということになったが、筆者が年1回の墓参りを兼ねた京都行きの時に宿泊する“KKRくに荘”(上京区河原町通荒神口上がる)を紹介した。このホテルは久邇宮家所縁のホテルである。
11月17日7:33分発のひかり503号11両目に座席を取れという指示があり、駅に行ってCPで発注した。どうせCPで取るのだからと云うことで、18日は京都18.53分発-東京行きの“ののぞみ48A”の指定券を手に入れた。
今回の参加者19名の内3名は直接ホテルに来ると云うことで、到着した16名京都府内行きを利用して目的地に行くため、新幹線駅構内からJR奈良線のホームに移り、東福寺を目指した。
臨済宗大本山京都秋-002東福寺は、摂政九条道家が、奈良における最大の寺院である東大寺に比べ、また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で、「東」と「福」の字を取り、京都最大の大伽藍を造営したのが慧日山東福寺である。寛元元年(1243年)には聖一国師を開山に仰ぎ、まず天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備したが、元応元年(1319年)、建武元年(1334年)、延元元年(1336年)と相次ぐ火災のために大部分を焼失してしまった。
仏殿本尊の釈迦仏像は15m、左右の観音・弥勒両菩薩像は7.5mで、新大仏寺の名で喧伝され、足利義持・豊臣秀吉・徳川家康らによって保護修理が加えられ、東福寺は永く京都最大の禅苑としての面目を伝え、兵火を受けることなく明治に至った。明治14年12月に、惜しくも仏殿・法堂、方丈、庫裡を焼失した。その後、大正6年(1917年)より本堂(仏殿兼法堂)の再建に着工、昭和9年(1934年)に落成。明治23年(1890年)に方丈、同43(1910)年に庫裡も再建され、鎌倉・室町時代からの重要な古建築に伍して、現代木造建築物の精粋を遺憾なく発揮している。また、開山国師の頂相、画聖兆殿司(ちょうでんす、明兆)筆の禅画など、鎌倉・室町期の国宝・重要文化財は夥しい数にのぼっている。
三門を通り、本堂の横を真っ直ぐ行くと通天橋に居たる。方丈と開山堂を結んで架かる橋で、ここから眺める渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)の紅葉と新緑は絶景とされている。
ここから東福寺駅から京阪本線で祇園四条駅まで行き、四条通を八坂神社目指して歩き、円山公園に抜け、公園から知恩院に抜ける通りの左側にある平野屋本家で“いもぼう”定食なるものを昼飯として予約してあった。“いもぼう”とは、海老芋と棒鱈を焚いた物で、海の無い京都で鮮魚は手に入らないため、鱈の干物を水で戻して芋と一緒に焚く料理が開発されたのだろうけれど、今回で二度目の京都秋-003経験だが、そんなに美味いと云うほどの物では無い。但し、一度は喰ってみる価値はあるかもしれない。日本蕎麦に身欠き鰊の甘露煮を乗せる“にしんそば”も、それほどの事は無いと思えるが、京都名物としている店も在る。
18日は幹事がヤサカ観光に依頼し、バスを手配していた。19名乗車で、拝観料等を含め込み込みで一人10,557円。女性のガイドも付くということで、まあ適正な値段じゃないか。蓮華寺→大原寂光院→大原三千院→永観堂禅林寺→南禅寺というコースが予定されていた。
