「小田原道了尊」
火曜日, 11月 29th, 2011鬼城竜生
小田原駅は何時も小田急からの乗り継ぎ駅として使う程度であまり馴染みはなかったが、小田原から出ている大雄山線には一度乗ってみたいと思っていた。最も電車に乗るのが趣味ではな
く、終点の大雄山駅に降り、道了尊に行くというのが目的である。
2010年11月14日に紅葉の写真が撮れるのではないかということで、かみさんと二人で出かけた。川崎から普通列車のグリーン車で小田原まで行き、大雄山線に乗り換え、大雄山駅で降りた。
所で大雄山線は、小田原駅と神奈川県南足柄市の大雄山駅とを結ぶ、伊豆箱根鉄道の鉄道路線であるとされているが、当初は大雄山鉄道によって開業した路線だという。しかも道了尊で有名な最乗寺への参詣鉄道として計画されたというから、道了尊というのは相当信者の多いお寺だったのかということになる。毎日相当規模の人数が乗らないと、電車会社としては経営が成り立たないはずで、それでも電車を走らせたということからいえば、今とは比べものにならない数の参詣者がいたのかということになる。
寺伝によると『大雄山最乗寺の守護神である道了大薩埵(どうりょうだいさった)は、修験道の行者、相模房道了尊者(どうりょうそんじゃ)として世に知られているという。尊者は聖護院門跡、覚増法(かくぞうほう)親王につかえ、幾多の霊験を現され、大和の金峰山、奈良大峰山、熊野三山に修行。三井寺園城寺勧学の座にあった時、大雄山開創に当り空を飛んで、了庵禅師のもとに参じ、土木の業に従事、約1年にしてこの大事業を完遂したとされている。
應永18年3月27日、了庵禅師75才にしてご遷化。道了大薩埵は「以後山中にあって大雄山を護り多くの人々を利済する」と五大誓願文を唱えて姿を変え、火焔を背負い右手に拄杖(しゅうじょう)を、左手に綱を持ち白狐の背に立って、天地鳴動して山中に身をかくされた。以後諸願成就の道了大薩埵と称され絶大な尊崇をあつめ、十一面観世音菩薩の御化身であるとの御信仰をいよいよ深くしている』との説明がされている。
その他、道了尊について「室町時代の僧。字なは妙覚、生国、俗姓も不詳。相模(かながわ)の大雄山最乗寺の開山・了庵悲明に師事し、同寺の開創に尽力。1411年 (応永十八年)同寺護持の大願をおこして天狗となり白狐に乗って昇天したといわれる。のち、その時の姿をうつして一堂にまつり、これを道了薩唾(どうりょうさった)・道了権現(どうりょうごんげん)・道了尊と号して山門の守護にしたという。小田原の道了尊と言って信仰されるという説明が見られる。
道了尊=道了大薩埵で、十一面観世音菩薩の御化身であるとされている。この流れで行くと守護神ではなく守護仏というのが本当かもしれない。しかし、いずれにしろ「天狗となり白狐に乗って昇天した」というからには人から変異して天狗になったということで、守護神でいいのではないか。他でも天狗は神として扱われている例があり、道了尊は大雄山最乗寺の守護神であると考えても間違いではなさそうである。何せ人が天狗になる何て言う話になると、検証は難しい。境内に天狗と烏天狗の像が祭られてあり、大きな下駄や天狗の葉団扇もある。帰りに購入したお土産も肩肘立てた枕で横になる天狗の像である。
大雄山最乗寺の宗旨は曹洞宗で、我が国では禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗)の一つとされている。本山は永平寺(福井県)・總持寺(横浜市鶴見区)で、専ら坐禅に徹する黙照禅であることを特徴とするという。
大雄山最乗寺の御本尊は釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)、脇侍仏(わきじぶつ)として文殊、普賢の両菩薩を奉安し、日夜国土安穏(こくどあんのん)万民富楽を祈ると共に、真人打出の修行専門道場である。開創以来6百年の歴史をもつ関東の霊場として知られ、境内山林130町歩、老杉茂り霊気は満山に漲り、堂塔は30余棟に及ぶ。
開山は了庵慧明禅師(りょうあんえみょうぜんじ)で、相模国大住郡糟谷(さがみのくにおおすみごおりかすや)の庄に生まれ、藤原姓である。長じて地頭の職に在ったが、戦国乱世の虚しさを感じ、鎌倉不聞禅師(ふもんぜんじ)に就いて出家、能登總持寺(そうじじ)の峨山禅師(がさんぜんじ)に参じ更に丹波の永沢寺通幻禅師(ようたくじつうげんぜんじ)の大法を相続した。その後永沢寺、近江總寧寺(そうねいじ)、越前龍泉寺(りゅうせんじ)、能登妙高庵寺(みょうこうあんじ)、通幻禅師の後席すべてをうけて住持し、大本山總持寺に輪住する。50才半ばにして相模国に帰り、曽我の里に竺圡庵(ちくどあん)を結んだ。そのある日、1羽の大鷲が禅師の袈裟をつかんで足柄の山中に飛び大松(袈裟掛けの松)の枝に掛ける奇瑞を現じた。その啓示によってこの山中に大寺を建立、大雄山最乗寺と号した。應永元年(1394年)3月10日のことであるという。
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大雄山駅を降りて右側に行くとバスターミナルがあるが、最乗寺までのバスは本数が少なく、歩くかということになった。その前に飯を食おうということで、周りを見渡したが、あまり食欲をそそられる店は見当たらない。兎に角お寺に向かってと歩き始めたとき、左手に曲がって直ぐの所に蕎麦屋があり、そこに入った。それなりに店主の拘りが覗える蕎麦屋で、うまい蕎麦が食えた。そこから道なりに道了尊を目指した。しかし、途中に特段見るものもなく、最乗寺専門僧堂の看板が下がった仁王門を潜ってからも紅葉は見当たらず、杉の大木が連なっているという風景で、飽きることこの上無しという所である。
そのうちに十八丁目茶屋麦とろの看板が目につき、草臥れたから甘酒でも飲もうかということになったが、大雄山駅で少し分かり易い地図を配ってくれないかなというのが正直なところである。ぶつぶつ言いながら更に足を伸ばすと何時の間にか本堂の前に出たが、全体としてでかいのは解ったが、ほこりっぽい感じがした。取り敢えず御朱印を戴くべく白雲閣の総受付に顔を出し、御朱印を御願いした。
その後、本堂に御参りし、金剛水堂、洗心滝、三面大黒殿等を御参りし、鐘楼を背景に紅葉の写真が撮れ、当初の目的は達成したようなものの、膝痛たを抱えた足で歩くのはちょっときつかった。多分かみさんが一緒でなければ、ウンザリして引っ返していたのではないかと思うわれる退屈な参道は、紫陽花の咲く頃なら何とか眼を誤魔化せるのかもしれない。しかし、1万歩を歩くという当初の目的は達成して11,769歩ということで、まあ、よござした。
(2011.4.13.)