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「想い出すこと」

水曜日, 10月 30th, 2013

            魍魎亭主人

MRディスクロージャー委員会の方が『院内勉強会に弁当は必要?』(Yakugyo Jiho,No.100,2013.5.25.)と題する原稿を書かれていた。

過去の経験から云えば、院内勉強会に弁当を付けたがるのは企業の方である。

「勉強会をやらせて下さい」
「いいですよ。但し、学術の方に来て頂いて話をして頂くと云うことで御願いできますか」
「解りました。日程の調整をします。所でお弁当は何人前用意すればいいでしょうか」
「弁当は要りません」
「しかし、仕事が終わってからですから、参加する先生もお腹が空かれると思いますので」
「うちの連中は食事が遅いのは慣れていますし、もし間に合わなければ何か口に入れてきますからご心配なく」
「それは困ります。予算が付いていますので、用意させて下さい」
「いや必要ないですよ。弁当のために勉強会やる訳ではないですから。しかもわざわざ学術の担当者に来て頂くのですから、それだけで十分貴方の誠意は読み取れますから」
「いやそれじゃ困るんですけど。うちは結構佳い弁当を出せるので」
「弁当は結構です。どうしても何か出したいというのであれば、缶コーヒーでも出して下さい。但し、1人1本で余分な数はお持ちにならないように」

当時、院内の勉強会を申し込まれる度にこの様な遣り取りを繰り返していた。新規に採用した薬についての知識を得ることは、病院薬剤師として必要なことであり、当然なことである。しかし、勉強会と云うことであれば、MRの話でお茶を濁されては困る。やはり学術の担当者に来て頂いて、専門的な立場から話をして頂きたいし、こちらの質問に答えて頂けないのでは、勉強会の意味がない。

また、勉強会は業務の範囲内と云うことであり、特別に食事の用意をして頂く必要はない。まして缶麦酒を用意させて頂きますなどというのは余計なお世話なのである。前記の記事は、病院薬局側が、弁当を付けることを強要し、美味い弁当を付けることを強要し、あまつさえ弁当を貰うと会場から消える等という事例をお書きになっていたが、そういう仕来りを導入したのは企業側ではないかと思うが、如何であろうか。

在職中我が施設では、この方式で勉強会の運営を続けてきた。弁当を付けないことで、勉強会を拒否する薬剤師がいるとすれば、専門職能としての向上心がないということになる。晩飯は家に帰れば食えるのである。家に帰るまで持たないというのであれば、駅蕎麦でも手繰ればいい。企業との関係で云えば、身綺麗にしておくことが何より重要である。

       (2013.6.27.)

