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「十二社 熊野神社」

火曜日, 8月 2nd, 2011

           鬼城竜生  

2011年12月3日(金)新宿のスペース・ゼロの多目的ホールで『新宿・平和のための戦争展』を開催しているというので、見に行くことにした。実は永年医療関係の労働組合で一緒に運動をしてきた男が、古い教科書や教育勅語、ビクターの犬のマークに出てくる蓄音機、明治時代の軍人が持っていたサーベル等々、傍から見るとがらくたとしか思えない物を蒐集していたが、そ淀橋-01れが展示されるという。しかもあちらこちらで開かれる平和展の展示物として引っ張りだこだという。数が少なかった頃は単なるがらくたにしか見えなかった物が、一定の数が揃うと芸になるところまでいくのだと感心した。

実際に会場に行ってみると、当人がニコニコして迎えてくれたが、観客も多いようで張り切っている様子だった。一渡り見学して、それでは又ということになったが、序でにかねて念願の十二社、熊野神社に寄ることにした。十二社熊野神社は、社伝によると「十二社熊野神社は、室町時代の応永年間(1394-1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます(一説に、この地域の開拓にあたった渡辺興兵衛が、天文・永禄年間(1532-69)の熊野の乱に際し、紀州よりこの地に流れ着き、熊野権現を祠ったともいいます)。
鈴木家は、紀州藤代で熊野三山の祠官をつとめる家柄でしたが、源義経に従ったため、奥州平泉より東国各地を敗走し、九郎の代に中野(現在の中野坂上から西新宿一帯)に住むようになりました。

九郎は、この地域淀橋-02の開拓にあたるとともに、自身の産土神である熊野三山より若一王子宮を祠りました。その後鈴木家は、家運が上昇し、中野長者と呼ばれる資産家になったため、応永10年(1403)熊野三山の十二所権現すべてを祠ったといいます。江戸時代には、熊野十二所権現社と呼ばれ、幕府による社殿の整備や修復も何回か行われました。また、享保年間(1716-1735)には、八代将軍吉宗が鷹狩を機会に参拝するようになり、滝や池を擁した周辺の風致は江戸西郊の景勝地として賑わい、文人墨客も多数訪れました。

明治維新後は、現在の櫛御気野大神(くしみけぬのおおかみ=素戔嗚大神(すすさのおのおおかみ)・伊耶那美大神(いざなみのおおかみ)を祭神とし、熊野神社と改称し現在にいたっています。氏子町の範囲は、西新宿ならびに新宿駅周辺及び歌舞伎町を含む地域で、新宿の総鎮守となっています。」[新宿ミニ博物館-十二社熊野神社の文化財パンフレット]

十二社の池:十二社の池は、慶長11年(1606)伊丹播磨守が田畑の用水溜として大小二つの池を造ったもので、現在の熊野神社の西側、十二社通りをへだてたて建つビルのあたりにありました。大池(淀橋-03中池・上の溜井)は南北126間・東西8-26間とされ、水源は湧水であったようだ。池の周囲には享保年間(1716-35)に多数の茶屋ができ景勝地として振るわいまし淀橋-04た。明治時代以後は、大きな料亭ができ花柳界として知られるようになり、最盛期には料亭・茶屋約100軒、芸妓約300名を擁したほか、ボート・屋形船・釣り・花火などの娯楽も盛んに行われましたが、昭和43年(1968)7月に埋め立てられた。大池の北側に隣接する小池(下池、下の溜井)は、大池の分水で、南北50間・東西7-16間ありました。昭和の初期より一部の埋め立てが行われ、第2次大戦中には完全に埋め立てられた。

†十二社の滝:十二社には、記録や古老の話からいくつかの滝があったことが伝えられています。このうち十二社の大滝は、『江戸名所図会』、『江戸砂子』などに熊野の滝・萩の滝と記された滝で、高さ三丈・幅一丈と伝えられています。この滝は寛文7年(1667)に神田上水の水量を補うため玉川上水から神田上水に向け作られた神田上水助水堀が、熊野神社の東端から落ちるところにできたものです。池とともに景勝地として知られたもので、明治時代の落語家三遊亭円朝は自作の『怪談乳房榎』の中で、この滝を登場させています。滝の多くは、明治以後、淀橋浄水場の工事などにより埋め立て淀橋-05淀橋-06られました。

十二社の碑(新宿区指定史跡):ここ十二社の地が、池や滝を擁した江戸西郊の景勝地であることを記した記念碑で、嘉永4年(1851)3月に建てられたとされる。高さ210cm、幅119cm、幕末の江戸市中の様子を記した『江戸繁盛記』を著した儒学者寺門静軒と中野宝仙寺の僧侶負笈道人の撰になる碑文と、寺門静軒による漢詩が刻まれており、字数は262文字ある。又裏面は負笈道人の略歴と人柄を、寺門静軒が記したもので字数は286字に及ぶとされる。

その他、七人役者図絵馬(新宿区指定有形文化財)、式三番奉納額(新宿区指定有形文化財)、大田南畝の水鉢(新宿区指定有形文化財)の文化財の他、島川玄丈人壽兆碑、能勢嘉門、延命陀羅尼二千一百万遍読誦碑などを見ることができる。その他、淀橋浄水場を潰した時の礎石などを見ることができる。

昔の十二社は大きな歓楽地、その歓楽地に祀られていた神社だとすると、この神社も相当の大きさだったと思われるが、現在はさほど驚くほどの広さではなかった。更に熊野神社といえば、八咫烏(やたがらす)がよく知られている。『古事記』の話として神武天皇が大和へ東遷する時に道案内したとして有名であるが、何で三本足なのか。太陽神の使者としての役割を持つ『ワタリガラス』と同じとする話も見えるが、いずれにしろ神話の世界の話である。

本日の総歩行数10,970歩。

                (2011.6.14.)