Archive for 7月 26th, 2008

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『米・ヘパリン剤で死者81人』

土曜日, 7月 26th, 2008

 

医薬品情報21
古泉秀夫

 

米・食品医薬品局(FDA)は人工透析などの際に血液凝固を防ぐために使われる『ヘパリンナトリウム製剤』の副作用によると見られる死者が、2007年から2008年2月までに62人に上がったと発表した。2月に約20人の死亡を発表したが、その後に報告が相次いだ。FDAはヘパリンに似た化合物の混入が原因と見ており、ヘパリン製剤を塗布した医療機器などについても混入の有無を調べるよう、業界に指導する。

発表によると、副作用と見られるアレルギー症状による死者は、2006年3人、2007年は10月まで計13人だったが、11月に入り急増した。副作用の多発は当初、米バクスター社の製品で発生していたが、今回の62人には他社製品による発生も含まれている。国内の3社もバクスター社と同じ中国の工場で作った原材料を使っていたため、製剤を自主回収している。

ただ、現時点で混入物と副作用の因果関係は解明されていない。

人工透析などの際に血液凝固を防ぐために使われる「ヘパリンナトリウム製剤」の副作用問題で、国内2社が輸入した製剤の原薬から不純物が検出されていたことが厚労省などの調べで判った。米バクスター社等の製品を使った米国の患者81人が2008年3月までにアレルギー反応で死亡して発覚した。検出された不純物は、製剤の主成分であるヘパリンと似た『過硫酸化型コンドロイチン硫酸』。副作用との因果関係は不明だが、米食品医薬品局(FDA)が原薬を供給していた中国企業を調査したところ、提出された試料から、本来は含まれていない過硫酸化型コンドロイチン硫酸を検出。その後、他国の複数の企業の原薬からも見つかった。

厚労省が国内の各企業に製剤や原薬の検査を指示した結果、2社が輸入した原薬に含まれていることが判明した。製剤からは検出されなかったが、2社は独逸と中国の企業から不純物を含んだ原薬を輸入・保管、中国企業は米バクスター社にも出荷していた。

国内では3月、製剤を製造・販売していた別の3社が、米バクスター社と同じ供給源(米国)の原薬を使っていたため、製品を自主回収している。しかしこの不純物は、国内のヘパリン製剤会社が今回導入を決めた厳格な検査方法で、確認できるとして、厚労省は問題のない製剤については出荷を認めることを決めた。

ヘパリンナトリウム製剤の添付文書に記載されているヘパリンナトリウム(heparin sodium)の原料は『健康なブタの小腸粘膜に由来』する物質から精製するとされている。ブタなら相当広範囲な国で飼育されていると思われるが、何故、こんなものまで中国依存になるのか。製造するものに関して、中国は色々と問題がある国であることは、今まで報道されたニュースの中味が証明している。

ヘパリンナトリウム製剤は、一般に広く知られる薬というのではないが、医療上は重要な役割を持っている医薬品である。これがもし手に入らないという状況になったとすれば、医療業務の一部は間違いなく干上がってしまう。それほどに重要な薬の原料を、世界中が中国に頼っているというのは間違いではないか。少なくとも重要な薬の原料は自給する気構えがないと問題が起こる。

ただ、米国での副作用報告の大部分は、高用量(5,000-50,000単位)のボーラス(bolus)投与(迅速な作用を期待して静脈内に高用量の薬物を短時間で投与する方法)によるものとされていることから、厚生労働省は品質問題だけではなく、使用に際し『投与量・投与速度』について留意するよう注意を喚起している。

 

1)読売新聞,第47451号,2008.4.9.
2)読売新聞,第47465号,2008.4.23.
3)薬事・食品衛生審議会医薬品等安全対策部会安全対策調査会;ヘパリンナトリウム製剤等について,平成20年4月22日

 

(2008.5.1.)

「フィブリン糊使用550カ所」

土曜日, 7月 26th, 2008

  

医薬品情報21
    古泉秀夫

縫合用接着剤として『フィブリン糊』を使用していた医療機関が約550カ所に上がることが田辺三菱製薬の調査で判ったとされる。カルテ等が残っている血液製剤フィブリノゲンを使用された患者約8000人弱のうち約4割が『糊』の使用者だったことも厚生労働省研究班の調べで判明した。『糊』はフィブリノゲンに他の薬品を混ぜて使うが、当時、その使用法が薬事法では未承認であり、調査も大幅に遅れていた。

ところで旧ミドリ十字のフィブリン糊を使用した可能性がある医療機関として、556施設の名称を公表した[読売新聞,第47454号,2008.4.12.]。ほぼ大きな病院が網羅されているところを見ると、この『糊』の使用の特殊性が判る。やはり手術件数の多い病院が、網羅されているということのようである。

