「尿酸値と酒」
金曜日, 8月 21st, 2009魍魎亭主人
最初に院内の定期検診で尿酸値が高いといわれたのは50代の前半である。別に痛風の経験は無いのでそのままにしておいたが、次の年にも同じ指摘を受けた。
尿酸値が高い場合、プリン体が多いビールは駄目だという話しは聞いていたが、若い頃飲んでいたビールが、年とともに飲めなくなり、専ら日本酒と付き合っていたので、ビールは駄目だというのは何等痛痒を感じなかったが、日本酒もまずいんじゃないかという意見があり、それなら焼酎のお湯割りにしようということになった。
焼酎のお湯割りなら、同時に水分の摂取も出来て、将に一石二鳥ではないかということで、飲むときは、専ら焼酎を飲むことにしていた。
しかし、徐々に血中尿酸値は高値を示すようになり、尿酸排泄促進剤を服むことになったが、薬を服んでいさえすれば、簡単に尿酸値は下がり、痛風発作に見舞われることもなかった。いわゆる無症候性高尿酸血症である。
病院を退職後、患者として通院することが面倒で、薬の服用を中断し、別に痛風発作が出ることもなかったので、そのまま放置していたが、定期健診で尿酸値が12を示し、治療を要するという検診医の指摘を受け、受診すべきを病院の紹介をされてしまった。
当人の思いとしては、痛風の経験はないので、治療を受ける必然性は身にしみていなかったが、受診した医師の「痛風は経験していないとはいえ、油断していると『尿路結石』や『腎機能障害』になる」といわれて、それは拙いということで薬と付き合うことにした。
その時の注意事項か尿量確保のための1日2Lの水の補給、尿酸排泄剤とともに尿アルカリ化のための薬を同時に服むということであった。更に注意としてプリン体の多い食品を避けることと、酒は駄目だということであった。
甚だ申し訳ない話であるが、高尿酸血症の治療に関係する文献を読んでいると、食品中のプリン体が体内の内因性プリン体に影響を与えることはないとする文献も見られ、禁酒ではなく節酒とする文献も見られる。大体、体内に摂取したアルコールが尿酸にどういう影響を与えるのか、明らかに解明された文献が中々見当たらない。アルコールは悪いと書かれているが、どういう状況になるから駄目なのかという、具体的な内容は解らない。ある意味でいえば屁理屈みたいな話だが、当人が納得しなければ医師の注意事項は守れない。元々呑兵衛に禁酒はないだろうということである。
ところで最近、高尿酸血症とアルコールに関する次の報告を見たので紹介する。
まず「痛風発作の鑑別診断のために、アルコール負荷試験が行われた時代がありました」というのが驚きである。どういう検査の仕方をしたのか知らないが、この伝で行けば、酒を飲めば痛風発作がでなければならないことになる。しかし、経験からいえば、酒を飲んだからといって、そう簡単に発作が起こるとは限らない。
更にアルコールを摂取することによる高尿酸血症の原因は
?肝におけるアルコール代謝の亢進(肝エネルギー代謝の亢進)によって、内因性プリン体の分離が亢進し、尿酸産生が亢進する。
?血中乳酸値が増加して、この増加した乳酸が腎の尿酸クリアランスを低下させる。
?アルコール中に含まれるプリン体含有量が、大量摂取した場合には無視できない効果をもたらす。
等が考えられている。
酒を飲むことによって上記の三つが複合的に絡み合って高尿酸血症になるのか、それとも?の理由のみによって高尿酸血症になるのか。
いずれにしろ尿酸は人にとって、ただただ御邪魔虫なのか、そうではなく、何かの役に立っているのか。メタボリックシンドロームの話とともに、諸悪の根源みたいにいわれはじめた尿酸に同情する次第。
ところでプリン体100mgは、一体尿酸何mgに変換されるのか。具体的な数字は紹介されていないようであるが、患者への説明と理解を高めるためには、より具体的な数値を示して説明することが必要ではないかとおもわれる。更に食品中のプリン体が内因性のプリン体にどの程度影響を与えるのか、より具体的な結果を得るための検証をすることが必要ではないか。
1)出浦照國:痛風・高尿酸血症の食事指導・生活指導;食生活,99(7):20-25(2005)
(2009.3.20.)
懐石若福”で極く内輪の呑み会があり、その時に御参りは済ましていたが、藤の花の時期は過ぎており、天神社の小冊子に掲載されている藤の花の写真を見て、花の時期は見事な庭になるのだろうというという思いは記憶に残っていた。その後、藤の花の時期に写真を撮りに来ようと思ったが、藤棚から下がっている藤の花というのはどういう写真の撮り方をすればいいのか、見当がつかないというか、似たり寄ったりになるのではないかと危惧する思いが先だって出かけてくることはなかった。
思っている時に新聞に亀戸天神社の藤の花が見頃というので、出かけることにした。JR蒲田駅から京浜東北線で秋葉原まで行き、そこで総武線に乗り換えて亀戸駅で下車。駅前に出てきたはいいが、前に来た時の道筋を全く忘れており、暫くウロウロさせられた。ただ、今回は江東区の発行した“下町ぶらりMAP 亀戸”を持参していたので、兎に角明治通りを真っ直ぐいき、蔵前橋通りとの十字路で横断し、左折する。前回は全く気が付かなかったが、左折して直ぐに香取大門商店街があり、その突き当たりに神社が見えた。あれっ!というので商店街に入ってみると突き当たりに香取神社なる神社が見えた。
み)・大己貴神(おおなむじのかみ)。
両宮を氏神として忠誠を捧げ崇敬を尽くされたという。
一般には広く『亀戸の天神さま』、『亀戸天満宮』と呼ばれ、親しまれている。古くは東宰府天満宮、本所宰府天満宮、あるいは亀戸天満宮と称されておりましたが、明治六年に東京府社なってより亀戸神社と号し、昭和十一年に亀戸天神社と正称したという。