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「女躰神社」

火曜日, 4月 12th, 2011

               鬼城竜生   

『カプノサイトファーガ・カニモルサス』を調べる都合があって、7月16日(金曜日)病院での受診の帰りに、川崎のラゾーナの地下にある丸善に本を見に行った。梅雨が明けたかどうかという時女体神社-01期で、雨の心配もあったが、実際には雨の心配はなく、カンカン照りであった。そこそこに書かれている図書を購入したので、地下1階の丸善の出口から出たが、バス亭やタクシー乗り場があり、その意味では地下ではなく、1階ということだが、JRの川崎駅が高い位置にあり、そこからラゾーナに入るので、丸善はエスカレータで地下に降りるようになるが本当は1階ということである。

そのままJRのホームに昇り帰ろうかと思ったが、もう四年ほど前になるか『女躰神社』なる珍しい名前の神社があるのに気付いて、御参りに来たことがあったが、その時は御朱印を頂けなかったので、再度行ってみるかという気になった。ラゾーナの建物に沿って左側に行き、バス亭沿いの道を歩道沿いに進むと、幾ばくかの花木が植えられた三角地があり、それに沿って左に入ると、車道を挟んだ向かい側に神社の幟が眼に付いた。前回来た時には幟旗の飾り付けはされていなかったが、今回は前回より活気がある雰囲気が見られた。更に附属幼稚園の関係だと思うが、親子連れの小さな子どもが境内を走り回っていた。

女躰神社(川崎市幸区幸町1-994)は、神社創立の年代は不詳であるが、口碑の伝える処によれば、永禄年間(1558-1570)より女躰権現と称えられ、南河原村真言宗宝蔵院が別当職であった。南河原村は武蔵国荏原郡八幡塚の農民が移住し、開墾に従事し、民家が次第に増加したとされている。この地は、多摩川の南側にあったため、南河原村と名付けられた。地形多摩川の辺りのため、降雨のたびごとに多摩川の土砂堆積し、田畑への冠水甚だしく、洪水の都度流域が変化し、常に大きなる災害を蒙り、遂に農耕が不可能な状態になった時、一人の女丈夫が水中に身を投じ、一身を犠牲にした。その真心によりその後は大いなる災女体神社-02女体神社-03害もなく、住民漸く安堵し、農耕に励むことが出来た。これも女丈夫の偉大なる御徳の御陰と敬慕し、その偉業を称え又後世に伝えるため、多摩川辺りの俗称『ニコニコ松』の下に一祠を建立して、その御霊をお祀りした。その後、この一祠は神社として、現在の位置に鎮奉したとされる。

祭神として伊邪那岐命[いざなぎのみこと:伊弉諾神(主祭)]、 伊邪那美命[いざなみのみこと:伊弉冉神(主祭)]、天照大神[あまてらすおおみのかみ:天照大御神(主祭)]、建御名方神[たけみなかたのかみ(主祭)]、そして誉田別命[ほんだわけのみこと(主祭)]を祀るとされいる。

御参りをして、今回はカメラを持参していないため、携帯電話で撮ることにして何枚かの写真を撮した。その後、社務所の看板が出ているところで、前回と異なり御守りの図柄が飾られていたので、念のために呼び鈴を押したところ、女性が顔を出してくれた。御朱印が戴きたいのですがと申し上げたところ、神主は出かけていないが息子がいるのでそれで良ければ承るという御返事を頂いた。こちらにすれば神社の御朱印を頂戴するので、書き手はあまり拘らない。更に将来後を継いで神主になるのであれば、神職の一員であることに違いは無いはずである。御朱女体神社-07印を戴くまでの待ち時間女体神社-06に、暑い中を御参り頂いてと、氷入りの麦茶を御馳走になったが、心から感謝するところです。

さて当初の目的を暫くぶりに達成し、女躰神社の御朱印を戴いたので、そのまま帰ってもいいのだが、限りなく昼飯の時間が過ぎてきており、採血があるために朝食を抜いていたので、何か食べようかとなった時に、思い出したのが、鮫洲の食堂で穴子の天丼を食べさせる店があるというのを雑誌で見たのを思いだした。多寡が昼飯を食うために川崎から鮫洲まで行く等ということになると、何考えているんだということになるかもしれないが、穴子の天丼には思い入れがあり、少し位時間がかかっても美味いとなったら行ってみようという野次馬根性丸出しなところがある。

京浜急行の鮫洲駅で降り、駅を右側に出て、左に折れて大通りを真っ直ぐ行き、商店街の通りというか、旧東海道というか、を右に曲がって暫く行くと『さめず鈴乃家』(品川区東大井一丁目)とする看板が眼に入る。生そば天ぷら蒲焼の店であるが、入口に穴子丼950円と書いた紙が張り出されていた。

穴子丼と味噌汁を頼んで食べたが、穴子の天ぷらは大きなものが二つ乗っており、野菜の天ぷらとしてシシトウと椎茸が付いていた。味噌汁の他に染み豆腐の煮物と漬け物が付いて950円なら御の字ではないか。飯が少ないとする意見がブログに散見されるが、穴子が大きいので、十分だと感じた。評判通りいい仕事をしているので、態々食べに行って食べても損をしたという感じはなかった。

今回は歩くことを目的とした訳ではないので、総歩行数は8,623歩だった。

     (2010.7.17.)