Archive for 10月 1st, 2010

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『調剤ミスで死亡-薬剤師書類送検』

金曜日, 10月 1st, 2010

  魍魎亭主人

8月18日付の読売新聞[第48310号,2010.8.18.]に薬の調剤を誤って心臓病の男性患者(当時82歳)を死なせたとして、警視庁は18日「東京医療第一薬局」(東京都足立区)の薬局長を務める薬剤師(59)と薬剤師の女(37)を業務上過失致死の疑いで東京地検に書類送検した。発表によると、薬剤師の女は2008年8月、心臓病などを患っていた男性に、血液が固まるのを防ぐ『抗血栓剤』を処方する際、誤って約4倍の量を調剤し、男性に約1ヵ月間飲ませて、同年9月、出血性ショックで死亡させた疑い。男は薬局長の立場にありながら、女が処方した薬の量の確認を怠った疑い。2人は「誤って薬を調剤してしまい、反省している」と容疑を認めているという。

ここでいう抗血栓剤はワーファリンのことで、「慢性心房細動」による血栓防止のためワーファリン治療を受けていた男性に、処方せんに記載された量の4倍に当たる6mgを誤って26日分調剤し、翌月9日に出血性ショックによる心肺機能不全で死亡させたとしている。同課は、過剰に投与すれば患者の容体が急変して死亡する危険を予見しながら、処方せんを十分に確認しなかった過失が事故につながったと判断した。

記事の内容からだけでは、仕事のやり方の詳細は不明であるが、通常、調剤を行う場合、薬剤師が二人いるのであれば、どちらかが鑑査をすることで、調剤過誤を避ける手立てを取る筈である。もし、一人であったとしても、処方せんを読み、薬を取るときに指呼確認をし、一度処方せんの上に薬袋と薬を置き、一拍おいて再度確認して薬を薬袋に入れるという、安全装置は取るはずである。

更に患者への説明として、万一出血が見られた場合、直ちに服用を中止し、薬局に連絡するか、主治医に連絡する等の注意事項を伝えておけば、出血を長期に放置することはなかったのではないかと思うのである。

warfarin potassiumの投与量は、凝固能が治療域に入ったのを確認した後、1-5mg程度の維持量を毎日1回服用となっている。治療域に入るまでは、毎日1回5-6mg投与する方法も指示されており、1日6mg投与が無いとはいわないが、処方せんの記載量がwarfarin potassium 1.5mg/日であれば、6mgを調剤して患者に渡したというのは、言い訳のしようもない調剤過誤である。

もし今回の事例が、患者の待ち時間短縮のため、相互鑑査の仕組みや、個人鑑査の仕組みを排除した結果だとすれば、それは自殺行為だったといわざるを得ない。待ち時間の短縮は、なる程患者サービスの一つではある。しかし、薬剤師が一番力を入れなければならない患者サービスは“正確な調剤”である。待ち時間の短縮を考えるあまり、調剤の結果が悪くなるのでは本末転倒である。

薬剤師は人の命に関わる薬を扱うのが仕事である。その薬剤師が、結果を急ぐあまり、手抜きをしたというのでは話にならない。少しぐらいお待ち頂いたとしても、正確な調剤を心がけるべきであり、命に関わるような間違いを起こさないというサービスの方が、受ける患者も安心なのではないか。

人は間違いを犯す生き物である。どんなに威張ったとしても、間違いを一切起こしたことのない人間はいない。しかも薬剤師の仕事は細かな仕事が多い。細かな仕事が多ければ、それだけ過誤とは隣り合わせの環境にあるといえる。薬剤師は常に調剤過誤を起こさないための仕組みを構築する努力をしなければならない職能なのである。表芸の調剤で、過誤を犯し、患者の生命に関わる結果を及ぼしたのでは、薬剤師の存在価値は無いことになってしまう。

   (2010.8.22.)

「冬ぼたん」

金曜日, 10月 1st, 2010

鬼城竜生 

1月1日(元旦)?2月中(季候により変わることがあります)。上野・東照宮”冬ぼたん”という看板を見て、珍しく覗いてみる気になった。

冬牡丹-01 しかし、正直に言えば「牡丹」の花の良さはよく分かっていない。それならば見に行くことはなかろうと言うことになるが、牡丹園の中にもしかしたら蝋梅があるんではないかという思惑と、牡丹の花を入れて五重塔の写真が撮れないかという思いで出かけることにした訳である。

2010年1月14日(木曜日)JR上野駅不忍口から出て交番を右に見て袴腰広場を真っ直ぐ行き、やがてトーテムポールを右手に見て左に入ると突き当たりに東照宮が見えてくる。都内には芝・東照宮もあるが、芝の方は常時神職が冬牡丹-02 いる訳ではなく、何か神事があるときにのみに御出になる様である。

