Archive for 4月, 2009

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薬局苦情拾遺[6]-11)薬局で病名・保険証確認・薬剤師か?

火曜日, 4月 28th, 2009

医薬品情報21
                                                                        古泉秀夫

H18.10.24.「薬局で病名を聞かれた」(患者・電話)

「保険請求が出来ない」との理由で、薬局で病名を聞かれた。病院に聞いたら「(薬局で答える)必要はない」といわれたが、どうなのか?

[事務局対応]お話を伺い、一応納得していただく。

H18.10.25.「無断で保険証のコピーを取られた」(患者・電話)

保険薬局にかかったら、保険証の提示を求められ、無断でコピーを取られた。年配の薬剤師だったが、個人情報の管理に対する認識が低い。薬剤師会の会員かどうか調べてほしい。また、行政にも状況を伝えたいので、行政の連絡先を教えてほしい。

[事務局対応]お話をうかがった上で、当該都道府県の医療安全センターの電話番号を教える。

H18.10.25.「薬剤師かどうか調べたい」(患者・電話)

薬局の薬剤師が本当に薬剤師かどうか怪しい薬局がある。その人が本当に薬剤師であるかどうかを調べるにはどうしたらよいか。また、その薬局から、薬歴や調剤録など、私の個人情報を全て廃棄し、コンピュータ上からも消却してほしいが、その要求は可能か。

[事務局対応]行政に相談するよう話す。

                                                    [薬事新報,No.2490:968(2007)]

 

薬局で保険請求するのに『患者の病名』は必要がないはずである。保険薬剤師が処方せんを受け付けた場合には、処方せんに記入もれや記入誤り等の不備な点がないことを確認しなければならないとされているが、『患者の病名』については、確認しなければならないという定めはない。保険薬局で保険請求する場合、病名がいるのであれば処方せん上に病名欄を設ければいい話で、それがないということは保険薬局での請求事務に、患者の病名は必要がないということである。また、病名は患者固有の秘匿すべき情報であり、妄りに第三者に知らすべき情報ではないはずである。

保険薬局で保険証の確認が求められているのは、処方せんに保険請求上必要とされる記載がされていない場合のみであって、保険証のコピーを取れ等という定めはない。保険証の確認は、月1回月初頭に通院中の医療機関が行えばいいはずで、もし変更があれば、処方せんに反映しているはずである。

保険薬局における保険証の確認については、次の規定がされている。

*特にその処方せんが保険医療機関に従事している保険医から、保険医療を受ける資格のある患者、すなわち被保険者か被扶養者である患者に交付された保険処方せんであることを確かめること、また、処方せんか被保険者証(健康保険継続療養証明書を含む。)によって、患者に給付資格があるか確かめることが必要である。この点を怠ると調剤報酬の支払いが受けられないことがある。

*被保険者記号、番号、保険者名の確認

記号、番号、保険者名などは、保険医によって記載されることになっている。しかし、受付した保険処方せんにたまたま記入もれが発見された場合には、患者の保険証を確認して記入する必要がある。

上記の何れにも保険証をコピーするという規定はなく、病院等でも保険証の記載内容を確認するだけという現状を考えれば、保険薬局が保険証のコピーを取るなどというのは、明らかに別の意図があると勘繰られても仕方がない。各県薬剤師会は、このような具体的な内容について、研修会等で、徹底的に指導するか、Q&A形式で回答が得られるような仕組みを構築すべきである。

保険薬局の職員が本当に薬剤師かどうか疑っている御意見については、率直に言って他に替わるべき保険薬局はないのであろうかという疑問を持つのである。患者と薬剤師の関係とはいえ、人と人の関係であり相性がある。相性の悪い薬剤師のいる保険薬局に処方せんを持参する必要は全くない訳で、『かかりつけ薬局』を作ると言うことからいえば、何軒かの保険薬局を回ってみて、固定するより仕方がない。薬局内に薬剤師名を掲示するようになっており、地区の薬剤師会にも薬剤師の名簿があり確認することが出来るはずである。そこで判らなければ、保健所にも保険薬局の開設者等の名簿はあるはずである。

1)日本薬剤師会・編:保険薬局業務指針2006年版;薬事日報社,2006

                                                                  (2007.10.8.)