最初の蓮華寺は余り大きなお寺ではないが、紅葉がいいといわれている。天台宗。庭園は、石川丈山作と伝えられる池泉回遊式庭園で、茶人好みの六角形の笠をもつ蓮華寺型石燈籠がある。鐘楼には黄檗二世木庵禅師の銘のある銅鐘がかかっている。本尊は釈迦如来像。 洛北、叡山鉄道叡山本線の終点、八瀬比叡山口駅の少し手前にあるお寺である。団体で予約しておくと、御住職が寺の案内と庭の見方を説明してくれるが、聞いたことのない話なので面白かった。前に瑠璃光院の帰りに寄ったときは、かみさんと二人だったので説明はして戴けなかった記憶がある。
寂光院は天台宗の尼寺で、推古二年(594年)聖徳太子が父親の用明天皇の菩提を弔うために創建されたと紹介されている。本尊は聖徳太子作とされる六万体地蔵である。平成十二年(2000年)五月九日の火災で損傷(但し重文指定)、新たに復元された本尊が本堂に安置されている。火災は放火で未だに犯人は逮捕されていないと云うが、貴重な文化財に火を付けことになんの意味があるのか。
大原三千院は、天台宗五箇室門跡の一つで京都秋-005、最澄が比叡山に庵を結んだ時、東塔南谷に京都秋-004一堂を建立したことを起源とする寺院。市指定名勝庭園の「有清園」や「聚碧園」、重要文化財の「往生極楽院」、国宝の「阿弥陀三尊像」などが存在する。
永観堂禅林寺は、京都市左京区永観堂町にある浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院。一般には通称の永観堂(えいかんどう)の名で知られる。山号を聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)、院号を無量寿院と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は、空海の高弟の真紹僧都である。当寺は紅葉の名所として知られ、古くより「秋はもみじの永観堂」といわれる。また、京都に3箇所あった勧学院(学問研究所)の一つでもあり、古くから学問(論義)が盛んである。永観堂の御本尊は“みかえり阿弥陀”と云われ、阿弥陀様の慈悲の形が具体的にでているとされている。永観律師の修業時代、先導する阿弥陀が振り向いて「永観、遅し」と云った姿をとどめていると云われている。
永観堂から南禅寺は歩いて数分のところに有り、我々も歩いて行くことになった。バスガイドの説明では、南禅寺の敷地は嘗て永観堂のものであったと云っていた。それからすると永観堂というのは無闇に広かったと云うことだろう。南禅寺の宗派の名前は、臨済宗である。また黄檗山萬福寺を本山とする場合は、黄檗宗と呼んでいる。一般に禅宗という呼びかたは、坐禅を生命とする宗派の意味であり、臨済宗・黄檗宗・曹洞宗の三宗の総称であるという。臨済宗・黄檗宗には15の本山があり、南禅寺はそのうちの一つで、南禅寺派の大本山であると説明されている。
京都秋-010南禅寺が知られているのはテレビの2時間ドラマの推理物の場合、頻繁に登場し、中でも同寺の庭にある疏水は、琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路で、滋賀県大津市で取水され、南禅寺横を通り京都市東山区蹴上迄の区間であると説明されている。疏水の工事は1881年に始まり、1890年に竣工した。疏水の目的は大阪湾と琵琶湖間の通船や水車動力による紡績業、潅漑用水、防火用水などであったと云うが、天皇が江戸-東京に行き、衰微する京都を熟れいて建設されたと云う。
南禅寺を最後に京都駅に向かい、4時30分に解散、それぞれ家路に就いた。

