Archive for 12月, 2013

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「イレッサ判決概観」

水曜日, 12月 25th, 2013

        魍魎亭主人

2013年4月12日、肺がん治療薬「イレッサ」に関する最高裁判決が出された。結果的に原告側の上告を否決したが、原告側の上告を退けた最高裁の判断の趣旨は、主に末期の肺がん患者に処方されてきたイレッサの“特殊性”を重視。重篤な患者の治療にあたる臨床医ならば、添付文書の「重大な副作用」欄の4番目に記載されていたとしても、副作用として間質性肺炎を発症する危険性を認識できたと結論づけたと云うことだ。

■情報提供として十分

最高裁は、医薬品全般について「副作用情報が適切に与えられなければ欠陥があると解すべき場合がある」と指摘。添付文書の記載が適切かは
(1)副作用の内容と程度
(2)処方者の知識や能力
(3)記載形式
等を総合的に考慮すべきであるとしている。

その上で着目したのが、イレッサが、手術ができないような重篤な患者に投与されているという事情である。臨床医であれば、抗がん剤には一般的に間質性肺炎の副作用があること、もし末期患者が肺炎を併発すれば死亡しかねないことは当然、把握していたはずで、記載は情報提供として十分だったと判断したとされる。

輸入販売開始後の約3カ月間で報告された死亡例は17件。危険性を予見することはできなかったのか。この点を大谷剛彦、大橋正春両裁判官は補足意見で「具体的ではなくとも概括的な予見の範囲内にあったと考えることも可能」と指摘している。

但し、予見に基づいた記載をするとしても「危険の具体的内容が明らかでない限り、一般的・概括的な記載にならざるを得ない」と警告としての効果を疑問視。当時の記載が不適切だったとはいえないとした。

イレッサが早期承認された背景には、新薬を求める患者側のニーズがあったことも事実。厚生労働省によると間質性肺炎などの副作用で、販売開始から昨年末までに862人の死亡例が報告されているが、現在も特定の肺がん患者向けの有効な治療薬として使われている。補足意見は「有用性がある新規開発の医薬品に伴う副作用のリスクを社会的に広く分担し、その中で被害者保護、被害者救済を図ることも考えられてよい」とも言及している。

■今も救済の対象外

今回の裁判の背景には、抗がん剤による副作用被害が救済制度の対象外にされていることが挙げられる。医薬品による副作用被害については、製薬企業が基金をつくり医療費などを給付する「医薬品副作用被害救済制度」があるが、抗がん剤は原則として救済の対象外。多くの抗がん剤は、他の医薬品に比べて重い副作用が出やすいためという。

厚労省は検討会で議論したが、抗がん剤の副作用のみを救済すれば、放射線治療など他の治療の副作用に苦しむ患者らとの間に、不公平感が生まれる可能性もあるとして、救済制度導入を見送った経緯があると云われている。
永年、医薬品情報管理業務に携わってきた身からすると、添付文書の「重大な副作用」欄の例え4番目に書かれていたとしても、『間質性肺炎』が、重大な薬物有害反応(Adverse drug reaction)であることを記憶の隅に押し込めて忘れてしまうということはないはずである。従って、イレッサを処方した医師で、間質性肺炎が4番目だからたいしたことはないのだとの認識の方がいたとすれば、処方を書くべきではない。癌の専門医であれば、抗癌剤の薬物有害反応(adverse drug reaction)が生やさしいものではないことを知っているはずである。

また、他国に先駆けて承認をしたという点について、厚生労働省の判断は拙速であるとして食いつかれていたが、他に治療薬のない肺癌を患っている患者からすれば、治療する薬が無いままに死すよりは、少しでも可能性があるなら使えるようにして欲しいと願うのは当然のことである。何事にしても決断の遅い官僚が、切羽詰まって承認した薬である。それなりに期待感があってのことなのだろうと思うが、患者を殺そうとして承認した訳ではなく、他に治療の法のない患者のために急いで承認したと云うことである。癌の治療は未だ命がけだと云うことを忘れてはならない。治療法が正しくとも、害されることは在ると云うことを忘れてはならない。それだからこそinformed consentが求められるのであり、自分の命に係わることであり、最終決断は患者自身がすることだ。