牡丹という言葉で、直ぐに思い浮かぶのが、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という戯れ囃子である。しかし、実際には芍薬と牡丹とどう違うのかと言われて、頭の中に両方の花が浮かぶほどに理解している訳ではない。しかし、牡丹を育てるのに芍薬の根に接ぎ木をするという話もある様で、牡丹の花と芍薬の花との間に、そんなに違いはないのではないかと思われる。その他「獅子に牡丹」の組合せ冬牡丹-03 は、最高の貴紋であるとする説もある様で、そういえば高倉健の映画にも「唐獅子牡丹」という勇ましい映画があった。背中に背負う倶利伽羅紋々として、唐獅子牡丹は最高のものと思われるが、色使いと構図の複雑さからいって、さぞかし金のかかる紋々になることと思われる。

牡丹はボタン科ボタン属の落葉低木である。学名:Paeonia suffruticosa。また、牡丹はボタン属の総称として用いられる。又はボタン属(Paeonia)の総称。 別名は「富貴草」、「富貴花」、「百花王」、「花王」、「花神」、「花中の王」、「百花の王」、「天香国色」、「深見冬牡丹-04 草」、「二十日草(廿日草)」、「忘れ草」、「鎧草」、「ぼうたん」、「ぼうたんぐさ」など多くの名前が付けられている。学名のPaeonia(パエオニア、ペオニア)は、 ギリシャ神話の”医の神”「Paeon」の名に由来するといわれている。

牡丹の花には藁で作った雪除けの藁帽子が被せてあったが、逆にいえばこの藁帽子と一体になっているところが、牡丹の花としての価値ではないかと思われた。

思った通り牡丹苑内に、蝋梅の花は見られた。しかし、背丈が短く刈り込まれたり、枯れ葉が纏わり付いていたりということで、写真になる蝋梅は見当たらなかった。しかし、蝋梅を前景として五重塔を背景とする写真は何枚か取れたが、あまり迫力のある物とはならなかった。

                            入口に酒売りのいる冬牡丹
                            冬牡丹花見の酒を急がんか
                            冬牡丹花見の酒を急ぎけり
                            冬牡丹足急がせて酒にしよ

帰りは花園稲荷社から五條天神社を経由して不忍池に出ようとしたところ、前回は姿の見えなか  った巫女さん冬牡丹-05の姿が見えたので、御朱印は戴けますかと訊ねたところ、どうぞということで書いて戴くことにした。「花園神社で書きますか、五條神社で書きますか」というお訊ねだったので、薬祖?をお祀りしているという五條天神社で戴くことにした。

花園稲荷神社は「穴稲荷」、「忍岡稲荷」とも呼ばれ、創建年代は諸説あるが、江戸時代初期には創建されていたという。そのため、江戸時代から「稲荷坂」の名前が付けられていた。享保十七年(1732)の「江戸砂子」にその名が見え、明治二十九年(1896冬牡丹-06)の「新撰東京名所図会」には、「稲荷坂」とは「忍ヶ岡の西方に在りて、穴稲荷社へ出る坂路をいふ。」とあるの説明が見られる。

五條天神社は、薬祖神としての信仰をあつめた神社で、室町時代中期には、既に上野山に鎮座していたことが明らかな、区内でも有数の古社であるとされている。主神に大己貴命(おおなむじのみこと=大国主命)と少彦名命(すくなひこなのみこと)二柱の薬祖神を、相殿(あいどの)に菅原道真公がお祀りされている。御縁起によると、今から1890年ほど前の第十二冬牡丹-07 代景行天皇の御代、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷征伐のため、上野忍が岡を通られた際、薬祖神二柱の大神に御加護を頂いたことを感謝されて、この地に両神をお祀りしたのが創祀だという。

尭恵(ぎょうえ)法師の北国紀行に、「正月の末、武蔵野の境、忍が岡を優遊しはべりし鎮座の社五條天神と申しはべり、折ふし枯れたる茅原を焼きはべり契りきて誰かは春の初草に 忍ぶ岡の露の下萌え」云々とあり、500年前の文明18年にはあった古社である。相殿に祀られている菅原道真公は、寛永18年に合祀され、学問と歌の祖神として俗称下谷天満宮ともいわれていた。

『五條天神社』は、創祀したときは、天神山(現在、擂鉢山古墳があるところ)にあったが、その後黒門脇、瀬川屋敷(いまのアメ横入口辺りで五條町と呼ばれた)他、幾度かの変遷を重ね、昭和3年に創祀したときの地に一番近い現在地に遷座になったとする紹介がされている。

五條天神社が薬祖神とされるのは、大国主命は、医薬などの道を教え、国造りの神、農業神、商業神、医療神などとして信仰されている。また少彦名命は、国造りの協力神・常世の神・医薬・石・穀物霊など多様な姿を有するとされており、何れも医薬に係わっており、薬祖神とされるのも宜なるかなというところである。更に拝殿に八十八種の薬草・水草の天井絵(祭日に公開)とする紹介も、神社で戴いてきた「御縁起と諸行事」とする文書に書かれていた。

本日の総歩行数は10,477歩ということである。

(2010.3.20.)