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今、被災地から-岩手・宮城・福島の美術と震災復興

日曜日, 7月 24th, 2016

       鬼城竜生

5月20日(金曜日)上野に出かけた。その時ポスターで『今、被災地から-岩手・宮城・福島の美術と震災復興』と題する展覧会が東京芸術大学大学美術館で開催されている案内がされていた。
image東京という所は、妙ちきりんなところで、鉄の胃袋を持っていて何でも呑み込んでしまう。福島は5年前の大地震とそれに続く津波で、原発が爆発を起こした。その殆どを自分たちが使うための物でもない電気を送り出してきた原発の事故で、酷い目に遭っている。将に東京に住む人達のとばっちりを受けたようなものである。現地に行って手助けをしたくても、最早それだけの体力は無い。仕方が無い、その生活の一部でも垣間見られればということで、年に1回現地に出かけているが、その中で知り合った人もいて、将に一期一会の付き合いである。

そんな訳で、"今、被災地から-岩手・宮城・福島の美術と震災復興"と云う字面を見ると素直に覗いてみるかという気になるのである。会場で渡されたパンフレットには東京芸実大学・全国美術館会議・岩手県立美術館・宮城県美術館・福島県立美術館5施設の挨拶文として、
『東日本大震災発生から5年あまりが過ぎました。この間、岩手、宮城、福島を中心とした被災地では、その地域の人々を中心に救援活動と復興への取り組みが展開されてきました。しかし、被災地が広域であったこと、また被害の状況もさまざまであったと云うこともあり、未だ、復興への道筋が見いだせていない地域さえあります。
この震災は、東北地方沿岸部のいくつかの美術館や博物館にも、津波による甚大な被害を及ぼしました。……この展覧会は、被災地復興への道程は依然として厳しく遠いものの、震災後5年を経過することを一つの節目として開催します。……この大震災が美術の領域で何をimage引き起こし、その後美術館はどう行動したかをできるだけ広く知って戴くことで、今後の復興へのご理解とご協力を得る機会にしたいと考えています。』としている。

この展覧会は第1部「東北の美術-岩手・宮城・福島」、第2部「大震災による被災と文化財リスキュー、そして復興」で構成されている。

岩手の美術では、萬鐵五郎(1885-1927)の"赤い目の自画像"に強烈な衝撃を受けた。更には1924年に描かれた"地震の印象"も印象に残った。橋本八百二(1903-1979)"津軽石川一月八日の川開"、白石隆一(1904-1985)"三陸の魚"、宮城県の美術では杉村 惇(1907-2001)"春近き川岸"、佐藤一郎(1946- )"蔵王御釜"、佐藤忠良(1912-2011)"帽子・夏"、この佐藤さんのブロンズ像は上半身裸の女性が七部だけのズボンでつま先立ちで座り、帽子を目深に被るという姿をしているが、何とも云えない味があり、暫く眺めていた。( http://www.pref.miyagi.jp/site/mmoa/mmoa-collect044.html)

福島県の美術では佐藤玄玄(朝山)(1888-1963)"青鳩"・"冬眠"が気になった。両方とも小品だが、特に冬眠は、会場で見た時は、何が冬眠しているのか解らなかったが、家に戻ってパンフレットを開きっぱなしにして立ち上がった時に、初めて目のあり場所に気付き"ウシガエル"の冬眠像であることを確信した。その他では、斉藤 清(1907-1997)"会津の冬(26)" が版画でありながら雪の質感を出していることに驚かされたが、これは連作の一部の様である。

特に絵を見る眼がimageある訳じゃない、従って自分で見て好きだと思

image

った作品だけを挙げた。当然別の意見もあるだろうが、私が好きだと云うことであるからとやかく言って貰っても困るのである。

第二部の大震災による被災と文化財レスキュー、そして復興では、砂を落としたり、カビを除去したり、画面に張り付いた包装材料を剥がしたり、燻蒸したりと、あらゆる手を用いて修復に努めた様子が理解できる。更に塩抜きするなどという過程を見ると、なんだか料理をつくっている様な気になってくるが、『養生』という言葉も久々で眼にした。
栁原義達(1910-2004)"岩頭の女"のブロンズ像は元の形は解らないが、片腕はむしり取られており、下肢部には穴があいている。瓦礫の中から救出した後、脱塩処理、像内部の土砂や表面の腐食生成物の除去、防錆処置という応急処置は済んだと云うことだが、完全に修復されimageた訳では無いようである。

田代法橋(14代)(1917-1979)"相馬駒焼花瓶"の説明で、中村藩時代から御用窯として永い歴史を持ち「法橋」の号は一子相伝により継承されてきた。しかし震災でで登り窯を損壊したほか、後継者が決まっておらず存続が危ぶまれているとの紹介がされている。しかし、今年南相馬の道の駅に寄った時、相馬駒焼の湯飲みが市販されており、購入してきた。どうやら元と変わらぬ土を見つけ、窯の復活がされたのではないかと思われる。

いずれにしろ各県の博物館だけでは無く、古くから存続している神社仏閣の秘仏や秘宝も被害を受けている。これらも貴重な昔人の遺産である。直せるなら直し、次の時代に引き継ぐ責任があるのかもしれない。

               (2016.6.5.)