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『甲府古道』

日曜日, 10月 21st, 2012

      鬼城竜生

7月6日(金曜日)の夕方からの会議に出席するため、甲府に出かけた。その日は湯村温泉郷の“常磐ホテル”に宿泊。翌日、到着時に駅で手に入れていた駅から歩く-ウォークラリーえき甲府-001ぽ“甲府山裾古の道”の地図に基づいて二?三ヵ所、写真を撮って歩くことにした。ただし、梅雨の真っ直中、朝から雨もよいの天気で、保つかどうか心配したが、兎に角出かけることにした。

ホテルでタクシーを呼んで貰い、武田神社へ。タクシーの運転手は、流石に武田信玄に詳しく、武田神社にと御願いしたら、あそこは新しい神社でと、武田神社の由来から武田氏の一家眷属、武田信玄の家来の住居の位置など、市内観光の説明をして頂いた。甲府らしい写真を撮るとしたらという質問に、今日は天気が悪いから駄目だけど、天気がよければ甲府盆地を見渡せるところが近くにあるんだけど………、でも今日は天気が悪いですもんねということだつた。

兎に角武田神社から駅まで歩いて、その間に探してみます。ということで車を降りたが、その時、武田神社の階段を上ったら後ろを見て下さい。甲府市内が見下ろせます。最も最近は家が建ってしまって、よく見えないかもしれませんが、石段の上から後ろを見ると、駅に向かって坂になっているのが解りますと教えてくれた。云われた通り石段の上から後ろを見ると、成る程かっては見事な景観であったろうと思うが、今は家込みの中に一本の道が通っている程度の景色にしか見えなかった。

神社の全景と狛犬等、定番の写真を撮って、武田神社宝物殿の拝観をすることにした。拝観の栞に武田神社の由緒が書かれている。

当神社は御祭神在世中の居館、躑躅ヶ崎館跡に鎮座している。躑躅ヶ崎館は、永正十六年(1519年)信玄公の父君信虎公が石和館(現甲府市川田)より移り、天正九年(1581年)晴信公の子、勝頼公が新府(現韮崎)に移るまで六十三年の間、甲斐武田氏の本拠として信虎・信玄・勝頼の三代が居住し、甲斐の政庁として甲府-002天下にその名を轟かせた。周囲には武田二十四将を始めとする諸将の屋敷が建ち並び、更には職人町もあり、初期の城下町を形成していたとされる。

前面(南)に甲府盆地、遠くは霊峰富士を始め甲斐の連山を望み、後方(北)に石水寺、要害山を控えた景勝の地で、境内は樹木が杜を作り、豊かな緑に包まれている。周囲の堀、
土塁等は当時のままで、戦国時代第一の居館と賞賛される『躑躅ヶ崎館』の往事を偲ばせるものである。境内地は、昭和十三年(1938年)国指定史跡に指定されたという。
館跡には当時からの古井戸等も残り、信玄公を始め一族の遺香を現在まで伝えると共に、神社創建の折、県内各所より寄進を受けた数百種類の樹木が四季折々の風景を見せている。また、境内にある「三葉の松」は全国でも珍しく、黄金色(こがねいろ)になって落葉することから、身につけると「金運」のご利益があるといわれている。

神社の創建は大正四年、大正天皇の御即位に際し信玄公墓前に従三位追贈が奉告されたのを契機に、御遺徳を慕う県民に武田神社御創建の気運が沸き上がり、官民一体となった甲府-003甲府-004甲府-005「武田神社奉建会」が設立され、浄財によって大正八年には社殿が竣工、四月十二日の御命日には初の例祭が奉仕された。爾来、武田神社は、甲斐の国の総鎮護として祟敬を集め、平成十一年御創建80年を迎え、祈祷殿「菱和殿(りょうわでん)」の御造営を始めとして各種記念事業が展開されているという。

その意味では武田神社は武田信玄だけが神として祀られており、他の神社に見られるような併神はないということである。

武田神社を出て駅に向かって暫く行くと、護国神社入口の信号が眼に付いた。甚だ見難い“えきぽ”の地図でもさほど遠くなさそうなので、行ってみることにした。曲がって直ぐ、大きなコンクリートの鳥居が見え、思わずオッと云ってしまったが、ここにこの大きな鳥居があると云うことは正面に神社が無ければならないはずだが、神社の姿は見えず無闇に車が走っているだけである。こりゃ参ったなと思いながら歩いていると左手にややくぼんだところが見え、やがて鳥居が見えてきた。大きな神社で山梨県護国神社というのが正式な名称である。

甲府-006山梨県護国神社は、明治十二年、招魂社として甲府市太田町に建立され、昭和十九年現在地に移され山梨縣護國神社として再建されたとする解説が頂いた見られる。西南の役以来の山梨県出身並に縁故のある戦没軍人軍属の御霊を奉斎し、境内の桜は市内で有数の名所となっている。摂社山梨宮は物故した本県出身の学者、義民、殉職自衛官らを祀り、また満蒙開拓殉難者をはじめとする慰霊碑も建立されているとされる。

例によって例の如く御朱印を頂戴し、元の道を甲府駅に戻った。甲府駅の周辺は現在工事中で、北口から南口に廻り、武田信玄公の銅像の写真を撮り、駅構内の喫茶店で珈琲を一杯。昼飯を食う暇を無くして駅弁を買って電車に乗った。地図には色々武田家所縁の寺院の名前が出ていたが、今回は脚を伸ばす時間が無かった。

2012年7月7日、今回の総歩行数は9,028歩で、1万歩には到達しなかった。

        (2012.7.16.)