旧ミドリ十字は、適応外使用で『糊』の使用を推奨しており、あまつさえ1989年の時点で、19人の感染者を把握しながら「糊による感染者はゼロ」とする虚偽の報告を旧厚生省にしていたとされる。旧ミドリ十字を引き継いだ旧ウェルファイド社は2001年段階で『糊』の使用者を79,000人と推定していたが、調査の進捗状況ははかばかしくなかった。

今回公表される医療機関名も『糊』を使用した全てを網羅しているとは限らないとされている。

『フィブリン糊』のうち感染の恐れがあるのは、旧ミドリ十字が製造販売したフィブリノゲンを用いたもので、主に1981年-1987年頃まで使用されたものであるとされている。

この『糊』を使用されたのは、必ずしも大手術時の止血や縫合時という訳ではなく、そんな事例にも使用していたんですか、と思われる病名も見られる。『がん、脳出血、骨折、気胸、大動脈瘤、心臓手術、胃潰瘍、心筋梗塞、尿路結石除去、火傷等』、将に幅広く使用されていたもんだという病名が報告されている。

この問題に関して言えば、何時まで待っても、完全な調査は終わらないのではないか。

先ず使用されたのが、厚労相の承認を得ていない製品であり、いわゆる“適応外使用”である。その意味では使用する側も保険請求が出来ない製品だということで、若干後ろめたさを感じながら使用されていたはずである。いわゆる“院内特殊製剤”で、医師の依頼により薬剤部で無菌的に調製していたはずである。従って、意外と表に出ない使い方がされていたのではないかと思うのだが、その意味では全ての記録が残っているということではないような気がするのである。

従って1981年-1987年の約6年間に何らかの形で観血的治療(所謂血を見る治療)を受けた記憶のある人は、受診した病院に調査を依頼することが必要ではないだろうか。更に少しでも疑念があれば、検査を受けて結果を確認することが必要ではないか。検査の結果感染していないことが確認されれば、その時点で過去を引き摺ることをやめることが出来るということである。
何時までも不安を抱えていても仕方がない。

 

1)読売新聞,第47453号,2008.4.11.

[2008.4.13.]

『西洋館巡り』

土曜日, 7月 26th, 2008

 

   鬼城竜生

 

見慣れない花が、TVの画面に映し出され、オヤッということで見ていたところ横浜にある『外交官の家』の庭に咲いているというので、2月16日(土曜日)出かけることにした。横浜駅で根岸線に乗り換え、石川町駅で下車。元町口を出て石川郵便局前を過ぎて大横浜-001 丸谷坂を登ると、イタリア山庭園入り口に到着するが、入って直ぐの建物は、建物の入口に置いてある“山手西洋館マップ”によると、“7.ブラフ18番館”という建物だった。

“ブラフ18番館”は、横浜市認定歴史的建造物で、大正末期に建てられた外国人住宅で、カトリック山手教会の司祭館として平成3年(1991年)まで使用されていた物だという。平成5年(1993年)にイタリア山庭園内に移築復元され、震災復興期(大正末期?昭和初期)の外国人住宅の暮らしを再現し、当時の横浜家具を復元展示しているという。
“ブラフ18番館”に向かう道の左手に、梅の木が1本だけ見事に花開いていた。

ところで、”6.外交官の家“は、場所が横浜なので、行くまでは”外交官の家“そのものがある物だと思っていたが、辿り着いてみると現役の”外交官の家”ということではなく、これも古い洋館を移築した物だった。

洋館の案内によると、この建物はニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などをつとめた明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として、東京渋谷の南平台に明治43(1910)年に建てられたものだという。設計者はアメリカ人で立教学校の教師として来日、その後建築家として活躍したJ.M.ガーディナーで、建物は木造2階建てで塔屋がつき、天然スレート葺きの屋根、下見板張りの外壁、華やかな装飾が特徴のアメリカン・ヴィクトリアンの影響を色濃く残しているといわれている。室内は1階に食堂や大小の客間横浜-002 など重厚な部屋が、2階には寝室や書斎など生活感あふれる部屋が並んでいる。これらの部屋の家具や装飾にはアール・ヌーボー風の意匠とともに、アーツ・アンド・クラフツ(19世紀イギリスで展開された美術工芸の改革運動)のアメリカにおける影響も見られる。平成9(1997)年に横浜市は、内田定槌氏の孫にあたる宮入氏からこの館の寄贈を受け、山手イタリア山庭園に移築復元し、一般公開した。そして同年、国の重要文化財に指定されたという。室内は家具や調度類が再現され、当時の外交官の暮らしを垣間見ることが出来るようになっている。各展示室では、建物の特徴やガーディナーの作品、外交官の暮らし等についての資料が展示されている。