単純に薬物有害反応(adverse drug reaction)を捉えて、それを薬害と云うとすると、薬を使うことが即薬害と云うことになる。薬の開発が人命を救い、平均寿命を伸ばすことに貢献しているのである。『薬害』と薬物有害反応(adverse drug reaction)は明確に区分することが必要である。

      (2013.12.13.)

「新宿御苑巡り」

水曜日, 12月 25th, 2013

       鬼城竜生

2013 年3月24日“Junior Baton twirling Festival”が、駒沢オリンピック公園総合運動場(体育館)で行われるというので、かみさんに連れられて出かけてきた。目的の演目は、午前新宿御苑-001中で終わったので、午後の時間をどう過ごすかと云うことになったが、新宿御苑に行けば桜が見られるのではないかと云うことで、出かけることにした。勿論、駒沢公園にも桜は咲いているが、ずぼっと咲いている桜では、腕がないから良い写真が撮れない。どうしても水があるとか山があるとか何か添景がないと素人の写真は心細い。

新宿御苑は、二十代の頃二度ばかり来たが、その後は御無沙汰ばかりで、それこそ三十年振り位になる。しかし、東京のど真ん中によくこんなものが残ったものだと思うが、内藤新宿(天正十八年に徳川家康より拝領-信州高遠藩主・内藤氏の下屋敷)と云われた江戸時代の屋敷跡に明治三十九年(1906)に皇室の庭園として整備された。敗戦後国民の公園として一般に開放されたという。フランス式整形庭園、イギリス式風景庭園と日本庭園を巧みに組み合わせた庭園は、明治時代の代表的近代西洋庭園であり、日本における数少ない風景庭園の名作であると説明されている。

明治五年(1871)、明治政府は日本の近代農業振興を目的とする内藤新宿試験場を設置し、その後、宮内庁移管の新宿植物御苑となり、明治三十九年には日本初の皇室庭園で新宿御苑-002ある新宿御苑が誕生した等の報告がされている。なお、現在、園内に『旧御涼亭』なるものが池畔に建てられているが、これは昭和三年(1928)に、昭和天皇のご成婚記念として建てられたもので、中国南方地方の建築様式を取り入れた、国内においても希少な本格的中国風建築だといわれている。

さて本題の『桜』については、八重桜のイチヨウ等、約65種1300本の特色ある桜が見られるとされている。2月に咲く寒桜から始まって4月下旬の霞桜まで、長期にわたって桜が見られるという。修善寺寒桜、大寒桜、寒緋桜、陽光桜、枝垂れ桜、染井吉野、横浜彼岸桜、大島桜、江戸彼岸、ヒマラヤ緋桜等が咲くと案内のパンフレットに記載されている。
これらの殆どの桜が見頃を迎えており、見事としか云いようのない風景であった。何せ桜の時期には初めて来たので、比較する物指しの持ち合わせがないが、多分最盛期ではないのか。見事と云えば、公園内は酒持ち込み禁止であり、公園入口で鞄を開けて中を検閲するという徹底ぶりで、御陰で園内で飲酒する集団は見られず、静に桜の観賞が出来た。

新宿御苑-003新宿御苑-004無闇に吉野桜が眼に付いたが、その他、多分鬱金桜と思われる黄色味を帯びた桜、妙に濃い桃色をした桜等、色々の花を見ることができた。その他、椿の花が咲いていたが、大きな木の陰で花が咲くのが遅れたためかもしれない。また、馬酔木の大きな木があり、房のように花が咲いていたのには、驚かされた。京都で見た馬酔木も大きな木と房状に花が咲いていたが、そこまで育った木を見たことがないので驚いた。