総理の人気

火曜日, 4月 28th, 2009

  魍魎亭主人

 

何時も不思議に思うことの一つが、新聞やテレビで騒ぐ総理の人気という話題である。役者や歌い手がその人気に一喜一憂することは解るが、一国の総理に対して井戸端会議宜しく、マスコミが騒ぐのはどういう訳か。つい最近まで、マスコミ受けする総理が居て、マスコミも適当に煽りそそのかした結果、恰も国民的な人気があるような錯覚を与え、どさくさ紛れに国民生活に大きな歪みを押しつける結果だけを残して退陣した総理が居たが、その後は参院の捻れに災いされてか、短命総理が二代続いた。しかしこれもある意味でいうと、マスコミが騒ぐ人気騒ぎに影響された結果ではないかと思っている。

だいたい総理大臣が、大衆的な人気を得るために、大衆迎合的な政策を行うということは、有ってはならないことなのではないか。確かに耳障りの良いことを言い続ければ、大衆的人気は得られるかもしれないが、それが必ずしも国家の運営方針として正しいのかどうかは解らない。大衆的に口に苦い政策で有っても、必要なものは実行しなければならない。総理大臣の評価は、国民のためにどの様な政策を実行したかで決まるのであって、短期に結果が出なければならないというものばかりではないはずである。少なくとも20年30年の長さで展望できる政策でなければ話にならない。勿論短期決戦を求められるものもあるかもしれないが、総体としてどうかという評価でなければならないのではないか。

特に高齢化社会を迎える我が国にとって、老老介護などはいずれ破綻を来す。その意味では医療・介護に優秀な人材を確保できるだけの財政投資は是非とも必要である。

最近の病院の荒廃、福祉関連職場における人手不足等の現状を見れば、医療・福祉に予算付をすることの重要性は、誰が考えても解る話である。更に派遣労働者の労働条件の確立も重要である。このまま放置しておけば、失業者は更に増え、税金を払わない国民ばかりが増えることになる。自動車やテレビなどの製造業が、国民全体を雇用する場を提供することは困難である。今こそ農業、漁業の就業者の確保、医療・福祉への人材の確保。国内で大きく雇用を吸収できる部分に、人材確保のための施策を立てることが今求められているのではないか。

長期的な展望を示し、その見通しに立って財源の確保を考えるなら、消費税の税率を上げることもやむを得ない。高齢化社会を迎える中で、働き手の多くが高齢化している農業・漁業にどの様な人の配置をするのか。また、医療・福祉にどの様に人の手当をするのか、国民の老後を保障する年金、医療、介護の問題をどうするのか。目先の問題ではなく、長期のわたる展望を示すべきであって、直近の課題での一喜一憂に集約することは避けるべきである。

更に言わせて戴ければ、国会議員諸氏は、何のために国会議員になったのか。何かやりたい政策があり、その達成のために政治家になったのではないのか。もしそうであるなら、人気のある総理とポスターの写真を撮る等というのは茶番ではないのか。政策実行に向けて、貴方が何をやったのか、その実績を訴えることで選挙戦を戦うべきであって、人気のある国会議員?と一緒に写した写真をポスター掲載することで当選するというのでは、立候補する方は貴方でなくても良いと判断されてしまうのではないでしょうか。

   (2009.4.18.)

『七福いなり』

火曜日, 4月 28th, 2009

鬼城竜生

『羽田七福いなり』なるものがあるという。約2時間で回れるというので、1月3日出かけることにした。普段は殆ど無人のようであるが、1日から5日迄は、御朱印が貰えるということだったので、それも楽しみにしていた。

京急蒲田駅で京浜急行羽田線の電車に乗り、糀谷駅で降りる。下り方面の踏切を渡って、糀谷商店街を真っ直ぐ行き、荻中商店街をみずほ銀行側に曲がり、約10分の行程で萩中神社に行き着く。その裏手に東官守稲荷神社(身体安全)があり、本日の第一号である。

『東官守稲荷神社』は、昔は萩中町7番地(旧番地)辺りにあり、敷地も広く東に向き、海に向かって建てられていたという。当時この地に住む村人の殆どは半農半漁の生活をしていたので、海での仕事の安全を祈る守護神として、村人達の信仰を集めていた。大稲荷七福神-01 正6年の風水害により社は被害を受けたが、萩中神社再建の際、萩中神社の境内に移された。しかし、また昭和20年4月、戦災の為焼失してしまったが、町民の努力により再建されたとされている。

萩中神社の前の道を真っ直ぐ行き、次の十字路を右に、直ぐの脇道に入ると『妙法稲荷神社』が見えてくる。神社を出て直ぐ左に曲がり運送会社の前を過ぎると『重幸稲荷神社』(開運長寿)の旗飾りが見える。