『郡上踊り』

日曜日, 10月 27th, 2013

        鬼城竜生

かたつむり 三十年ほど昔の話になるが、岐阜出身の仲間と呑んでいるときに、岐阜に有名な踊があるんじゃないかという話になった。盆踊りで“郡上踊り”というのがありますよ。1ヵ月位踊が続いて、途岐阜-12中で3日間徹夜で踊岐阜-01る日が挟まる。凄いね一度見てみたいけど、泊まるところは取れるのかしら。踊の期間中は、簡単に取れないかもしれませんね。
こんな遣り取りで終わって、そのままになっていた。それぞれ病院に勤務しており、休みも思うようには取れない。更に病院に勤務する労働組合の役員と云うことになると、自由に使える休暇などと云うのは考えられない。で、この時の話は遠い昔のこととして忘れてしまっていた。
かたつむり 突然、“郡上踊り”見に行きますか。行くなら計画立てますよと云う声が、突然とっさんから掛かった。いいね。永年の懸案だから行きましょうか。ということになった。そのうちFAX.で行程表が送られてきた。『東京医労連OB会有志-長良川温泉~白川郷~郡上八幡の旅相談メモ』なる長い名前の企画書である。
かたつむり それによると8月4日(日)長良川温泉・鵜飼、5日(月)白川郷・郡上八幡-盆踊り、6日(火)郡上八幡見物・帰京という日程が組まれていた。8月4日東京駅新幹線中央乗り換え口に集合、9:03発の⑤号車に乗車と云うことになっていたが、当方は品川から乗ると云うことで、速めに⑥号車の指定券を手に入れておいた。11:09着名古屋、新幹線駅地下(エスカ街)で昼食。以後レンタカーで行動を開始する。
かたつむり 最初に寄ったのは国宝犬山城である。犬山城は木曽川沿いの高さ約88mほどの丘に築かれた平山城であるとされる。犬山城の別名として『白帝城』とする記載が見られる。白帝城の命名者は伝・荻生徂徠とされており、木曽川沿いの丘上の城の佇まいを中国・長江流域の丘上にある白帝城を読岐阜-02岐阜-03んだ李白の詩「早発白帝城」に因んだものとされている。犬山城は織田信長の叔父である織田信康が天文六年(1537)に木之下城を移築したものと伝えられている。江戸時代初期にかけて城主は目まぐるしく入れ替わったとされている。天正十二年(1584)小牧・長久手の合戦の際には羽柴秀吉が大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣を敷いた徳川家康と戦ったとされる。江戸時代になり元和三年(1617)尾張藩付家老・成瀬正成が城主となってからは成瀬氏が代々受け継ぎ、幕末を迎える。明治維新で城は廃城となり天守閣を除いて櫓や門の大部分は取り壊され、県立公園となった。明治二十四年(1891)の濃尾震災で天守は大きな被害を受けた。同二十八年(1895)愛知県は修復を条件に旧城主である成瀬氏に譲渡した。昭和三十四年(1959)伊勢湾台風等で天守の破損が激しくなったため、全面的な解体修理が行われた。
かたつむり 天守は昭和十年(1935)国宝に指定され、昭和二十七年規則改正に伴い再指定された。天守の創建年代は天正頃(1573-92)、慶長五年(1600)-六年等幾つかの説があるが現存する天守の中では最も古いと云われているとされる。平成十六年(2004)まで、城主であった成瀬家が個人所有岐阜-04岐阜-05する文化財であったが、現在では犬山城天守は犬山城白帝文庫の所有となり犬山市が管理を行っている。
かたつむり 膝の関係で階段は怖いので城は外観だけを見学し、城の敷地に繋がっている神社を廻り、御朱印を頂くことにした。城に登る途中にあるのが三光稲荷神社である。御祭神は宇迦御魂大神、猿田彦大神、大宮女大神(天之受売命)の三柱で、城山の麓に位置する歴史ある神社であるとされる。
かたつむり 三光稲荷神社の創建は明らかでないが、天正十四年(1586)の伝承があり。犬山城内三狐寺山に鎮座(現在の丸の内緑地公園内)、織田信康公の崇敬殊に厚く、また犬山城主成瀬家歴代の守護神として天下泰平、五穀豊穣、商売繁盛、交通安全の祈願を籠め数々の神宝を寄進される。現在の地には、昭和三十九年十月に移築したとされる。猿田彦大神を祀る猿田彦神社は犬山猿田彦神社ともいい、三光稲荷神社の境内社であるが、独立した存在である。御朱印は三光稲荷神社と猿田彦神社の二社に分けて記載してくれた。なお、三光稲荷神社には、御神水でお金を洗うとお金が増えて戻ってくるという、銭洗い信仰の流れをくむ銭洗いの池がある。100円でろうそくを求め、貸し出し用の笊を持って、蝋燭に火を灯し、灯りを稲岐阜-06荷神社に捧げた後、笊にお金をいれて洗い清めるとお金が何倍にもなって戻ってくると云うものである。
かたつむり 三光稲荷神社と地続きにある針綱神社は、延喜式神明帳所載の式内社で、本国貞治本には従一位針綱明神又同元亀本には正一位針綱明神とあり、太古よりこの犬山の峯に鎮座され東海鎮護、水産拓殖、五穀 豊饒、厄除、安産、長命の神として、神威顕著にして士農工商の崇敬殊に厚く白山大明神と称えられ濃尾の総鎮守であったとされる。中興織田信康公市内木の下城を社地に移築せんと御奈良天皇の宣旨を蒙り、天文六年(1537)八月二十八日、市内白山平(城の東方にあるお山)に遷座し奉った。爾后69年を経た慶長十一年四月八日、更に市内名栗町に遷座し奉り、城主成瀬氏代々の祈願所であったという。明治維新の後同十五年年九月二十八日名栗町の座地より天文六年迄座地であった現在地に御遷座になり、戦前は県社とし戦後は宗教法人針綱神社(尾張五社の一つ)として近隣の崇敬を集めている。
かたつむり 針綱神社の主祭神は『尾治針名根連命(おわりはりなねむらじのみこと)』である。相殿神は大巳貴命(おおなむちのみこと:大国主命)、記紀神話の国造りの際に全国を回って国土開拓に協力した神とされる少彦名神(すくなひこなのかみ)を祀っている。なお八幡神(応神天皇〔品陀和気命〕)を明治四十二年に合祀したとされる。この神社には天文六年織田信康が自ら木の犬を彫り延命長寿、安産を祈願したという、犬が祀られている。安産の神と云うだけではなく、命の岐阜-07神として出征する兵士や家族の参拝が後を絶たなかったという。
かたつむり この後、岐阜を目指して20kmの車旅を続け、今夜の泊まり“十八楼”に車を預け、岐阜城を目指した。岐阜公園内を突っ切り山麗駅から金華山山頂駅に、その後山道を登って岐阜城まで、途中閻魔堂があり、多くの“福閻魔”と云う旗指物が並べられていたが、鬼門・悪病よけ、商売繁盛のご利益があるとされている。但し残念ながら堂内の閻魔像は観られる様にはなっておらず、どういう閻魔かは不明である。ただ、福徳円満な笑みをたたえた木造の尊像だという話がある。
かたつむり 金華山山頂に位置する岐阜城は、配布されていた半截によると、嘗て稲葉山城と称していたという。1201年、鎌倉幕府執事二階堂行政により初めて砦が築かれた。更に戦国時代には、斎藤道三の居城であったと云われている。ただし、岐阜城の名を天下に示したのは、永禄十年(1567)八月、織田信長がこの城を攻略、この地方一帯を平定すると共に、地名も「井の口」を「岐阜」と改称し、天下統一の本拠地としてからだという。しかし慶長五年(1600)八月、関ヶ原合戦の前哨戦の際、信長の孫秀信が西軍に味方したため、東軍に攻め入られ、激戦の末落城した。
かたつむり 翌慶長六年、岐阜城は廃城となり天守閣、櫓等は加納城に移築された。現在の城は、昭和三十一年七月、岐阜城岐阜-08再建期成同盟によって復興された物岐阜-09で、鉄筋コンクリート造り、三層四階構造で、延べ  461.77m2 棟高17.7mの威容を誇っている。城内1階は「武具の間」、2階「城主の間」、3階「信長公の間」となっており、最上階の「望楼の間」は展望台として岐阜近郊を含めた壮大な眺望を楽しむことが出来る。
かたつむり 今夜宿泊する“十八楼”は、万延元年(1860)創業の古い旅館で、貞亮五年(1688)俳聖芭蕉が岐阜を訪れた際、長良川畔にあった水楼を「十八楼」と名づけ、かの有名な「十八楼の記」を記したという。この十八楼の記は地域にとってもかけがえのない誇りとなり、子に孫に語り継がれていた。その後170年余を経た江戸時代末期、この誉れが忘れ去られていること悲しんだ当館の先祖が、地域の宝を再興しようと一念発起し、万延元年(1860)に自らの旅館の名前を「山本屋」から「十八楼」に改名したことが紹介されている。芭蕉の作とされる俳句は

