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『終末期胃瘻』について

日曜日, 3月 4th, 2012

          魍魎亭主人

日本老年医学会(理事長・大内尉義東大教授)は28日、高齢者の終末期における胃瘻などの人工的水分・栄養補給について「治療の差し控えや撤退も選択肢」との見解を示した。終末期医療に対する同学会の基本的な考え方を示す「立場表明」は2001年に策定されたが、その後の実態に即したものにするため、10年振りに改訂された。近年、口から食べられない高齢者に胃に管をつないで栄養を送る胃瘻が普及。病後の体力回復などに効果を上げる反面、欧米では一般的でない、認知症末期の寝たきり患者などにも広く装着され、その是非が論議になっている。

改訂版では、胃瘻などの経管栄養や人工呼吸器の装着に対する見解が初めて盛り込まれた。高齢者に最善の医療を保証する観点からも「患者本人の尊厳を損なったり、苦痛を増大させたりする可能性がある時には、治療の差し控えや撤退も選択肢」とし、「患者の意思をより明確にするために、事前指示書などの導入も検討すべき」とした[読売新聞,第48837号,2012.1.29.]。

治療の究極の目標は、患者が退院し、自立した日常生活が出来る様にすることであると考えている。

その意味では、治療を行ったとしても、二度と自立した日常生活が送れない。ました意識不明の状態で寝たきりという高齢者では、胃瘻によって単に生命の維持を図るという方法が、果たして医療と云えるのかとの疑念を持つのである。人工呼吸器で強制呼吸を行い、胃瘻によって水分や栄養補給を行えば、一応生きていると思われる状態を維持できるかもしれないが、その様な状態が人として生きていることになるのかどうか。

自力で呼吸が出来ない。自力で栄養補給が出来ない。自力で排泄の処理が出来ない等々の状況が揃った場合、機械を使い、管を通し、むつき(襁褓)に垂れ流す状態を続けることが治療だといわれて、それでも尚生きていると思えるのかどうか。

家族にとっては、例えどのような状況にあろうとも、患者が呼吸をしてさえいれば、生きている。引き続き治療が継続されることを希望するということかもしれない。しかし、無理に生かされている患者にとって果たして幸せなことなのかどうか。何処かで送り出す決断をすることが必要ではないか。

母親の時は、父親が拘りを見せて、最後まで治療を継続することを希望した。従って子供達は何ら意思表示をしなかったが、最後は全く意識を失いながら機械的に呼吸をしているという状態であった。父親に確認はしなかったが、最後まで看取ったという思いを抱いて満足していたのではないか。但し、父親が入院することになった時、同じ轍を踏むことはしないと考えていたので、父親と一緒に住んでいた弟にはその話をしておいた。従って実際に容体が悪化し、医師から延命措置を取るかどうか尋ねられた時、90歳という父親の年令も考えて、その必要はないとお伝えし、人工呼吸器の挿管は回避して貰った。その結果、何ら無理することなく、静に息を引き取ったが、今でもそれでよかったと考えている。勿論、当人の時も、無理な延命措置はしないという事で家族には伝えてある。

          (2012.2.7.)