『妙法稲荷神社』(招福厄除)は、享和元年9月(1801年)大洪水の被害から立直る為、京都伏見大社の分霊を賜り、大松の下に社殿を建立し、鎮座されたものと伝へられている。この松の根元には白蛇が住み、神の使いと云われた事から、蛇稲荷とも呼ばれ信仰を集めていた。大正12年の関東大震災の折、大松も社殿も焼失したが、当地の有志により松の切株の上に八角堂が建立され、妙法稲荷と呼ばれ信仰を集めていた。昭和20年の戦災によって八角堂は焼失したが、昭和31年崇敬者並びに地元有志により現在の社殿が建立されたとされている。

また『重幸稲荷神社』(開運長寿)については、昔、この辺り一帯は大野上田と呼ばれていた。度々の洪水に悩まされた村人達は、多摩川のほとり旧六郷土堤の際に田畑の守護と五穀豊穣を祈って社を建立した。社前の道路は旧六郷土堤であり、現在の社の高さが旧堤防の高さであった。境内には樹令400年、幹まわり3.5メートルの楠の大木があったが、昭和20年4月の大空襲で焼失してしまった。社前の道路が一部膨らんでいる事が、大木のあったことと歴史の古さを物語っているとする解説がされている。

稲荷七福神-02 『重幸稲荷神社』をでて、左に道を取り都南小学校を過ぎると『高山稲荷神社』に到着する。『高山稲荷神社』(学業成就)については、この辺りは中村と呼ばれ、社殿は名主橋爪家(伊勢屋=本羽田三丁目辺り)の前にあったが、昭和4年の六郷土堤改修工事の際、現在地に移転された。移転前の社が飛騨高山より来た大工によって建築された事から、高山稲荷と呼ばれる様になったと云われている。戦前の初午祭には、芝居も催され大層の賑わいをみせた。この辺りの親達は初午の日に社前に小屋を作り、子供をお籠りさせてから寺小屋に入門させたと云う解説が見られるが、現在では、それほどまでに地域に密着していた神社とは思えない。

都立つばさ高の前を通り過ぎると産業道路の太子橋の近くにでる。更に高速第1号横羽線を過ぎて左手に『鴎稲荷神社』(開運招福)が見える。この社に現存する石の鳥居には弘化2年(西暦1845年)建立と刻まれている所から、御鎮座はそれ以前となるとされている。その昔、漁師たちが祈願すると鴎(かもめ)が飛来し大漁であったと云うことから、鴎を大漁の兆しとして崇め、以後「鴎稲荷」と呼ばれるようになった。大正13年頃社屋を新築したが、昭和20年の戦災で焼失してしまった。その後町民により再建され、現在でも初午の夜は篝火を焚き太鼓を打ち鳴らしているとされる。

多摩川沿いの道をそのまま突き当たりまで行くと『玉川弁財天』(金運長寿)に辿り着く。『玉川弁財天』は、江戸名所図会に“羽田村の南も洲の先にあり、故に羽田弁財天と称せり。本尊は江の島本宮巌屋弁財天と同体にして、弘法大師の作なりといへり。宝永八稲荷七福神-03 年(西暦1711年)四月此地に遷し奉る云々”とある。社頭は、江戸新堀小西九兵衛という酒問屋が全て造ったとされ、境内の一部に常夜灯があり、沖行く舟の目標であったと云う。また、当社にまつわる様々な版画も残されている。現在の羽田空港内(要島・鈴木新田)にあったが、昭和20年9月連合軍の強制立退命令により現在地に遷った。

神社の社殿に詰めていた方々が、羽田の神社の中ではここが一番古い神社で、穴守稲荷より古いと自慢していた。

『この神社は広重の江戸名所図絵にも書かれている。』
『はあ、そうなんですか』
『広重と言っても初代広重が描いたんでそれだけ古い』
『そうなんですか』
しかし、歌川広重の初代が何年頃の人か見当がつかないため、その時は余り驚かなかったが、名所江戸百景は、浮世絵師の歌川広重が安政3年(1856年)から同5年(1858年)にかけて制作した連作浮世絵である。広重最晩年の作品であり、その死の直前まで制作が続けられた。最終的には完成せず、二代目広重の補筆が加わって、「一立斎広重 一世一代 江戸百景」として刊行されたとする紹介を後で読んで、153年前に描き始めた中の一枚であるということを知り、それは自慢しても仕方がないと納得した次第。