                      『このあたり目に見ゆるものは皆涼し』
                      『またやたくひながらの河の鮎なます』

かたつむり 夕食は鵜飼い船の上でと云うことだったが、海の屋形船と違い、川船は狭く出来上がっているという思い込みがあり、酒も飲むと云うことで、カメラは置いていくことにした。所で長良川の鵜飼いの最も古い史料は、大宝二年(702)の各務郡(かがみごおり)中里の戸籍「鵜養部都売(うかいべめづらめ)」の記事で、このことから美濃の国の鵜飼いは1300年の歴史があると云われている。
かたつむり 鵜舟の全長約13m、先頭に10-12羽の鵜を同時に操る「鵜匠」、その後ろには助手として「なか乗り」と、 舟を操る責任者の「とも乗り」の計3人が乗ってい。船の先端には篝棒を支柱として篝(かがり)に刺された松割木に火が付けられ篝火として鵜の働く場を照らしている。この火は鮎を驚かすためのものだとされている。勿論この船に観客が乗る訳ではなく、客が食事をする船は観覧船として用意されており、真ん中にテーブルがしつらえてあり、客は向かい合わせに座って食事が出来る様になっている。
かたつむり 驚くべきは長良川の鵜匠は、日本で唯一、宮内庁式部職鵜匠の地位を授けられているという。つまり国家公務員と岐阜-11いうことである。現在岐阜市には、6人の鵜匠がおり、世襲制でその技岐阜-13と伝統が受け継がれているという。“十八楼”から船着き場までは、鵜飼小路を通って船着き場の鼻先に出ることが出来、甚だ便利であった。
かたつむり 翌5日は9時に出発して世界遺産白川郷へ、白川郷で見学と昼食、16時位までに郡上八幡に着き、郡上八万条を眺めることになっていた。まず白川郷に到着。驚いたことに独逸の建築家ブルーの・タウトが、昭和10年に、その著書『日本美の再発見』に紹介したのが世界的に白川郷が知られる切っ掛けになったと云うことであるが、日本人が白川郷をそれなりの目で見るようになったのも、それが切っ掛けになったのではないかと思える。
かたつむり 白川郷全景の撮影スポット、荻町城跡・城山天守閣(展望台)から見える風景は、確かに見るからに感動する。しかし、住んでいる人は大変だろうなと思わざるをえない。あの合掌造りの建物を維持しなければならないというのは、甚だしく神経を使うことだろうと推察する。更にあの屋根の葺き替えは、材料の確保から職人の技術維持まで、たまったものではない。今でも『結』は生き残っているのか。村内を適当に歩き、その後合掌造りの“基太の庄(きたのしょう)”で昼食。イワナ塩焼きと濁り酒を貰い、昼食にした。
かたつむり 昼食後、最後の目的地である郡上八幡に向かった。今回の主たる目的は郡上八幡の盆踊りを見ることで、日本三大盆踊り-阿波踊り(徳島)・西馬音内盆踊り(にしもないのぼんおどり)(秋田県)・ 郡上踊り(岐阜県)-の一つである郡上踊りを見ることが目的だった。
岐阜-14先ず長良川鉄道-越美南線の郡上八幡駅に行き、車で市内を見学しながら本日の宿-積翆園に向かった。積翆園の庭にも郡上踊りの屋台が組まれており、ここにも踊りに来る人が居ると云うことだった。今年の郡上踊りは7月20日(土)-8月24(土)。8月12日徹夜踊前夜祭午前1時頃まで、8月13日・14日・15日徹夜踊午前4時頃まで。驚くほどの長期にわたる踊の期間が、郡上踊りの特徴の一つである。
かたつむり 更に驚いたことに積翆園は郡上宝暦義民の顕彰を行っており、この時期法事と踊りの奉納をすると云うことで、玄関前に祭壇が置かれ、御参りして下さいと云うことで、線香を上げさせて戴いた。ホテルの庭にはこの一揆で有名になった“唐傘連判状”の碑が置かれていると云うことであった。
かたつむり 郡上一揆と云うのは、石徹白騒動はともに目安箱への箱訴が行われ、時の将軍徳川家重が幕府中枢部関与の疑いを抱いたことにより、老中の指揮の下、寺社奉行を筆頭とする5名の御詮議懸りによって幕府評定所で裁判が行われることになった。裁判の結果、郡上一揆の首謀者とされた農民らに厳罰が下されたが、一方領主であった郡上藩主の金森頼錦は改易となり、幕府高官であった老中、若年寄、大目付、勘定奉行らが免職となった。江戸時代を通して百姓一揆の結果、他にこのような領主、幕府高官らの大量処罰が行われた例はない。また将軍家重の意を受けて郡上宝暦騒動の解決に活躍した田沼意次が台頭する要因となり、年貢増収により幕府財政の健全化を図ろうとした勢力が衰退し、商業資本の利益への課税が推進されるようになったと云う大きな事件であ岐阜-15る。
かたつむり 残念ながら雨が降り出し、雷も鳴り出したので、流石に踊は中止と云うことになった。翌日残り雨の中市内の観光とお土産を買うと云うことで出発したが、途中、雨が降っているため、思ったコースの見学が出来ないということで、庭が綺麗だと紹介されていた臨済宗妙心寺派鍾山慈恩護国禅寺の庭園荎草園(てつそうえん)を拝見することになった。
かたつむり 慈恩護国禅寺は、慶長十一年(1606)郡上八幡城主遠藤慶隆(1550年-1632年)の開基、京都大本山妙心寺の円明国師を勤請し、その高弟半山禅師を迎え、釈迦如来を本尊として創建されたものであると戴いた半截に説明がされていた。当初慈恩寺と号していたが、江戸時代の元文三年(1738)、「護国」の称号と青蓮院宮一品親王の書成る勅額を下賜された。また棠林和尚の代には禅堂(修行道場)が開かれた。しかし、明治二十六年大水害で裏山が崩壊し、山門・勅使門のみを残して全て埋没。明治天皇からの御見舞いを賜り、三年後に復興し現在に至るという。庭園荎草園は創建は半山禅師の作庭とされている。
その後、雨が上がってきたので市内観光と、物産館に行き、買い物の後名古屋を目指して帰途に就いた。名古屋で遅昼を食べ、新幹線の客となった。

                          食み跡のある鮎見せる鵜飼かな
                          食み跡の鮎を広げる鵜飼かな

            (2013.9.21.)

『かたくりの花』

日曜日, 10月 27th, 2013

                鬼城竜生

八王子にある片倉城跡公園に“かたくりの花”の写真を撮りに行った。しかし時期が早くて、僅かな花しか咲いていなかった。それ以降、殿ケ谷戸庭園に“かたくりの花”が咲くと云うことで、狙いカタクリ-001カタクリ-003を付けていたのだが、機会を逃して見に行くことができないでいた。

今年3月、新聞に練馬区大泉町にある“清水山憩いの森”で“かたくりの花”が咲いており、見頃を迎えているという新聞記事を偶然眼にした。練馬区と云ってもあまり印象のある区ではなく、“清水山憩いの森”と云われてもどの当たりか見当が付かない。そこで調べて見たところ、練馬区大泉町にある“清水山憩いの森”は、野性のカタクリが群生している所だというのが解った。

当日、憩いの森で配布されていた四つ折りの説明によれば、『“清水山憩いの森”は練馬区の北西部を流れる白子川沿いの、北斜面にある。主な樹種はコナラ・イヌシデ・クヌギ・エゴノキ等の植生を示す雑木林である。林床にはカタクリを初めヤマホトトギス、キツネノカミソリ、ヤマブキソウ等、この付近では少なくなってしまった野草をそれぞれの季節に見ることができます。

なかでもカタクリは、この林に約30万株あると推定されています。その半数近くの株が、毎年交代で花を咲かせていると考えられ、春には一面に紫紅色となります。カタクリは冬から早春にかけカタクリ-002カタクリ-004て、陽光が降りそそぐ、湿り気のある落葉樹林に見られます。関東地方では普通、北向きの斜面林に多く見られ、この清水山憩いの森もカタクリの自生地として適しているようです。』

東京23区内で、現在確認されている唯一カタクリの自生地で、1976年以降は大切に保護されているという。春先には緑色の葉と薄い紫紅色の花が、一枚の大きなジュータンのように森の中に敷きつめる。紫紅色の花は、晴れた日の朝に開き、気温が下がる夕方に閉じる。曇りや雨の日、寒い日には花が開かないこともあるので、よく晴れた暖かい日が見頃となる。カタクリは花の後、実が熟し、種子を飛ばす。種子は次に花を咲かせるまで長い歳月を土の中で、鱗茎に養分を蓄えながら過ごし、平均8年目でようやく2枚の葉を出す。それからやっと花を咲かせる。だが、咲いた花の寿命は僅かに10日程度と短い。紫紅色の小さな花びらを6枚、宙に向かって反り返らせたカタクリの花。どこか菫に似た可憐な姿に心を引かれる人も多い。

