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『根津神社-つつじ祭り』

木曜日, 8月 20th, 2009

鬼城竜生

 根津神社のつつじ(躑躅)は、前にも写真を写しに来て、『根津つつじが岡』は写真を撮らせて頂いた。永年丹精をこめたお庭だけあって、圧倒的な写真が撮れたが、後で見ると兎に角全面的に花、花、花で、余り深みのない出来上がりになっていたが、技術の問題と後一つは、満開の状態で、何処も此処も鮮やかな色に染まっていたと言うことではないかと思われた。

 今回(2009.4.20.)は、時期的には前回より早めになっており、花の状態は今一と思われたが、前回来た時にはまだ御朱印を戴くということはしていなかったので、今回は御朱印を頂戴するということも目的の一つとしていた。

 JR蒲田駅から京浜東北線で西日暮里まで行き、西日暮里で東京メトロ千代田線に乗り換えて千駄木駅に交差点を右に、千駄木本通り商店会を見ながら根津駅を目指して歩き、根津神社入り口の交差点で、右折。眼と鼻の先に根津神社の鳥居が見える。

 根津神社は今から千九百余年の昔に、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられている古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。江戸時代五代将軍徳川綱吉は世嗣が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した

 明治維新には、明治天皇御東幸に当たり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。尚、『根津権現』は古称であると御由緒に記載されている。根津神社の本殿・弊殿を囲む塀は“透塀”という余り見かけない型の塀になっているが、強風で倒れることのない塀だという意外に何か理屈があるのかどうか。

 御祭神は須佐之男尊、大山咋命、誉田別命。

 相殿 大国主命、菅原道真公。

 江戸三大祭りの一つ。六代将軍家宣は幕政を以て根津神社の祭礼を定め、正徳四年(1714年)江戸全町より山車を出し、天下祭りと呼ばれる壮大な祭礼を執行した。現存する大神輿三基は、この時家宣が奉納したものであると解説されている。同じ格式の山王祭、神田祭と合わせて、江戸の三大祭りといわれている。

 “つつじヶ岡”について、境内地となる以前、徳川綱重が屋敷の庭につつじを植えたことに始まり、七千坪の神苑は世に“つつじヶ岡”と呼ばれる府内の名称であったとされている。現在でも花季には数十種三千株が咲き乱れる。

 今回、思った通り満開とは行かなかったが、逆にいうと緑の中に花があり、花の写真としては全面的に花の色に染められているよりは、撮り易かったかもしれない。

  写真撮影終了後、根津神社入り口の交差点を渡り、“あかじ坂”方面に行って芋甚(甘味処)を過ぎて、二本目の路地を右折するとペン画のアートルームに行き着く。

 夏に三崎坂の途中にある全生庵に圓朝祭りの幽霊画を見に来た帰り、喫茶店の乱歩でお茶を飲んだ時に猫の絵のペン画で描かれた絵はがきを見て、これは何処で手に入れましたと聞いた時に、場所に印を付けて地図を貰った因縁がある。猫の絵については、吾が先輩に猫好きの人がいて、その人に出す絵はがきは猫にしようということで訪れたが、残念ながら猫の絵はがきは3種類しか残っていなかった。仕方がないので『一葉歩きみち本郷菊坂真砂町』と『根岸おもかげの里』の2種類を購入した。

 所で店の横を通り過ぎただけだが、“芋甚”は甘味処として有名な店だということだが、何が有名なのか知らなかった。後で聞けばアイスクリームということだったが、期間限定で現在は製造していないという案内が出ていた様な気がした。最もこれが飲み屋なら十分な情報量を手に入れてきたのだろうが、甘味処では余り気にならなかったということである。総歩行数10,700歩。

 アートルームを教えてくれた方は、芋甚について十分知識があるとして芋甚を中心に道を教えてくれたのだろうが、当方が芋甚について全く知識がなかったので、地図に印を付けておいてくれなかったら、多分辿り着くのは無理だったのではないかと思われる。

(2009.5.30.)