稲荷七福神-04 『玉川弁財天』を出て川っぷちを左に行くと弁天橋に辿り着く。橋に続く道を左に曲がると『白魚稲荷神社』(無病息災)の前に出る。 武蔵国風土記によると”漁士白魚を初めて得しときは、まず此の社に供ふる。故にかく云へり”と社名の由来が記載されているとされる。多摩川の砂利砂採取が行われるようになった頃、この事業に従事する人たちの信仰を受け、社頭は大いに盛んであった。昔、この附近は藁葺き屋根が多く、漁師町特有の建込んだ家並みから、火事が起らないよう祈願する人も多く火伏せの神様としても信仰がある。その為か、この社は先の大戦の戦火を免れたという。

『白魚稲荷神社』の隣を右に曲がり、暫く歩き京浜急行羽田線の線路を過ぎると『穴守稲荷神社』に辿り着く。『穴守稲荷神社』は文化元年(西暦1804年)頃、鈴木新田(現在の空港内)開墾の際、沿岸の堤防がしばしば激浪のため大穴が生じ、被害を受けた。そこで稲荷大神を祀り御加護を願った所、以後風浪の害も無く霊験あらたかであった。昭和20年の終戦によってて、米軍の羽田空港拡張のため現在地に遷座した。終戦当時から数々の神秘的現象が起った為、畏れられ取り壊せず活き残った大鳥居として、今でも空港内に聳えている。空の旅をする人達の中には、当社の御守りを授かっていく人も多いとされている。
以上の解説は、羽田七福いなり会が発行する参拝のしおりに記載されている内容である。所要時間約2時間ということであったが、初めての道をあちらこちら探しながら歩いていたので、本当ならもっと簡単に回れたのかもしれない。

御朱印は各神社に用意してあるということであるが、『穴守稲荷神社』以外は全て押印方式で、一部日付を手書きしてくれるところ稲荷七福神-05 もあった。『穴守稲荷神社』だけは手書きで記入した後、御朱印を押して呉れたが、まあ、普段人のいない神社であり、墨文字を手書きできる人がいなくとも仕方がないかもしれない。更に『玉川弁財天』が入ると七福ではなく、八福になるが、同じ羽田にあるよしみで、一緒に巡るようになっているのだと思われる。

しかし、この一巡りの道順で、戦争による被害を受けている神社が多い上に、戦後に進駐軍の追い立てを食らって遷座した神社まである。古い物が一気に無くなるということで言えば、戦争は最悪の行為と言うことが出来るが、何故無くならないのかという点でも戦争というのは捉え所のない鵺みたいな現象だといえる。

産業道路に面して太子橋の北詰に『羽田神社』がある。前回参拝した時には人がおらず、御朱印を戴けなかったので、『玉川弁財天』に行く前に『羽田神社』に寄った。『羽田神社』の御由緒によると、『羽田神社』は須佐之男命、稲田姫命(いなだひめのみこと)が御祭神で、羽田総鎮守、羽田の氏神さまとして羽田全域から現羽田空港まで広く氏子を有する。殊に航空会社各社の崇敬の念も厚く、正月から年間を通して運行安全祈願・航空安全祈願の参詣がある。また、文久元年(1861年)に疱瘡(天然痘)が蔓延した時、時の将軍・徳川家定が病気平癒祈願に参詣し治癒した故事により、病気平癒を祈願する参拝者も多い。

御祭神は御夫婦の神をお祀りする。従って縁結び・勝負事にも御神徳があると説明されているが、夫婦の神を祀れば何故勝負事に御利益があるということになるのかその辺は良く解らない。

約800年前の鎌倉時代に羽田浦の水軍の頭で領主だった行方与次郎が牛頭天王を祀ったのがその起こりとされている。徳川時代には徳川家、藤堂家等の信仰が厚く、明治元年(1868年)の神仏分離令により自性院境内に祀られていた牛頭天王社は、八雲神社として独立、明治40年に羽田神社と改称された。

境内には明治初年に造られた『羽田富士』があり、これは富士山に憧れた当時の人々がその姿を模倣して造った築山で、大田区の文化財に指定されているという。同時代の鉄製の天水桶には鋳物師・鍋屋七右衛門という銘のある珍しい物であると紹介されている。

『羽田神社』のお祭、通称『羽田まつり』は、御輿の担ぎ方が独特で通称『ヨコタ』と言われているとの紹介がされている。これは御輿を左右九十度に倒し、大きく揺れながら進む方式で、右の人が跳ね上がると左の人が沈む、これを交互に繰り返す一種独特の担ぎ方であるという。

7月最終土・日が夏季例大祭、日曜日の午後から行われる町内神輿連合会の渡御では12町会12基の神輿が3時間近くヨコタで練り歩くという。一度写真を撮りに行きたいところであるが、混雑を考えると腰が引ける。

(2009.2.21.)