カタクリはユリ科に属する多カタクリ-005年草で、地下に鱗茎を持つ球根植物である。花は2枚の葉の間から出る15cm程度の茎の先に1個つく。紫紅色の6枚の花弁を持ち、下向きに咲く。花弁の内側の濃い紅色の模様は、花の蜜のある場所を示す印だとされている。

カタクリは種子から花が咲くまで7-8年掛かると云われている。発芽1年目は針のような葉を着け、その後数年間は一枚葉で次第に成長し、7-8年目に二枚葉を出して花を咲かせる。自然の状態では花を付けた翌年は一枚葉となり、開花を休む。カタクリは2月下旬頃から地上に芽を出し始めるが、3月中旬頃に出る茶褐色の芽は一枚葉に成長、花は咲かない。3月中旬頃から二枚葉になる芽が出てきて花を付ける。

4月中旬頃まで次々と花を咲かせ、その後結実期に入り、5月中旬頃までに葉は枯れ地表から完全に姿を消してしまう。カタクリが地表に姿を見せるのは1年のうち極僅かの期間である。2ヵ月という地上での生活で鱗茎は養分を蓄え、成長しながら少しずつ地中に潜り、地表下15-20cmの深さに定着するとされている。

大江戸線の“光が丘駅”からバスで土支田二丁目バス停下車、徒歩約300mという行程を信じて2013年3月28日(木曜日)にかみさんと出かけた。時期としては良かったようで、写真を何枚か写したが、兎に角難しい。何せ下向きに花が咲いており、下から煽りたくとも茎の長さが短いため、地面にカメラを置いたとしても、巧く撮れるという保証はない。そういえば、現場には近所の方々が面倒を見るために出張っていたが、飾ってあった写真は、流石というものが見られた。また白い花の写真があったが、白い花は稀にしか咲かないようである。総歩行数は5,059歩と少なかった。

             (2013.5.7.)

「セアカゴケグモの毒性と咬傷時の処置」

木曜日, 10月 10th, 2013

 

KW:毒性・中毒・セアカゴケグモ・咬傷時処置・救急処置・背赤後家蜘蛛・Latrodectus hasseltii

Q:セアカゴケグモの毒性及び咬傷時の処置について

A:セアカゴケグモ(背赤後家蜘蛛:Latrodectus hasseltii)は、ヒメグモ科(theridiidae)ゴケグモ属(Latrodectus)に分類される有毒の小型のクモの一種。和名のセアカゴケグモは“背中の赤い後家蜘蛛”の意味である。本来我が国には生息していなかったが、1995年大阪府高石市で初めて確認されて以後、幾つかの地域で確認されており、本州(宮城県、群馬県、愛知県、岐阜県、三重県、京都府、大阪府、滋賀県、奈良県、和歌山県、兵庫県、岡山県、山口県)、四国(香川県、徳島県、高知県)、九州(福岡県、佐賀県)、沖縄県等で確認されている。

分布:オーストラリア原産地とする。米国でも記録されている。オーストラリアから材木やコンテナ等に付着して国内に定着したと考えられている。

特徴:雌による咬傷が報告されている。雌の体長は約1cm、黒色で腹部に砂時計型の赤色紋がある。雄は約0.4mmと小さく、褐色で腹部に白色の斑紋が見られる。

毒性:人に対し毒性を示すのは、毒腺の蛋白分画中α-ラトロトキシン(α-latrotoxin)という蛋白である。主成分の分子量13万の巨大蛋白で、受傷から5-60分ほどで局所に強い痛みが生じ、その強さと範囲が徐々に拡大する。α-latrotoxinは神経毒であるため、脊椎動物の神経筋接合部(コリン作動性)、交感神経終末(アドレナリン作動性)の両者でシナプス前膜の受容体に結合し、非特異的に神経伝達物質を放出させる。このため初期には骨格筋、自律神経系の異常興奮、その後伝達物質を枯渇による麻痺を惹起する。

人がセアカゴケグモに咬まれると、運動神経系、自律神経系が障害され、種々の症状が現れる。殆どが軽症だが、重症例では呼吸数や血圧などのバイタルサインに異常が現れ、発汗や悪心、動悸などが生じる。ヒト致死量:不明。

症状:受傷後、疼痛は数分で治まるが、20-40分後に再度生じる。30分-2時間で筋肉痛や筋痙攣が始まり、筋硬直が起こることがある。症状は3-4時間が頂点で、数時間-数日間で治まるが、頭痛、脱力、筋肉痛、不眠などが数週間持続することがある。

また、咬まれた直後は局所の痛みはほとんどなく、あっても咬まれた部位に軽い痛みを感じるだけである。刺し口が一つ、あるいは二つ見つかる場合もある。また、咬まれた部位の周辺に発疹を見ることもある。局所症状が現れるまでの時間は様々である。局所痛として現れ、次第に痛みが増強する。時間と共に痛みが咬まれた四肢全体に広がり、最終的には所属リンパ節に及ぶ。局所の発汗も起こり、しばしば熱感、掻痒感も伴う。しかし、局所症状の最も大きな特徴は痛みであるとする報告も見られる。

局所の激しい疼痛・熱感・発赤、激しい筋肉痛、筋痙攣、筋硬直、多汗、流涎、嘔気、嘔吐、腹痛、血圧上昇、頻脈、気道分泌増加、呼吸困難、体温低下。

これまで国内で重症化した例は殆どない。国立感染症研究所昆虫医科学部の報告では咬傷例は95年以降20例ほど報告されているが、国内での死亡例はない。小児や高齢者では重症化する可能性もあるが、抗血清を適切に使えば対処できる」としている。

処置法:抗毒素血清*[オーストラリア連邦血清研究所(CSL)から直接輸入]。対症療法:筋痙攣(ジアゼパム、グルコン酸カルシウムが有効とされている。ダントロレン等の筋弛緩剤)、疼痛(acetaminophen、NSAIDs、ペンタゾシン、麻薬(codeine phosphate、morphine等))。

*国立感染症研究所・三重県立総合医療センター・大阪府立病院・沖縄県立中部病院に保管の報告があるが、現在、国内では保管されていないとする報告も見られる。但し、居住する都道府県の保健所等に確認することにより有用な情報を得られる可能性はある。

予後:セアカゴケグモの咬傷によりアナフィラキシーショックを起こすことはないと報告されている。適切な診断と治療を行えば死亡することはない。

*小児、高齢者、妊婦などでは重症化する場合があり、死因の主体は呼吸不全である。
*抗毒素血清の投与により症状は速やかに軽快すると言われており、投与は早ければ早いほうが良い。しかし、症状の頂点を過ぎてから投与しても、その後の症状の軽減に有効とする意見がある。