坂道を上り詰めた山手イタリア山庭園で、先ず最初に行き会うのは“ブラフ18番館”で、その隣の”外交官の家“の庭に咲いているのがTVで放映されていた花ということであるが、どうやら『ジャノメエリカ』という名前のようである。しかし、TVで見たときは綺麗な紫赤色の花に見えたが、実際に眺めてみると、何とも薄暗い花がパラパラ見えるだけで、来たのは失敗だったかなと一瞬思わされた。

横浜-003 『ジャノメエリカ』は、ツツジ科エリカ属の植物の一種。南アフリカ原産の常緑低木。花期は11月-翌年4月頃で桃-薄紫色の花を咲かせる。名前は花の中心の黒い部分(葯)が蛇の目模様に見えることから来ていると説明されている。

学名:Erica canaliculata。和名:ジャノメエリカ。別名:クロシベエリカ。英名:channelled heath。科名:ツツジ科、属名:エリカ属。性状:常緑低木、原産:南アフリカ。花色:桃-薄紫色(葯が黒)。特徴:高さ2mになる大型エリカ。よく分枝して、小枝の先端に3個ずつ花を付ける。株全体としては多数の花が付く。花は小さな鐘形で、桃色花であるが、黒い葯が目立。和名はこの花と葯の色に由来している。開花期は大変長く、11月頃から春まで見られるが、ほぼ周年咲きに近い。暑さにはやや弱いが乾燥には強い。

しかし、写真に撮った後の再生画面で見ると、十分派手な花色を示していたが、肉眼で見るよりは写真写りがいいという不思議な花である。

さて今回の“山手西洋館マップ”巡りは、全く順番が逆になりケツから回ることになったが、山手トンネルの上にあった喫茶店で、サンドイッチと珈琲を飲んだ。喫茶店を出て右に山手本通りを行くと、代官坂上という交差点の直ぐ先に”5.ベーリック・ホール”の前に出る。この建物も横浜市認定歴史的建造物で、イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅としてJ.H.モーガンの設計により昭和5年(1930年)に建てられた物だという。スパニッシュスタイルを基調とし、戦前の西洋館として最大規模を誇る建物だといわれており、更に建築学的にも価値ある建物であるとされている。

横浜-004 直ぐ隣に”4.エリスマン邸“がある。”エリスマン邸“も横浜市認定歴史的建造物で、日本の建築界に大きな影響を与え『現代建築の父』と呼ばれるA.レーモンドの設計。横浜の大きな生絲貿易商絹糸貿易商シーベルヘグナー商会の支配人であったエリスマン氏の私邸として大正15年(1926年)に山手127番地に建築された。現在の元町公園には平成2年(1990年)に移築復元されたという。

”3.山手234番館“は、 同じく横浜市認定歴史的建造物で、朝香吉蔵の設計により昭和2年(1927年)頃に建築された外国人向け共同住宅で、横浜市に現存する数少ない遺構の一つであると説明されている。従来は四つの同一形式の住戸が中央の玄関ポーチを挟んで左右対称に向かい合い、上下に重なっていたとされる。

”1.山手111番館”は横浜市指定文化財で、J.H.モーガンの設計により大正15年(1926年)に、アメリカ人J.E.ラフィン氏の住宅地として現在地で建てられたとされる。スパニッシュスタイルの赤瓦と白い壁が美しい西洋館である。但し残念ながらこの建物は現在工事中で、中を覗くことは出来なかった。 横浜-005

山手西洋館マップの最後が”2. 横浜市イギリス館“で、横浜 市指定文化財である。昭和12年(1937年)に英国総領事公邸として建築された建物で、近代主義を基調としたモダンな形と伝統を加味した重厚な美しさは、当時の大英帝国の風格をよく現していると説明されている。昭和44年(1969年)に横浜市が買い取り、平成2年(1990年)横浜市指定文化財となり、平成14年(2002年)に一般公開されるようになったという。

その後港の見える丘公園を覗き、公園前交差点左に入り外国人墓地資料館を右に曲がると横浜地方気象台と書かれた表示が見えた。その前を過ぎて山手外国人墓地の塀沿いの道が続く。外人墓地の資料館を見学した後、クリーニング発祥の地の記念碑を右にみてみなとみらい線の元町・中華街駅に潜り込んだ。

総合計歩数として11,569歩を稼がせて貰った。

  (2008.3.3.)