「ラウリル硫酸ナトリウムについて」

木曜日, 4月 16th, 2009

KW:薬名検索・毒性・ラウリル硫酸ナトリウム・sodium lauryl sulfate・アルキル硫酸ナトリウム・ドデシル硫酸ナトリウム・陰イオン界面活性剤・SLS・SDS

Q:ラウリル硫酸ナトリウムの性状及び毒性につい

A:ラウリル硫酸ナトリウム(sodium lauryl sulfate)[局]。Sodium lauryl sulfate[JP]、Sodium lauryl sulfate[BP]、Sodium Lauryl Sulfate[NF]、Sodium lauryl sulfate[USP]、Sodium Laurilsulfate[EP]、Natrii laurilsulate[PhEur]。CAS-151-21-3。

別名:Dodecyl sodium sulfate:Elfan 240;Empicol LZ;Maprofix 563;Marlinat DFK30;Natrapon W;sodium dodecyl sulfate;sodium laurilsulfate;sodium laurisulfate;sodium monododecyl sulfate;sodium monolauryl sulfate;Stepanol WA100。

本品は主としてラウリル硫酸ナトリウム(C12H25NaO4S:288.38)からなるアルキル硫酸ナトリウムである。尚、USPでは、ラウリル硫酸ナトリウムを主体とするアルキル硫酸ナトリウムの混合物であるとして記載されており、PhEurでは85%以上のアルキル硫酸ナトリウムを含むと記載されている。融点:204-207℃(純物質)。

SLSは白色-淡黄色の結晶、薄片又は粉末で、滑らかな感触があり、石鹸のような苦味と僅かに特異(脂肪様)な臭いがある。本品はメタノール又はエタノール(95)にやや溶け難い。クロロホルム及びエーテルには殆ど溶けない。本品1gは水10mLに澄明に又は混濁して溶け、これを振り混ぜる時泡立つ。あるいは水に溶けて乳白色溶液になる。SLSは石鹸のように加水分解してアルカリ性反応を呈することはなく、1%水溶液のpHは6.0-7.0である。またcalcium saltやmagnesium saltも沈澱とはならないから硬水中でも乳化作用、洗浄作用がある。

本質:乳化剤・溶解補助剤。

来歴:1930年独逸で椰子油を原料とする高級アルコールが工業的に製造され、1933年にLattermoser,Stollらがその硫酸エステルとしての性質を研究した。

薬効薬理:SLSは、陰イオン性界面活性剤で、乳化剤として優れ、また殺菌作用がある。黄色ブドウ球菌に対するフェノール係数は約5である。その他、SLSはグラム陽性菌に対して殺菌作用を示すが、多くのグラム陰性菌に対しては有効でない。スルファニルアミド、スルファチアゾール等の抗真菌活性を増強する。

動態・代謝:35S-ラウリル硫酸塩をラットに経口投与すると、その放射能の殆ど全部が尿中から回収される。尿中代謝物としては4-ヒドロキシ酪酸の硫酸エステルと無機硫酸が同定されている。従ってラウリル硫酸のアルキル鎖は体内、特に肝でω酸化を受けた後、炭素鎖4になるまでβ-酸化が繰り返され、その一部は硫酸エステルが加水分解されるものと思われる。

適用:陰イオン性界面活性剤、洗浄剤、乳化剤、発泡剤、皮膚浸透剤としての用途が主であり、粉末又は液状シャンプーに用いられる。また硫酸ナトリウムを配合して湿疹用石鹸とする。製剤用には可溶化剤の他、錠剤やカプセル剤の滑沢剤、湿潤剤として使用される。

医薬品製剤への応用:SLSは、経口医薬品製剤や化粧品の幅広い領域で使用されている陰イオン性界面活性剤である。塩基性、酸性のいずれの条件下でも効果のある洗剤であり、湿潤剤である。その他、電気泳動法の分析への応用が見られる。ラウリル硫酸ナトリウムのポリアクリルアミドゲルの電気泳動は、蛋白質の分析手法として広く使用されている。また、MEKC法(micellar electrokinetic chromatography)の選択性を向上させるために使われる。