                 (2014.11.26.)

『トリクルダウン』

金曜日, 1月 2nd, 2015

                     魍魎亭主人

この街に引っ越ししてきた時には、既にケーキ屋兼喫茶店として店を開いており、飲ませる珈琲は旨くはなかったが、他にケーキの専門店はなかったので、それなりに売れていた。ところが今月に入って突然本社の営業不振によって閉店するという掲示が店頭に張り出された。

近所の口さがない人々は、手を広げ過ぎたんだという話をしていたが、会社組織で何店かの店を出している会社が、新しい支店を出す場合に、先行きを読み間違える等という単純な失敗を犯すとは考えられない。

丁度選挙が終わり、大勝した自民党は、アベノミクスが承認されたと喜び勇んでいるが果たしてそうか。アベノミクスは国内のデフレ傾向をインフレ傾向にすることによってドル高円安を誘導し、国内の物価を上げる方向に持っていこうとしている。更に都合の悪いことに円安という状況の中で、海外から輸入しなければならない物は軒並み値上がりしている。

小麦粉・バター・チョコレート・アーモンド・砂糖等の原材料が軒並み高騰し、ケーキの値段を上げざるを得ない状況にあるとされる。更に消費税の増税が重なり、商品価格に被せるようなことになれば、客の方はケーキ等の購入を控えるということになるのだろう。環境が急激に悪化したことによって余儀なく閉鎖に追い込まれたと云うことだろう。

総理大臣・安倍晋三政権の経済政策『アベノミクス』は、トリクルダウン理論[trickle-down effect]の実践だとされている。トリクルダウン理論とは『富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる』という理論だと云われている。つまり「大企業や富裕層が更に豊かになれば、経済活動が活発化し、その恩恵が庶民にまで広く行き渡る」とする経済理論又は経済思想であるという。しかし、この理論の実証性については、富裕層を更に富ませれば、貧困層の経済状況が改善するということを裏付ける有力な研究は存在しないと云われており、日本の現在の状況を見れば、頷ける話である。

第一トリクルダウン理論と聞けば、最もらしい理論であるという気がするが、実際はシャンパンタワーを引き合いに出す程度の話のようである。シャンパングラスをピラミッドのように積み上げ、パーティーを彩る飾りとして、結婚式やテレビで見たことがある人も居るはずである。頂点にあるグラスにシャンパンを注ぐことにより、溢れ出した滴が下のグラスに流れ落ち、そのグラスが一杯になれば更にその下のグラスに滴が流れ落ちる。この繰り返しによって、やがて底辺を支えている多数のグラスに酒が満たされると云うことである。

シャンパンタワーのグラスの数は何個にするのか。グラスの段数は何段重ねにするのか。そのグラスに全てに、酒が満ちるほどの酒の量を確保できるのかどうか。上の方に並べるグラスの大きさは、全て下の方に並んでいるグラスと同じ大きさなのかどうか。上の方に特段に大きなグラスがあれば、そのグラスが溢れるまでには時間がかかる事になり、溢れて下に流れるまでに時間が掛かりすぎる。

円安は海外に物を持ち出して売る企業には、強い追い風になると考えられるが、原材料を輸入した物に頼る企業では、強い逆風が吹く環境に成ってしまっている。この状況を改善するためには、極端な円安を改善する努力をすべきであるが、大企業優先の安倍政権は、大企業の収益確保のために、円安を誘導してきたわけで、更に企業減税をすると云っている。企業が収益を上げれば、労働者の賃金アップが可能になり、設備投資をすることで、中小企業にも利益が有り、中小企業の労働者にも恩恵が及ぶと云っている。

現在、企業はその利益を内部留保し、全く出そうとしていない。安倍総理は政労使の会議を持ち、賃金アップについての努力をするようにとの調整を取ったようであるが、賃金は労使の交渉によって決定すべきものであり、労使交渉のテーブルを用意すべきである。

ところで、このトリクルダウン理論は、新自由主義の代表的な主張の一つで有り、この学説を忠実に実践したのが米国の大統領ロナルド・レーガンの経済政策で、レーガノミックス[Reaganomics]と云われたそうである。アベノミクスは明らかにこれの二番煎じで有り、この理論を実践した米国は、最終的に成功したのかどうか。

いずれにしろ、今日本の財界に国の将来を考えている人が居るとは思えない。稼いだ金は内部留保と称して貯めることに躍起になっている。稼いだ金は貯め込むのではなく、労働者に配分する。その原則が無い限り国内の金は動かない。株価が値上がりして、景気がよくなったという。しかし株価の値上がりも、会社の業績が上がったことによる変動ではなく、世界中で余っている金が日本の株買いに走ったために、株価が上がっただけで、金を持っている連中が更にあぶく銭を掻き集めたに過ぎないのではないか。

トリクルダウンの上の器が溢れることがないとすれば、途中から新たな酒を注がなければならない。その意味では春闘における賃金闘争が重要になってくる。春闘で賃金アップをすることで、一番上から落ちてこない流れの分け前を自分たちで獲りに行くより仕方がない。間抜け面をして待っていたとしても、自分の業績しか考えない、今の財界人では、腹を決めることは出来ないのではないか。最もアベノミクスを失敗に終わらせるためには、春闘で賃上げはしないことだ。

              (2014.12.28.)

