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『クドア食中毒について』

土曜日, 4月 16th, 2016

Q:クドア食中毒について

A:クドア食中毒について次の通り報告されている。
a.感染分類:今後、当該寄生虫を起因すると考えられる有症事例が報告された際には、食中毒事例として取り扱うよう、都道府県等あて通知した。

b.一般的性状:クドア食中毒とは、粘液胞子虫(註1の一種Kudoa septempunctataにより発症する激しい下痢・嘔吐を示す症状である。2015年1年間の患者報告数は244人。従来、クドアはヒトには無害な魚の寄生虫と考えられていたが、2000年以降に西日本を中心に生じるようになった。謎の食中毒の原因として同定されたとき、研究者等は驚いたという。当時、ヒラメや鮪等を生食した数時間後に発症し、食中毒の原因として一般的なnoro virusや細菌等の病原微生物が見つからない食中毒の報告が増え、問題視されていた。全国調査の結果その原因として同定されたのがクドアだった。クドアの大きさは、約10マイクロメートル(µm)とされている。
平成22年10月には、ヒラメを摂食した534名中113名が下痢、吐気、嘔吐等の症状を呈した、病因物質不明の食中毒事件が報告されている。また

註1)粘液胞子虫はクラゲやサンゴが所属する刺胞動物に近い後生動物というグループに属している。これらは極囊と呼ばれる袋を持った胞子を多数作るが、この胞子が粘液に覆われていることから粘液胞子虫と呼ばれている。殆どが魚の寄生虫で、ヒト等の哺乳類には寄生しないと報告されている。

c.棲息部位:クドアは魚の筋肉に寄生する粘液胞子虫である。クドアの生活環註2の詳細は不明とされている。生活環が判明している他のクドア属の寄生虫は、一般にゴカイ等の環形動物と魚類との間を往来して寄生しており、魚から魚に直接感染して広がることはないとされる。従ってKudoa septempunctataは養殖場や生け簀内で、魚から魚に感染することはないと考えられている。

註2)生活環とは寄生虫の卵や幼虫が発育・変態して成虫となり、次の世代を生じるまでのサイクル。生活環が判明している寄生虫の場合、生活環のいずれかの段階を止めることで、感染を予防することができる。

d.病原性・感染経路:症状は生食後、数時間と比較的早期に生じ、その後数時間程度で改善する。症状は軽度で、死亡例はなく、予後は良好である。症状が一過性であることから、クドア胞子が長期間体内に留まる可能性は低いと考えられる。これまでクドア食中毒は夏から秋(8月-10月)に多く報告されており、冬から春(11月-5月)にかけては少ない傾向にある。夏から秋の季節に、刺身生食後、比較的短時間で生じた下痢・嘔吐については、クドア食中毒も鑑別に加える必要があると考えられている。Kudoa septempunctataが多量(凡そ筋肉1g当たりクドア胞子数1.0×106を超えるもの)に寄生したヒラメを生で食べると食後数時間で一過性の下痢や嘔吐等の症状が起きる。

e.治療:特に報告されていない。

f.感染防御:冷蔵状態では少なくとも1週間程度、クドア胞子の病原性が保持されていたが、クドアは-20℃から-15℃で4時間以上保管、若しくは中心温度が75℃となるように5分以上加熱することで失活する。また、条件によっては冷蔵条件下で、クドア胞子はが失活する可能性も示唆された。但し、ヒラメの刺身は冷凍すると味が落ち商品価値がなくなるため冷凍による食中毒予防は困難だ。そのため政府は、生産地や輸入時の対策を進める。厚生労働省は2011年10月に輸入ヒラメの検疫内容を強化した。水産庁も国内ヒラメの養殖場・種苗生産施設に対策を呼び掛けている。但し、天然ヒラメや別の魚でもクドア汚染は見つかっており、直ちに患者が出なくなることはないだろう。
Kudoa septempunctataの寄生が確認された養殖場等が存在する海域は限定的であり、養殖場等における寄生の拡大はKudoa septempunctataが寄生した種苗(稚魚)の移動による可能性が高いことが示唆されている。ヒラメによる食中毒を防止するため、養殖場では現段階でできる様々な対策が進められている。
a.Kudoa septempunctataが寄生していない種苗(稚魚)を導入する。
b.来歴・飼育履歴等が異なるヒラメを混合しないよう飼育管理する。
c.ゴカイ等の環形動物がいない飼育環境を確保する。
d.飼育履歴を適正に管理する。
e.出荷前にKudoa septempunctataの寄生がないことを検査で確認する。
等が行われている。

1)小板橋律子:REPORT-ヒラメ生食で発症するクドア食中毒-魚の筋肉に寄生する粘液胞子虫が原因、2010年に初めて同定;NIKKEI MEDICAL,7:2014
2)クドア・セプテンプンクタータ(Kudoa septempunctata)虫類:食品衛生の窓-東京都福祉保健局,2016.3.7.
3)ヒラメを介したクドアの一種による食中毒Q&A;農林水産省,2016.4.11.