製剤:親水軟膏。但し、親水軟膏の組成は、日局Xから界面活性剤であるSLSの皮膚刺激を考慮してポリオキシ硬化ヒマシ油60とモノステアリン酸グリセリンに処方が変更されたとする報告。

用途 濃度(%)

脂肪酸alcoholと自己乳化基剤を形成する陰イオン性乳化剤

0.5-2.5
薬用シャンプーの洗剤 約10
外用の皮膚洗浄剤 1
CMCより高濃度溶液の安定化剤   >0.0025
錠剤の滑沢剤 1-2
歯みがき剤の湿潤剤 1-2

安定性:SLSは、通常の条件下で安定である。しかし溶液中で極端な条件、例えばpH2.5以下では laurylalcoholと硫酸ナトリウムに加水分解する。バルクは強い酸化剤を避け、気密容器・乾燥した冷所に保存する。

配合変化:SLSは、陽イオン性界面活性剤と反応し、低濃度でも沈澱が生じ、活性が低下する。石鹸とは異なり稀酸やカルシウム及びマグネシウムイオンと配合できる。SLSの水溶液は軟鋼、銅、真鍮黄銅、青銅やアルミニウムに対して腐食性がある。SLSはアルカロイド塩と配合不可であり、鉛やカリウム塩により沈澱する。

安全性

SLSは、化粧品や経口・外用医薬品製剤に広く使用されている。皮膚、眼、粘膜、上気道や胃に対する刺激性を含む急性毒性を持つ中程度の毒性物質である。

希薄溶液に長期にわたって曝露されると、皮膚の乾燥やひび割れ等の接触性皮膚炎を惹起する。肺感作により亢進した気道機能の障害や肺アレルギーを惹起する可能性がある。動物実験で静注により肺、腎臓、肝臓への顕著な毒性を惹起することが報告されている。しかし、バクテリアによる変異原性試験では陰性であることが明らかにされている。

化粧品や医薬品製剤におけるSLSの有害作用は、主として外用剤として使用した後の皮膚や眼に対する刺激性に関連している。

ヒトの静脈内注射剤に用いてはならない。ヒトの経口致死量は0.5-5g/kgである。

LD50(マウス腹腔内):0.25g/kg
LD50(マウス静脈内):0.12g/kg
LD50(ラット経口):1.29g/kg
LD50(ラット腹腔内):0.21g/kg
LD50(ラット静脈内):0.12g/kg

取扱い上の注意

1)取扱う環境と使用量について一般的な注意が必要である。
2)吸入・皮膚、眼への接触は避けるべきである。状況により眼の保護具、手袋や保護服の使用が望ましい。
3)適切に換気し、防護マスクをするべきである。
4)長期間又は繰返し曝露することは避けるべきである。
5)SLSは、燃えると有毒な煙が発生する。

以上の他、『ドデシル硫酸ナトリウム(sodium dodecyl sulfate:SDS)』として次の報告がされている。

(1)SIDS(screening information data set;スクリーニング用情報データセット)に報告された影響及び曝露時の初期評価に基づくと、SDSのヒトと環境に対する危険因子である可能性は低いと考えられる。従ってSIDS後に試験及び/又は曝露分析あるいは詳細なassessment(査定)を優先的に実施する必要性は現在のところ無い。

(2)SDSの生産量は独逸で約10,000頓/年である。SDSは洗剤、分散剤、化粧品、洗面用化粧品に界面活性剤として使用されている。SDSは次の特性を示す。

1.容易に分解される。
2.生物蓄積が少ない。

環境中のSDSに対して最も鋭敏な生物種は二枚貝のCorbicula fluminea(シジミ貝の1種)である(30日間NOEC*=0.65mg/L)。全ての関連毒性評価項目が網羅されている。SDSは毒性の低い物質である。SDSは種々の試験系において突然変異を誘発しなかった。反復投与毒性の最大無作用量が確立されており、100mg/kg/日である。水圏における局地PECは2.3μg/Lと推定され、背景地域PEC*の2.3μg/Lに加算される。

*NOEC:「無影響濃度」(no observed effect concentration)
*PEC:「予測環境濃度」predicted environment concentration

成人消費者は最高0.030mg/kg体重/日曝露され、乳幼児は0.034mg/kg/日曝露されていると計算される。しかし、最も高い消費者曝露は、子供に生じると推定され、最悪の場合の曝露量は0.160mg/kg/日である。乳幼児(約0.25mg/kg/日)と成人(約0.05mg/kg/日)の曝露量はもっと少ない。職業曝露量は約0.100mg/kg/日と計算され、労働者では消費者曝露と職業曝露を合わせると約0.130mg/kg/日と推定できる。