『群大の腹腔鏡手術・他の肝臓術手も』

金曜日, 1月 2nd, 2015

         魍魎亭主人

ここ何日か群大の手術ミスの話題が、マスコミを賑わせていた。最初は肝臓の腹腔鏡手術を受けた患者8人が死亡したと云うものである。群大病院は2014年12月19日に、病院の所在地である前橋市内記者会見し、調査の中間報告を発表した。
それによると、「8人とも術前検査が不十分で、手術が過大な負担になり容体を悪化させた可能性がある」との認識が示されたが、執刀医が高難度手術を続けた動機など事態の背景にはいまだ不透明な部分が多い。野島美久病院長は「大変残念に思い、責任を感じている」と苦渋の表情を浮かべたとされている。
同病院の第二外科が2010年12月~14年6月に行った腹腔鏡を使う肝臓手術を受けた患者92人中58人が保険適用外の高難度手術だったとみられ、うち8人が手術後100日以内に死亡している。
更に驚くべきは、手術後に死亡した患者について問題点を検証する死亡症例検討会を、この8人の患者が死亡しても開かれていなかったと云う。病院長もその事実を認め、「診療科長(第二外科教授)の責任は重い」と述べたが、なぜ3年半にわたり死亡症例の検討さえ行われなかったのか明確な理由は明かさず、「認識の問題だと思う」とするにとどまった。執刀医が高難度手術を繰り返した意図について問われると、言葉に詰まり、返答に窮する場面もあったとされている。
事態を受けた改善策として、第一外科、第二外科など番号制の診療体制を廃止し、診療科を臓器別に再編成することが打ち出された。群馬大病院では第一外科、第二外科ともに、内部に消化器外科、呼吸器外科、乳腺外科といった診療グループを持ち、重複する。このことが、限られた人材の分散化や閉鎖性を生み、問題の一因となったとみられる。
ただ、同病院では2006年、第一外科が手がけた生体肝移植で臓器提供者に重い障害が残る深刻な医療ミスが発覚している。何年も前にすでに見直しの機会がありながら、今まで本格的な再発防止策に着手できなかった理由もはっきりしていない。今月初旬、次期学長への就任が決まった野島病院長は、自らの責任問題について、「まずなすべきことは、何が問題だったか調査、検証すること。しっかり応えなければと思う」と語ったという。[読売新聞,第49891号,2014.12/.20.]
群大でこの手術をやった方は、開腹手術においても何例かの死亡例を出しているという報道がされていたが、その意味ではどの程度の技術をお持ちの方だったのか。それとも症例数を稼ぎたいと云うことで、手術適応外の重症患者も含めて手術をしたという事なのだろうか。
腹腔鏡手術の場合、開腹手術との比較で云えば、患者側の負担は明らかに少ない。それもあって外科の医師は、安易に手術を勧める傾向があるのではないか。確かに開腹手術と異なり、患者の負担は少ないかもしれない。しかし、手術野は極端に狭くなり、患部を切除する場合も、ある意味遠隔操作である。技術的には相当熟練した技を必要とするのではないか。更に患者の負担が少ないからと云うことで簡単に手術の適応にし、臓器を摘出する。今回の群大の手術例には、そういう事例も含まれていたのではないか。
更に驚くべきは、死亡者が出た事例について、何ら検証がされていなかったという点では、群大の第二外科というのは組織であって組織ではないと云われても仕方が無い。それぞれが好き勝手に自分の仕事をしていたということなのか。
12月26日の報道では、塩崎厚労大臣が医療法に基づく立入り検査を行う方針を明らかにしたという。詳細な事実関係と安全管理体制について調べると発表したようである。厳密な調査結果が報告されることを期待している。

           (2014.12.26.)