                                                [015.11.ANI:2016.4.13.古泉秀夫.]

『何をなさっているのか』

金曜日, 4月 1st, 2016

                                                                      魍魎亭主人

戦後発生した我が国における薬害の最初とされているのが『1948年11月に京都市および島根県東部で実施されたジフテリア予防接種において、84名の乳幼児死亡を含んで 1,000人規模の被害を発現した事故』であると云われている。

世界の予防接種史上最大の事件とされているこの薬害は、製造企業が予防接種液の製造過程で無毒化とロットの取扱いを誤り、安全性確保における最後の砦であるはずの国家検定の試験品抜取りに重大な齟齬があったことが、大惨事の原因だったと考えられている。この薬害の御陰で、ワクチンは危険だという潜在的な意識が多くの国民に擦り込まれたのではなかったか。

その意味では、ワクチン及び血液製剤の製造会社である化血研(一般財団法人・化学及び血清療法研究所・熊本市)は、企業として高い倫理観を持って運営されなければならないはずなのに、今回の不祥事は一体何なんだということになる。この様な不正が行われたのは何故なのか、その原因を徹底的に追求し、改善しなければならない。

何故、調製法を変更した時に、届を出さなかったのか。僅かな時間を稼ぐために、届を出さないという判断をしたのだろうが、その結果が会社の存立に係わるような話に発展するとは考えなかったのだろうか。しかもこの変更を外部に隠蔽するために40年にも亘って隠蔽する努力を重ね、あまつさえ、承認通りに製造していると見せかけるために、隠蔽工作を続けていたという。

この実態に対して、誰も止めようとは云わなかったのだろうか。もしこの隠蔽体質が、会社全体の体質になっていたとしたら、とんでもないことだといわざるを得ない。更に今度は、最も取扱に注意を要するボツリヌス毒素の無届け運搬をやっていたという報道がされた。土壌中のボツリヌス菌が作り出すボツリヌス毒素は、自然界で最強の毒とされ、0.1mg超の運搬は届け出ることになっているとされる。0.1mg程度の摂取でも死に至る恐れがあるとされる。それほど危険な毒物を規定を守らずに移動させると云うことは、日常的な管理もいい加減なのではないかと疑われる。厚労省が立ち入りに入ると云っているから、その辺の扱いについても監査するのだろうが、誤魔化そうと思えば誤魔化せるのではないか。

製薬企業がその企業倫理に従い、正しい製品を製造し、販売する。その企業の姿勢を信頼して、我々は薬を患者に提供する。患者は医療関係者を信頼して、出された薬を服用する。それぞれの立場で、患者の病を治療するために総力を挙げる。その基本の流れの中でルールが守られていなかったとすれば、患者志向の思いは中断される。それ以上に何を信頼してその会社が販売する薬を患者に提供すればいいのか。患者の信頼をどうやって取り戻せば良いのかということになる。医療に携わる人間は、高度な倫理観を持つことが求められる。製薬企業に勤める医師、薬剤師であっても、高い倫理観を持っていなくては、医療に携わることは出来ない。医療に係わる全ての企業、人間は、その基本的な所で、高い倫理性を保持することが求められているはずである。

                                                                  (2015.12.28.)

『上野公園』

金曜日, 4月 1st, 2016

                                                                        鬼城竜生

上野公園の東京都美術館は今“モネ展”を行っている。それとは別に元国立病院の薬剤科長をされていたNT氏から風子会展の御案内を頂いた。今回が第39回目という展示会で、中田氏は退職後この会に属して絵を描き始imageめたようである。

勿論、元々絵に趣味があるから始めたと云うことだろうが、今回を含めて、海を前面に配した立山連峰の絵が多い。今回の“雨晴と立山連峰”は佳作入選していたが、三作品出展しているうちの二点目も“雨晴”と題する同じ構図の立山連峰の絵だった。

絵の上手い下手はそれなりに素人にも解るが、一定の線を越えた絵の評価は無理。その程度の鑑賞眼だから、絵全体の評価は出来ないが、永年写真を撮り歩いているということから絵の構図がいいか悪いかの見方はどうにかなる。その点から云うと、“雨晴と立山連峰”と題する絵は纏まっていた。もう一つの“雨晴”は、全く同じ場面を書いているが、連峰の前の海が奇妙に彎曲しているのが気になって好きになれない絵になっていた。

東京都美術館の裏側に『旧泰楽堂』が存在する。

この奏楽堂は、明治23年に創建された日本最古の木造の洋式音楽ホールで、現在の場所に移築後、昭和63年1月に国の重要文化財に指定された。東京芸術大学音楽学部の前身である東京音楽学校の施設だった奏楽堂は、昭和62年に台東区の手で現在地に移築保存され、一般に公開されるようになったという。但し、現在は改修工事中で、内部の見学は出来ない。

imageimage二階にある音楽ホールは、かつて滝廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本人による初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台であると紹介されている。正面のパイプオルガンは、大正9年に徳川頼貞侯がイギリスから購入し、昭和3年に東京音楽学校に寄贈したものだという。