0.65mg/LのNOECに基づくと、水圏への危険性は無いと思われる。最悪の場合のヒト曝露(子供)の安全マージン>600がリスクアセスメントで確立された。毒性学的データの質と量及び認められた健康への影響(軽度肝臓毒性)の種類を考慮すると、>600の安全幅で十分であると考えられる。それ故SDSによるヒトへの健康に関する懸念はないと結論付けされる。

従って今後の研究への勧告は『無い』。

1)第十五改正日本薬局方解説書;廣川書店,2006
2)大谷道輝:スキルアップのための皮膚外用剤Q&A;南山堂,2005
3)医薬品添加物ハンドブック;薬事日報社,2001
4)ドデシル硫酸ナトリウムJETOC,2003:社団法人日本化学物質安全・情報センター[Japan Chemical Industry Ecology-Toxicolog y Information Center:JETOC],2009.4.15.

[011.1.SLS:2009.4.16.古泉秀夫]

「メチロシンについて」

金曜日, 4月 10th, 2009

KW:薬名検索・メチロシン・メチロジン・metirosine・metyrosine・Demser・デムセル

 

Q:メチロシンについて

 

A:メチロシン(metirosine)[INN,35]。別名:metyrosine、L-588357-O、α-MPT、MK-781、CAS-672-87-7。メチロジン。

[効]降圧(悪性褐色細胞腫)、tyrosinehydroxylase阻害剤。褐色細胞腫(手術適応例の術前短期治療、又は手術不適応例の長期治療)。

[作用]チロシンヒドロキシラーゼの阻害。

[用]手術前5-7日間、1日2-3g内服。成人小児(12歳?)1回250mgを1日4回の内服から開始し、1日250-500mgずつ増量(1日最高量4g迄)。維持量として1日2-3gを4回に分服。

[規格]250mg/Cap.

[註]少なくとも術前5-7日前に服用のこと。

[商]Demser.(Merck)。

tyrosinehydroxylase阻害薬としてのmetirosineは、チロシンのDOPAへの変換を妨げ、カテコールアミン合成を50-80%減らす。metirosineは主として褐色細胞腫の患者の術前に投与され、手術が行えない時には治療に役立つかもしれない。

治療に用いる量は、毎日600mgから3,500mgであり、極量は4000mg(4g)/日である。平均投与量は1500mgで、投与量に相関して尿中catecholamine減少が起こり、これは高血圧を抑制してcatecholamine過剰による他の症状を抑制するために十分な量である。metirosineの結晶が尿中に排出される可能性があるため、経口的に多量の水を摂取する必要があるかもしれない。今日までの経験では、長期投与により良好な治療効果をもたらし得ることが示唆されている。metirosineに耐性が生じ得るかどうかは不明である。

[副]不安・鎮静、振戦、下痢、乳汁分泌過多等が報告されている。治療中止後に少数の症例で不眠症が起こり得る。
殆どの患者が気付く本剤の最も一般的な副作用は、鎮静作用である。低用量、高用量の両者に発現し、服用後24時間以内に始まり、2-3日後に最大に達し、次の何日間かに衰退していく傾向が見られる。鎮静は増量しなければ通常1週間経過後に消失するが、2000mg/日より多い量ではある程度の鎮静か疲労感を感じるかもしれない。

錐体外路系の徴候として妄言、多弁、振戦が10%程度報告されている。これらは時に咬痙やパーキンソン症候群を伴っている。
憂鬱、幻覚、見当識障害、錯乱状態等。これらの発現は用量依存性の可能性があり、適量に調節することで消失するかもしれない。
下痢は約10%の患者に起こり、激しい場合がある。止瀉剤の併用投与が必要な場合がある。

稀に胸部に腫れ物が出来たり、乳漏症、鼻閉、唾液分泌減少、口渇、悪心、腹部痛、陰萎、射精不能が起こるかもしれない。結晶尿症(要注意)、一時的排尿障害、血尿が数人の患者で認められた。血液系統として好酸球増多、貧血、血小板減少症、血小板増加症、またS-GOT増加、末梢における浮腫、過敏反応、蕁麻疹、咽頭の浮腫等が見られる。

 

