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「仙台行」

金曜日, 7月 2nd, 2010

鬼城竜生

2009年10月22日(木曜日)・23日(金曜日)の両日、仙台に出かけた。木曜日は『栄養薬理学』の講義を10:40-12:10分まで行い、直ちに東京駅に向かい仙台行きの新幹線の切符を手に入れ弁当を片手に列車に飛び乗った。

今回の仙台行は、グループ病院の総合医学会があり、その前日に各職能団体の長の会議が行われるのが慣例になっている。その日に合わせて我々が参加する長のOB会が開催されるので、その会に参加するためである。会議は16:00ということで、13:00過ぎの汽車に乗れたお陰で、会議には十分間に合う時間に仙台駅に着いた。但し、ホテルまでの道が分からないため、最初からタクシーを使う予定で居たが、駅前のタクシー乗り場に行ってみて驚いた。客待ちのタクシーがビッシリと並んでいる。少なくともこんなにタクシーはいらないだろうと思われるほどの数が並んでいた。

タクシーに乗っていき先を言ったが、この稼業には新しいので道不案内だといわれてしまったが、こちらも同様に不案内なので、役員が送ってくれたホテルのパンフレットの地図を見て貰った。『所で駅の前に凄い数の車が客待ちしていたけど、あれで商売になるんですかね』「いえ、なりませんね。規制緩和で車の数を増やしてしまったので、あんなになっていますけど。車の数が多すぎますね」という話をしているうちにホテルに着いた。

部屋に荷物を置いて会場に出かけたが、何人かの懐かしい顔が既に到着していたが、東京から出席しなければいけない人達が何人か来ていなかった。親の看病や町内会の付き合いがあるとか、色々理由はある、ある意味でいうと、もう少し情報交換ができる会にしないと、遠出をしてまで参加をしたいという気にならないかもしれない。

夜は例によって交流会と称して現役の長連中も含めて何人かで呑みにでたが、昔に比べると酒の量は減ってしまった。ただ、宴会場で地元病院の差し入れだということで、地元蔵本の日本酒と笹蒲鉾が出されたが、これは両方とも絶品であった。

翌朝、普通なら真っ直ぐ東京に戻ってしまうのだが、今回は何処か1箇所神社か御寺に寄って御朱印を貰いたいという思いがあったので、青葉城址にあるという護国神社を目指した。

膝の痛みがあるため、歩けるのではないかと思ったが、タクシーに乗ることにした。しかし驚いたことに、車が立て込んでいて全く動かないという事態に行き合ったが、急ぐ旅ではないので我慢して乗っていた。しかし、お陰で神社の直ぐ前まで車で行かれたので、その分よかったと言うことなのだろうか、残念だったのは“秋季大祭”の当日と言うことで、御朱印は書き置きのものしか頂戴出来なかった。その時頂戴した参拝記念の冊子によると『仙臺青葉城鎮座 宮城県護国神社』の由緒について、次の通り紹介されていた。

由緒

明治天皇の思し召しにより明治維新から大東亜戦争に至るまで、幾多の戦役でわが国の平和と繁栄を念じつつ、尊い生命を御国に捧げられた郷土出身者の御霊を祀る。明治37年8月27日ここ仙台城(青葉城)本丸城址に招魂社として創建され、昭和14年内務大臣指定護國神社となり、昭和20年7月仙台大空襲の戦火により社殿施設を全焼したが、戦後多くの困難を乗り越えて現在の姿に復興した。現在、宮城県出身戦歿者をはじめ、元第二師団管区(福島、新潟、山形の一部)戦歿の御祭神五万六千余柱を御祀りしている。

御本殿

当社の御本殿は、日本民族の祖神と尊ばれている伊勢神宮の外宮「風宮(かぜのみや)」の旧御正殿で、昭和28年の神宮式年遷宮に際し、戦災で消失した当社御本殿の御復興にあたり、神宮の特別の思し召しをもって昭和30年東北に初めて下げ渡された極めて尊い御殿である。建築様式は唯一神明造(特徴:掘立式で棟の左右を棟持柱で支える)で伊勢神宮よりそのまま御移築したものであるが、御屋根は萱葺を銅版葺に改めてある。 宮城県、仙台市の最も誇りとする建物である。

青葉城址と来れば、よく知られているのは『藩祖伊達政宗卿騎馬像』ではないか。仙台の観光案内のパンフレットには、大概載っている図ではないかと思われる。その他『昭忠碑』が立っていたが、この天辺にある鳥は鷹か何かと思ったが、案内板に鳶だと書いてあったので、しみじみ見たがどう見ても鷹か鷲に見えた。

更に青葉城址から左側に眼を向けると白い観音像が眼に入ったが、以前、講演に来たときにあの観音像の近くのホテルに泊まった記憶があるが、詳細は全く思い出さなかった。

帰りに仙台駅で牛タンの昼飯を食ったが、そこそこの味であった。昔仙臺に学会で来たとき、地元の方の案内で古く汚れた店で牛タンで一杯やったことがあった。その後、その店の牛タンを越える牛タンは喰ったことがないと思っているが、最も牛タンを最初に食ったときの印象がよほど強烈だったということかもしれない。

この日の総歩行数は6,720歩と、目標の一万歩を越えなかったが、あまり歩き回る暇がなかったと言うことである。

(2010.2.3.)