庭を一回りする途中で、アメリカから移植されたというラクウショウ[落羽松-沼杉(別名)]の巨木があったが、地面から突き出している異様なものが見られた。これはラクウショウの特徴で、気根と云うもののようであるが、気根は沼地に生えるラクウショウが呼吸をするための根だという説明がされていた。

この時期、桜以外にハナニラ、ムラサキハナナ、木瓜、白木蓮、ユキヤナギ、ハナミズキの花が見られるとする紹介がされていたが、気が付いたのはハナニラだけだった。

帰る前に平成24年に全面的な建て替えを行ったとする大温室に入ってみることにした。
この温室は、絶滅危惧種の保存・展示を行う環境配慮型の温室で、熱帯の植物を中心に約2,700種を栽培する他、ハナシノブなど絶滅の恐れのある植物の保護増殖にも力を入れているとされている。何枚か花の写真を写したが、新しく入手したカメラの接写の扱いが今一解らないので、どの程度撮れたかは不明。更に花の名前をメモしなかったので、何の花か解らんことになるかもしれない。
本日の総歩行数は、16,853歩。

          (2013.5.15.)

『疑義照会は分業の根幹』

水曜日, 12月 25th, 2013

      魍魎亭主人

1回2錠とする処方せんの記載に対して、実際の調剤は1回1錠になっていたとして薬局の窓口で、苦情を申し入れたところ、『字が読みづらかったので、薬剤師同士で相談し管理薬剤師が1錠と判断した』との回答だったという[薬事新報No.2806:1070(2013)]。

ところでその管理薬剤師なる方に、「貴方は本当に薬剤師なのですか?」とお訊ねしたい所である。日本医師会のみならず患者からも、疑問の声が上がりつつある院外処方箋の発行、いわゆる医薬分業の本来の意味は、医師の発行する処方せんに対し、薬剤師が鑑査し、患者の薬物療法に対して適正な医薬品が出されていることを確認することなのである。そのために薬剤師がしなければならないのは、曖昧な根拠に基づいて勝手な判断をして間違った調剤をするのではなく、医師に『疑義照会』をして不明な点を正した後、調剤することなのである。

『疑義照会』については、薬剤師法24条に「薬剤師は、処方せん中に疑わしい点があるときは、その処方せんを交付した医師、歯科医師又は獣医師に問い合わせて、その疑わしい点を確かめた後でなければ、これによって調剤してはならない」と規定されている。

今回の事例の如く判断に迷った場合、眼の利かない薬剤師同士が相談して結論を出す話ではないのである。自分勝手に、訳の解らない判断をするのではなく、疑義照会をしなければならなかったのである。24条の違反には、罰則規定(第32条)があり、50万円以下の罰金が科されることになっている。調剤薬局の薬剤師は、調剤過誤の恐ろしさを知らないとでも云うのであろうか。

最近、薬剤師の方々は、調剤は助手に任せて鑑査だけすればいいのではないか。本来の薬剤師の業務である病棟業務-服薬指導を充実させる等と宣う方をお見受けするが、薬剤師の業務で、法律で守られているのは調剤業務のみであり、調剤した薬を正しく服用して戴くために、服薬指導は、調剤業務の一つとして存在しているに過ぎない。

調剤を止めて服薬指導だけを実施したとすれば、他人が調剤した薬の服薬指導をすることになってしまう。その時に調剤された結果が間違っていたとすれば、誰が責任を取ることになるのか。目の前に患者がいて、薬剤師が持っている薬に調剤ミスがあり、自分が調剤した薬ではないとすると、調剤を実施した助手の責任を追求する気なのか、あるいは鑑査を行った薬剤師の責任だとでも云うのでろうか。

いずれにしろ薬剤師である以上、調剤を大切にする思いを忘れてはならない。院内全体の薬の管理をする。それが薬剤師の役割であり、病棟だとか、外来だとか、仕事の上で区分けする必要はないのではないか。

        (2013.12.17.)