11月11日(水曜日)は降水確率10%以内とする好天で、『旧泰楽堂』前は絵を描く人たちが何人も見られた。

この建物の左側、東京都美術館の裏庭に、戦災で生き残った公孫樹がある。1944年11月14日以降に東京は106回の空襲を受けたとされる。西郷隆盛の銅像の後に聳える公孫樹は3本、清水観音堂付近の広場に3本の公孫樹の大木が有り、幹には焼け後が残っているが、東京大空襲の記録簿からリストアップされた被災木は1本だけだという。幹の中ほどを鉄の輪で補強された公孫樹が見られるが、真上で焼夷弾が破裂したらしく、上部は爆風で吹き飛ばされている。しかし、それでも生き残って、青々と葉を茂らせている生命力には頭が下がる。

この公孫樹の近傍に黒い御影石の大きな弾が設置されている。白井翔平氏のノーサイドという彫刻である。暫く眺めていたが、意味不明。

西郷さんの銅像のやや左後ろに御墓みたいなものが見られるが、これは“彰義隊の墓”だと云われている。現在の上野公園は、江戸時代は寛永寺の境内で有り、薩長土肥の官軍と江戸における最後の一戦を行った主戦場がここで有り、その戦死者が葬られているのではないかと思われる。また西郷隆盛は江戸無血開城等、官軍の総大将だったと思われるが、明治image神宮に合祀されていないそうである。

明治神宮は天皇のために戦って死んだ者を祀る神社で有り、西郷は明治維新の重鎮ではあっても、最終的には官軍との戦端で敗北し、腹を切って死んだ逆賊で有り、明治神宮には合祀されないと云うことであるが、我が国の近代国家の確立に寄与したのは間違いのない話であり、国のためになったと云うことでは合祀しても良かったんじゃないかと思うが、官に逆らったと云うことでは賊で、該当しないということの様である。

上野公園の地図(発行・上野観光連盟)を見ていて気が付いたのだが、『袴腰広場』という見慣れない言葉が目に付いた。調べた所、袴の腰に当たる部分。男子用は台形の腰板が入っていると云うことから、鐘楼の下層の部分で、末広がりになっている部分。台形をしたもの、土手の断面等が該当するようだが、京成上野駅の裏側に当たる公園の入口が、台形をしており、そこを袴腰広場と洒落て云っているようである。

                                                                  (2015.11.14.)

第4回新宿・平和のための戦争展

金曜日, 4月 1st, 2016

                                 鬼城竜生

2016年3月19(土曜image日)・20日(日曜日)・21日(月・祝)の3日間image、新宿文化センター地下展示ホールにおいて『祝!新宿平和都市宣言30周年記念』と銘打った、新宿・平和のための戦争展実行委員会(代表:檜山紀雄)主催の表記の展示会が行われた。
展示会に展示されている品物は、檜山ミュージアムの収蔵品の中から出されているのを承知しており、年々収蔵品が充実してきているのを知っていたので、中日の20日に出かけることにした。

ミュージアムの収蔵品は、元々檜山氏が個人的に集めていたもので、当初は、他人には全く無目的に我楽多を集めているとしか思えない収集品-例えば明らかに偽物と思われる乃木将軍の遺書等が含まれていた。しかし、我々が冷やかすのもお構いなしで集める(蒐集)こと続け、仕分け(分類)することによって、それぞれの収集品が意味を持ち始め、蒐集の流れを定めて行くことになった。

戦中・敗戦直後の国民小学校の教科書から始めて日本軍の軍票、三八式歩兵銃や騎兵銃、牛蒡剣にサーベルと云った武器、鉄兜、防毒マスク、飯盒、日本に落とされて焼夷弾の残骸や国民が防災用に使用しimageた"消火用縄ばたき"、古いたばこの空き箱、敗戦後活躍した煙草巻き器等々、更には"終戦の

詔書"の複写迄、全てが戦争の隠された影の部分の情報を発信している。

2016年3月10日で丁度71年目を迎えた東京

 

大空襲、10万を超える人が亡くなったというが、火を消す

image

ために逃げるなと云う命令が出されていたと云うが、"消火用縄ばたき"とバケツだけで新しく開発された"強力な着火能力をもつ小型焼夷弾M69"の火を消すことができるなどと考える人は誰もいなかっただろう。逃げずに火を消せというとんでもない命令を出した奴は、亡くなった方々の中の何人かは、御自分の不明が原因で亡くなったということで、敗戦後自らを律す

る方法を講じたのかどうか。

どさくさ紛れに出した命令なぞ忘れてしまって、うやむやのうちに終わらせてしまったのだろうが、重要な問題を曖昧なことで済ませて仕舞うとすれば、全ての点で、曖昧なうちに済ませてしまうと云うことになるのだろう。

 

 

 

 

 

 

                 

 

 

 

 

 

   [2016.3.31.]