防 疫:殺虫剤として“クモの巣消滅ジェット”(アース製薬)[成分・フェンプロパトリン(ピレスロイド系)]、“ゴキジェットプロ”(アース製薬)[成分・イミプロトリン(ピレスロイド系)]等が有効とする報告が見られる。

1)加納亜子:今月のキーワード-セアカゴケグモ-西日本で咬傷事例が相次ぎ報告;Nikkei Medical,p27,2012.10.
2)森 博美・他:急性中毒ハンドファイル;医学書院,2011
3)黒川 顕・編:中毒症のすべて-いざという時に役立つ、的確な治療のために-;永井書店,2006

           [63.099.LAT:2012.11.21.古泉秀夫・2013.9.30.一部改訂]

「各種鎮咳剤と副作用としての便秘」

木曜日, 10月 3rd, 2013

 

KW:副作用・便秘・astriction・鎮咳剤・antitussive agent・中枢性鎮咳剤・末梢性鎮咳剤・ジメモルファンリン酸塩・ペントキシベリンクエン酸塩・クロペラスチン塩酸塩・デキストロメトルファン臭化水素酸塩水和物・dl-メチルエフェドリン塩酸塩・メチルエフェドリン・エフェドリン塩酸塩・ノスカピン・コデインリン酸塩水和物・チペピジンヒベンズ酸塩・グアイフェネシン

Q:高齢者の場合、便秘を起こし易いとされているが、種々の鎮咳剤の副作用として便秘はどの程度報告されているか。

A:鎮咳剤は、脳における咳中枢の興奮を抑える中枢性鎮咳薬と、咳反射の末梢受容体の刺激を軽減する末梢性鎮咳薬の二種類に分類されている。

1]中枢性麻薬性鎮咳薬

§ コデインリン酸塩水和物[codeine phosphate hydrate(JAN)]:モルヒネと極めて類似の化学構造を有しオピエート受容体に結合するが、その薬理作用はモルヒネより弱い。鎮痛作用はモルヒネの約1/6、精神機能抑制作用、催眠作用及び呼吸抑制作用は約1/4といわれる。
これらの作用は量を増加しても、それに対応して増強するとは限らない。悪心・嘔吐・便秘などを起こす作用もモルヒネの1/4以下と云われる。これらの作用に比較して鎮咳作用が強く、延髄の咳嗽中枢に直接作用して咳反射を抑制することによりせきを鎮める。また腸管蠕動運動を抑制して、止瀉作用を発現する。消化器系の副作用として悪心、嘔吐、便秘(比較的強い便秘傾向)が報告されている。[商品名]コデインリン酸散・錠(第一三共)。

§ ジヒドロコデインリン酸塩[dihydrocodeine phosphate(JAN)]:コデインリン酸塩より強い鎮咳・鎮痛作用を持っており、殊に鎮咳作用は約2倍強力である。延髄の咳中枢にあるオピオイドレセプターに作用して、求心性インパルスに対する刺激の閾値を上昇させて、咳反射を抑制する。配合剤の消化器系副作用として悪心・嘔吐、便秘、食欲不振、口渇等が報告されている。[商品名]ジヒドロコデインリン酸末・散(第一三共)。

§ オキシメテバノール[oxymetebanol:drotebanol]:中枢性に作用して鎮咳作用を発揮する。コデインリン酸塩の1/10量、デキストロメトルファンの1/5量で、ほぼ同等の鎮咳効果を有する。消化器系の副作用として悪心・嘔吐、食欲不振、便秘、腹痛、口渇、下痢等が報告されている。[商品名]メテバニール錠(第一三共プロファーマ)。

2]中枢性非麻薬性鎮咳薬

§ ノスカピン(noscapine):延髄の咳中枢を抑制することにより、咳の発生が抑制される。コデインなどの麻薬性の中枢性鎮咳薬と異なり習慣性はない。鎮咳去痰薬として単独で処方されるほか、総合感冒薬に配合されることもある。適応として感冒、気管支喘息、喘息性(様)気管支炎、急性気管支炎、慢性気管支炎、気管支拡張症、肺炎、肺結核、肺癌、肺化膿症、胸膜炎、上気道炎(咽喉頭炎、鼻カタル)等が報告されている。副作用:眠気や注意力の低下が生じるため、自動車等の運転には注意を要する。他に頭痛、吐き気、便秘などの症状が現れることがある。[商品名]ノスカピン末(純生)。

§ ジメモルファンリン酸塩[dimemorfan phosphate(JAN、INN)]:延髄の咳中枢に作用して、感受性閾値を高め、その働きを抑制する。また咳中枢に直接作用して、咳をやわらげるとする報告も見られる。通常、上気道炎、肺炎、急性気管支炎など呼吸器疾患に伴う咳の治療に用いられる。副作用:消化器系(口渇、食欲不振、悪心、下痢、便秘)。但し、dimemorfan phosphateはマウスによる動物実験で、リン酸コデイン投与時に見られるような腸管輸送能の抑制作用(便秘作用)を示さないとする報告も見られる。[商品名]アストミン錠・散・シロップ(アステラス)

§ チペピジンヒベンズ酸塩[tipepidine hibenzate]:延髄の咳中枢を抑制し、咳の感受性を低下することにより鎮咳作用を示す。また、気管支腺分泌を亢進し気道粘膜線毛上皮運動を亢進することにより、去痰作用を示す。消化器系副作用として腹痛、食欲不振、便秘、口渇、胃部不快感・膨満感、軟便・下痢、悪心等の報告がされている。[商品名]アスベリン錠・散・ドライシロップ(田辺三菱)

§ グアイフェネシン[guaifenesin]:視床下部の抑制及び気管支筋の弛緩による鎮咳作用と、気道分泌液の増加による去痰作用を有する。消化器系の副作用として悪心、食欲不振、胃部不快感等が報告されている。[商品名]フストジル錠・末・注(京都)。

§ デキストロメトルファン臭化水素酸塩水和物[Dextromethorphan Hydrobromide Hydrate(JAN)]:モルフィナン系麻薬拮抗作用薬。咳中枢を抑制し、咳嗽反射の閾値を上げる。l-体のレボルファノールが鎮痛、呼吸抑制、鎮咳諸作用を有し、麻薬であるのに対し、d-体の本薬には麻薬としての作用が無く、鎮咳作用のみ強い。オピオイド受容体には作用しないと考えられている。また脳の延髄にある咳嗽中枢に作用して、咳嗽反射閾値を上昇させ、咳を鎮める。通常、感冒、急性・慢性気管支炎、気管支拡張症、肺炎、肺結核、上気道炎(咽喉頭炎、鼻カタル)、気管支造影術や気管支鏡検査時の咳の治療に用いられるとする報告が見られる。副作用:消化器系(悪心、嘔吐、食欲不振、便秘、腹痛、口渇、曖気)。[商品名]メジコン錠・散・シロップ(塩野義)・ハイフスタンM注5mg(日医工ファーマ)。