1)薬名検索事典;薬業時報社,1991
2)飯野靖彦・監訳:スカット・モンキーハンドブック-基本的臨床技能の手引き;MEDSi,2003
3)国立国際医療センター薬剤部医薬品情報管理室・編:FAX.DI-News,No.415,1992.9.30.
4)Demser添付文書,1985

 

[011.1.DEM:2009.1.1.古泉秀夫]

「ツルドクダミについて」

金曜日, 4月 10th, 2009

KW:薬名検索・ツルドクダミ・漢方薬・カシュウ・何首烏・タデ科・赤斂・セキレン・地精・首烏・蔓どくだみ

 

Q:ツルドクダミについて

 

A:次の通り報告されている。

カシュウ(何首烏)[日華子諸家本草]。

[異名]地精[何首烏録]、赤斂(セキレン)[理傷続断秘方]、首烏[経験方]、陳知白[開宝本草]、紅内消[外科精要]、馬肝石[本草綱目]、黄花烏根・小独根[雲南中草薬選]。

[基原] タデ科タデ属の植物。何首烏(和名:ツルドクダミ)の塊根。

[原植物]ツルドクダミ(葉がどくだみ様で、つる性のため命名)、Polygonum multiflorum Thunb.、中国原産。享保5年(1720)に渡来。塊根を漢方薬用に栽培。現在は逸出し野生化している。

野苗・交茎・交藤・夜合・桃柳藤[何首烏録]、赤葛・九真藤[斗門方]、

「OPC-67683について」

金曜日, 4月 10th, 2009

KW:薬名検索・治験記号・OPC-67683・nitroimidazo-oxazole・抗結核薬

 

Q: 治験記号OPC-67683の薬剤について

 

A:OPC-67683(nitroimidazo-oxazole)は大塚製薬で創薬された新規のnitroimidazole誘導化合物の抗結核薬である。本薬はin vitroで、耐性臨床分離株を含む結核菌にMIC値6-24ng/mLと強力な活性を示し、既存抗結核薬との交叉耐性は見られなかった。

in vivoでは、結核菌kurono株感染IRCマウスモデルに対する1日1回28日間経口投与で、肺内生菌数を指標とした有効性は、rifampicin、isoniazidと比べて6-7倍強力であった。ICRマウスへの本剤0.625mg/kg単回経口投与で、血漿中有効濃度は、100.4ng/mL、肺内有効濃度は273ng/gであった。本剤と既存結核剤との併用で、in vitro、in vivoの何れにおいても拮抗作用は認められなかった。

結核菌H37Rv細胞内感染のTHP-1ヒトマクロファージに対し、本剤、isoniazid、rifampicinは72時間曝露で抗結核菌活性を示したが、ethambutol 、streptomycin、pyrazinamideは最大6.25μg/mLでも活性を示さなかった。本剤、isoniazid、rifampicinの90%殺菌濃度はそれぞれ215、123、>780ng/mLで、本剤の細胞内活性は、濃度と時間に依存した。2、4、8、24時間のパルス処理では、本剤の抗結核菌活性はisoniazid、rifampicinと比べて、それぞれ1.8、3.2倍強力であった。本剤は同結核菌感染A549II型肺胞内皮細胞内でも同様の活性を示したことから宿主細胞のタイプに係わらず、細胞内で抗結核菌活性を発揮することが明らかになった。

本剤は比較的良好に経口吸収され、殆どの組織に分布した。分布量は肝臓>腎臓>肺>心臓>小脳>脾臓>血漿の順で、肺組織内濃度は血漿中の3-7倍であった。本剤は肝ミクロゾームで代謝されず、血漿中に主要代謝産物は存在しなかった。また肝ミクロゾームの何れのCYP酵素に対しても阻害活性を示さなかったことから、他剤と併用投与した場合に、薬物動態的相互作用を起こさないことが示唆された。
本薬は2005年12月に米国Washington DCで開催された45th ICAAC国際学会で初めて世界に公表され、世界中から注目を集めるトピックスとなった。現在本薬は海外で第II相臨床試験を継続中である。国内においても第I相臨床試験を終了しており、2007年度から第II相臨床試験に入る予定とされている。

結核患者の年間発生数は少ないとはいえ、一定数以下に減少しようとしない現状があり、更に多剤耐性菌の発現が問題となっている。新しい抗結核薬の開発に対する期待は大きい。本剤が早い時期に臨床現場で使用できるようになることを期待したい。

 

1)ミコール酸阻害作用を有する結核治療剤-OPC-67683;New Current,17(2):18-20,2006.1.10.

 

[011.1.OPC:2008.2.5.古泉秀夫]