§ クロペラスチン塩酸塩[cloperastine hydrochloride(JAN)]:本剤は各種の炎症、気道内外の原因による過度の咳嗽反射に対して、優れた中枢性鎮咳作用を発揮する。また緩和なパパベリン様作用、抗ヒスタミン作用を示す。本剤の臨床評価は、感冒、急性気管支炎、慢性気管支炎などの急・慢性呼吸器疾患の咳嗽について行われたが、鎮咳効果は服用後20-30 分であらわれ、3-4時間持続し、その抑制効果は臨床的にはリン酸コデインに匹敵する等の報告がされている。副作用:眠気、悪心、食欲不振、口渇。[商品名]フスタゾール糖衣錠・散(田辺三菱)。

§ ペントキシベリンクエン酸塩[pentoxyverine citrate(JAN)]:鎮咳効果は延髄にある咳中枢の選択的抑制によると云われており、即効的、かつ持続的であり、呼吸抑制、習慣性、禁断現象などは見られないとされている。また咳をだす神経の感受性を低下させると共に、呼吸器の筋肉の収縮をゆるめたり、刺激を和らげたりすることにより咳の程度や発生頻度を抑える作用を持つ。通常、かぜ(感冒)、喘息性気管支炎、気管支喘息、急性気管支炎、慢性気管支炎、肺結核、上気道炎(咽喉頭炎、鼻カタル)に伴う咳の治療に用いられるとする報告も見られる。副作用:食欲不振(0.4%)、便秘(0.4%)、発疹(0.4%)等であった。[商品名]トクレススパンスール(大日本住友)。

§ エプラジノン塩酸塩[eprazinone hydrochloride(JAN)]:piperazine誘導体のエプラジノン塩酸塩で、鎮咳作用はコデインに匹敵し、中枢性・非麻薬性である。また去痰作用は、酸性ムコ多糖類繊維・DNA高含有繊維溶解作用、喀痰粘稠度低下作用、気道内分泌液増加作用と気道粘液溶解作用を主としている。副作用:消化器系副作用として、食欲不振・悪心、嘔気・嘔吐、胃部不快感、下痢、腹痛等。[商品名]レスプレン錠・散(中外)。

§ クロフェダノール塩酸塩[clofedanol hydrochloride]:本薬はジアリルアミノプロパノール誘導体の中で、鎮咳活性の最も高いものとして見出された。中枢性鎮咳薬。本薬の作用部位は、四丘体下丘以下の脳幹部にある咳中枢そのものであり、末梢作用はないと推定される。消化器系の副作用としては食欲不振、胃痛、胃重感、胃部不快感、嘔気・嘔吐、腹痛、食欲不振、便秘、下痢、口渇等。[商品名]コルドリン錠・顆粒(日本新薬)。

§ ベンプロペリンリン酸塩[benproperine phosphate ]:本薬は咳中枢興奮性の低下、肺伸張受容器からのインパルスの低下及び気管支筋弛緩による鎮咳作用、気管支筋収縮寛解作用を示す。消化器系の副作用として食欲不振、腹痛、胸焼け、口内乾燥等。[商品名]フラベリック錠(ファイザー)。

3]生 薬

§ 桜皮エキス[cherry bark ext.]:動物実験(家兎、マウス)において、末梢性に作用して気管支の蠕動運動を促進することが認められている。また、作用機序は不明であるが、気道粘膜の分泌を高め、痰をうすめる作用もあるとされている。 [商品名]ブロチンシロップ(第一三共)

4]β2-アドレナリン受容体刺激薬

§ dl-メチルエフェドリン塩酸塩[dl-methylephedrin hydrochloride(JAN)]:フェネチルアミン系化合物(非麻薬性鎮咳剤)。本剤はアドレナリン性の気管支拡張作用と、中枢性鎮咳作用、抗ヒスタミン作用を示すことにより、気管支喘息、感冒、急性・慢性気管支炎、肺結核、上気道炎などの疾患に伴う咳、また蕁麻疹、湿疹に用いられる。またアドレナリン神経終末に作用してノルエピネフリンを遊離させ、間接的にアドレナリン作用を現すと同時に、直接受容体に作用してβ-作用を示す。その結果、気管支平滑筋を弛緩させる。また気管支を拡張し、咳を鎮め、ヒスタミンを抑制する作用がある。副作用:配合剤フスコデ配合錠(アボット)として消化器系(悪心・嘔吐、便秘、食欲不振、口渇等)。なお、本薬単独投与の場合、報告されている消化器系の副作用は「腹部膨満感、悪心、食欲不振」である。[商品名]メチエフ散・注(田辺三菱)。

§ エフェドリン塩酸塩(ephedrine hydrochloride):ephedrine hydrochlorideは、β受容体を刺激してcyclic AMPの細胞内濃度を上昇させるとともに、プロキシフィリンの気管支平滑筋弛緩作用を増強する。ephedrine hydrochlorideは気管支拡張作用によって気管筋の収縮を弛緩させることによって咳を鎮め、鼻粘膜血管収縮作用により鼻腔容積を拡大して充血や腫れをなくす。通常、気管支喘息・気管支炎・感冒・肺結核・上気道炎に伴う咳、鼻粘膜の充血・腫脹の治療に用いられる。配合剤の副作用として消化器系(腹痛、下痢、胃腸障害、胃部膨満感、悪心・嘔吐、食欲不振、胃部不快感、口渇等)が報告されている。[商品名]エフェドリン散(丸石)・エフェドリン錠・注(日医工)。

尚、高齢者の便秘について、次の報告が見られる。

1]便秘の原因となる加齢に伴う生理的機能の低下

1.身体活動や食事摂取量の低下→腸内容物の減少、腸管壁への物理的・拡張刺激の減

                                            弱、腸局所血流量の低下。 
                                        →腸管緊張、腸管蠕動運動の低下。
2.腸管筋層の萎縮、結合織の増生→大腸支持組織の緊張・運動の低下。
3.大腸憩室の増加→腸管壁緊張低下の助長。
4.Auerbach神経叢の変化
5.腸管分泌低下→便高度増大。
6.ガス吸収機能低下→腸管内腔拡張、左右結腸彎曲部異常彎曲。
7.直腸壁感受性低下→排便反射の低下・消失。
8.排便に関する筋力(腹筋・横隔膜筋・骨盤底筋群等)の低下。
9.高齢者に多く見られる疾患との関連→脳血管障害、肺気腫、心不全。
10.高齢者のライフ・スタイルと心理的要因→少ない食事量
                                                    繊維成分の少ない食事内容
                                                   水分摂取の低下、便意の抑制
11.浣腸や下剤の習慣性。

上記に便秘の原因となる生理的機能の低下を示す。生理機能の低下に伴い、腸管の緊張や蠕動運動、及び筋力の低下が起こり(弛緩性便秘)、結腸の痙攣性収縮により便が直腸に輸送されず、水分の吸収が増大しても兎糞状の便(痙攣性便秘)となり正常な排便が障害されることにより便秘が生じる。

また薬剤起因性の便秘(副作用としての)を惹起する薬物とその発現機序について次の通り報告されている。

2]便秘を惹起する薬物とその機序

薬物の分類 一般名 発現機序
制酸薬

aluminum  hydroxidet
calcium salt

収斂作用が便秘の発現に関与すると考えられる。
高脂血症治療薬 cholestyramine 腸の運動性減少や脱水、水分制限が腸閉塞の原因となる。
硫酸鉄  

パーキンソン病治療薬
抗コリン薬
ドーパミン作動薬

biperiden
L-dopa

平滑筋に対するacetylcholineの作用を抑制し、消化管の緊張や運動性を減少さ せるように作用する。

抗うつ薬
  (三環系)

amitriptyline

imipramine

腸管壁の平滑筋細胞に対し抗コリン様の作用を示す。

抗精神病薬
(フェノチアジン系)

chlorpromazine
trifluoperazine
perphenazine

腸管の筋層間神経叢障害の起こる可能性があり、慢性便秘や偽性腸閉塞の原因となる。便嵌頓は局所の炎症(慢性や急性)、潰瘍、出血や穿孔の原因になり得る。これらの所見は剖検でしばしば見られる。
抗癌剤 vincristine 上部結腸の便嵌頓が起こりうる。とりわけ小児や高齢者で麻痺性イレウスが起こりやすい。
免疫抑制薬

tacrolimus hydrate

本薬はマクロライド構造を有する化合物なので、erythromycin同様、結腸から空腸に掛けて腸管収縮、蠕動運動の異常を起こし、イレウス来すことが知られている。
筋弛緩薬 dantrolene sodium 直腸筋を弛緩させる本来の作用により腸管平滑筋が弛緩し、胃腸管アトニー(緊張欠如状態)から腸管不全を起こし、重篤な便秘を伴うイレウスを惹起すると考えられる。
麻薬系鎮痙薬 codeine phosphate 推進力や蠕動収縮力の減少に関連する腸平滑筋の静止緊張を上昇させる。
抗ヒスタミン薬

diphenhydramine
promethazine

内在性の抗コリン作用。
緩下薬

senna
bisacodyl

長期使用(濫用)は正常な蠕動を抑制するような平滑筋の緊張と収縮性の消失(無緊張)に導く。

利尿薬
  (非K保持性)

chlorthalidone
thiazide
furosemide

脱水は硬い便塊の原因になる。
降圧薬 clonidine 機序不明。但し便秘は一般的に発現する。
抗不整脈薬

verapamil
disopyramide

抗コリン作用を保持又は保持する可能性があり、腸管の働きを抑制する可能性がある。

高齢者では、頻度が高くなる可能性のある消化管の癌、憩室炎などによる炎症性癒着など、器質的疾患による通過障害も便秘の原因となる(器質性便秘)。また糖尿病、脳血管障害、甲状腺機能低下症等の全身疾患の部分的な症状として弛緩性便秘が出現することもあるとされている。更に高齢者では、合併する心血管系疾患や消化器疾患、神経疾患など様々な疾患に対して治療薬が投与されており、治療目的で投与される薬物の副作用として、便秘が発生することが報告されている(薬剤性便秘)。便秘の誘因となる薬剤の一部とその機序について、表2紹介した。

尚、高齢者の薬物性便秘に対しては、緩下剤の投与を考える前に、食事の管理等、日常生活の管理を図ることも必要だと考えられる。

1)アストミン錠・散IF,2010.12.改訂
2)トクレススパンスールカプセルIF,2010.5.
3)フスタゾール糖衣錠IF,2010.2.改訂
4)デキストファン散10%IF,2010.4.
5)フスコデ配合錠IF,2011.3.改訂
6)dl-メチルエフェドリン塩酸塩散10%「フソー」IF,2010.12.
7)アストモリジン配合胃溶錠・アストモリジン配合腸溶錠IF,2011.7.改訂
8)純生ノスカピン添付文書,1998.4.改訂
9)コデインリン酸塩水和物タケダ原末IF,2009.12.改訂
10)フスコデ配合錠IF,2011.3.
11)レスプレン錠・細粒IF,2010.2.改訂
12)コルドリン錠・コルドリン顆粒IF,2008.2.
13)ブロチンシロップ3.3%添付文書,2009.9.改訂
14)高久史麿・他編:治療薬マニュアル2011;医学書院,2011
15)ワソラン錠インタビューフォーム,2011.5.改訂
16)フルイトラン錠インタビューフォーム,2011.10改訂
17)日本病院薬剤師会・編:重大な副作用回避のための服薬指導情報集[1];薬業時報社,1997
18)日本病院薬剤師会・編:重大な副作用回避のための服薬指導情報集[2];薬業時報社,1998
19)日本病院薬剤師会・編:重大な副作用回避のための服薬指導情報集[3];薬業時報社,1999
20)日本病院薬剤師会・編:重大な副作用回避のための服薬指導情報集[1];薬業時報社,2001

        (065.AST:2011.12.29.古泉秀夫)

「バイアル瓶ゴム栓のコアリングについて」

木曜日, 10月 3rd, 2013

 

KW:物理化学的性状・バイアル瓶・ゴム栓・コアリング・注射針・穿刺回数・細菌汚染・保存剤

Q:バイアル瓶のゴム栓に対する注射針の穿刺回数の目処について

A:バイアル瓶ゴム栓の穿刺によるコアリング(ゴム片が穿刺により削り取られること)の発生、あるいは空気、溶液の漏出等に関する試験結果の報告として、次の報告が見られる。

① 10回までの穿刺では、コアリングの発生は見られなかった。
②10回までの穿刺では、ゴムと思われるフラグメントは、対照及び試料のいずれにおいても検出されなかったが、20回以上の穿刺では、試料にフラグメントの発生が見られる傾向があった。
③10回の穿刺後においても、ゴム穿孔部分からの内容液の漏出は認められなかった。10回穿刺後に加圧しても空気や内容液の漏出は認められなかった。
④5回程度の穿刺の後では、内容液がやや漏れてくる。しかし、通常使用では3回程度の穿刺と考えられるため、問題にはならない。

コアリングの発生は、穿刺回数のみが影響するわけではなく、穿刺する際の針の角度等、穿刺する者の技術的な問題も含まれる。従って、上記穿刺回数に関する実験結果から、臨床現場での“何回まで穿刺が可能か”とする質問に対する回答を得ることは困難である。

穿刺によるコアリングの発生要件として、次の報告がされている。

1)針刺しの方法:角度、カット面、速度、穿刺部位等

2)ゴム栓:材質(ブチルゴムが主流。プロモブチルゴムから塩素化ブチルゴム等へ変更している企業もある)、構造(ゴム栓は密封性を高めるために容器口部周縁から圧縮される力を受けるように設計されている。)、針刺し部の形状及び厚み。

3)注射針:針の経、形状、肉厚、ヒール部の処理

穿刺時、針が回転したり、ゴム栓面に対して斜めに針刺しするとコアリングが発生し易いといわれる。
コアリングの発生を少なくするためには、
image1)注射針はゴム栓の指定位置(IN、◎印など)に垂直にゆっくりと刺す。

2)注射針を途中で回転させない。

3)針刺しを数回行う場合は、同一カ所を避けて穿刺する。

なお、バイアル瓶の使用に際し、注意しなければならないのは、穿刺による細菌汚染である。
分割使用を目的とする注射剤は、使用から次の使用の間、密封することができる容器-バイアル瓶が用いられる。しかし使用毎に外部から栓を通して注射針を突き刺すので、注射針を通しての細菌汚染が起こりえる。この汚染による細菌の増殖を防止するため、製剤総則では『注射剤で分割使用を目的とするものは、別に規定するもののほか、微生物の発育を阻止するに足りる量の保存剤を加える』としている。汚染は多種の混合汚染が考えられるので、保存剤は多種の微生物に有効なものでなければならない。一般に分割使用を目的とした注射剤以外はこのような想定をしていない。従って一度密封容器中に注射針を接触した注射液には、全く保存性がないと考えるべきであるとする報告も見られる。

*保存剤:benzethonium chloride、benzalkonium chloride、phenol、cresol、chlorobutanol、methylparaben、ethylparaben、propylparaben、benzyl alcohol等。

以上の各報告からバイアル瓶ゴム栓への穿刺回数については、穿刺技術及び保存剤の添加等を考慮の上、個々に判断すべき問題であると考える。なお、保存剤の添加されていない製剤では、『密封容器中に注射針を接触した注射液には、全く保存性がない』との判断も必要である。

1)国立国際医療センター薬剤部医薬品情報管理室・編:医薬品情報,26(3):247-248(1999)2)戸倉康之・編:改訂版注射薬マニュアル;照林社,1997
3)第十四改正日本薬局方解説書;廣川書店,2001

      [014.4.INJ:2003.7.22.古泉秀夫]

「記帳義務について」

木曜日, 10月 3rd, 2013

 

KW:法律・規則・記帳義務・記帳義務期間終了・生涯記帳義務医薬品・製造番号・製造記号・保存期間3年

Q:記帳義務期間終了の連絡文書をみることがあるが、病院における医薬品の管理に何か関係するのか。

A:医薬品の記帳義務については、薬事法施行規則第11条の4に『医薬品の譲受及び譲渡に関する記録』として規定されている。この規定は『薬事法に基づく薬局開設者』を対象としたものであり、医療法上の調剤所である病院内薬局は該当しない。

薬事法施行規則第11条の4で規定された記帳義務項目は、『品名、数量、製造番号又は製造記号、譲受又は販売若しくは授与の年月日及び譲渡人又は譲受人の氏名』である。

通常、医療機関において医薬品の購入をする際、納品書等に上記項目、特に『製造番号』を記録することとしているが、これは医薬品管理の上で必要ということで記載を求めているもので、記帳義務に由来するものではない。

なお、毒薬、劇薬、習慣性医薬品等は『生涯記帳義務医薬品』であるが、記帳義務期間が終了する医薬品とは、『昭和56年1月薬発第65号 薬事法施行規則の一部を改正する省令等の施行について』の3のアに該当する医薬品が、再審査期間を経過した場合である。

昭和56年1月薬発第65号(一部抜粋)

………薬事法施行規則第11条の4の規定に基づき、薬局開設者等に対し医薬品の譲受及び譲渡に関する記録の作成、保存の義務づけが行われたところであるが、この医薬品の記帳義務は、医薬品の保管、管理の適正化、迅速的確な回収等の保健衛生上の観点から実施されるものであり、医薬品の流通規制を目的とするものではないこと。

第2概要

3.対象医薬品の範囲

対象医薬品については、厚生省告示第223号により指定されているところであり、その範囲は、次の通りである。

ア.新医薬品(法第14条の3第1項各号に掲げる医薬品であって、再審査期間を経過していないもの)

イ.法第50条第6号の規定に基づき3年以内の有効期間又は有効期限の記載が義務付けられている医薬品

ウ.法第50条第10号の規定に基づき使用の期限の記載が義務付けられている医薬品

エ.毒薬及び劇薬

オ.習慣性医薬品

なお、対象医薬品には、サンプル(いわゆる製剤見本を除く)も含まれるものであること。

4.対象業種

前記1~3の医薬品の記帳義務は、薬局開設者の他、医薬品製造業者、輸入販売業者、一般販売業者(卸売販売業者を含む)、薬種商販売業者及び特例販売業者に対しても適用されること(規則第27条の2、第29条の3、第30条の2及び第32条の2による規則第11条の4の準用)。

5.対象医薬品の表示

対象医薬品に係わる『記』の文字の記載については、<○に記>(新医薬品であって、3のイからエまでに該当しないものにあっては再審査期間の満了月日を含め<○に記> 年 月)と表示されたいこと。この表示については、外部の容器又は外部の被包に記載されていれば、直接の容器又は直接の被包への記載を省略できることとされていること(規則第53条の2)。

(医薬品の譲受及び譲渡に関する記録)

薬事法施行規則第11条の3 薬局開設者は、厚生労働大臣の指定する医薬品を譲り受けたとき及び薬局開設者、医薬品の製造業者若しくは販売業者又は病院、診療所若しくは飼育動物診療施設(獣医療法(平成4年法律第46号)………を含む。以下同じ)の開設者に販売し、又は授与したときは、次に掲げる事項を書面に記載しなければならない。

1.品名
2.数量
3.製造番号又は製造記号
4.譲受又は販売若しくは授与の年月日
5.譲渡人又は譲受人の氏名

二 薬局開設者は、前項の書面を、記載の日から3年間、保存しなければならない。

1)基本医療六法編纂委員会・編集:基本医療六法平成14年版;中央法規,2002
2)国立国際医療センター薬剤部医薬品情報管理室・編:医薬品情報,26(5):456-457(1999)

 

[615.1.ENT:2003.2.10.古泉秀夫]