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『第X回目のクラス会』

土曜日, 6月 1st, 2013

           鬼城竜生

11月1沼津-011日(日曜日)-12日(日曜日)の両日に架けて、三島市立北中学校3年D組のクラス会を開催した。場所は沼津市志下にあるKKR沼津“はまゆう”に設定した。参加者は全員75歳、中に二人ばかり74歳というのが居たが、卒業してから何年経ったのか勘定するするのも面倒くさい位に昔の話だ。此処に一晩泊まって翌日下香貫島郷にある御用邸を見学することにしていた。勿論、我々が生徒の頃の御用邸は、まだ天皇家の物で、管理が厳しく、入ることは出来なかったが、島郷海岸に泳ぎに来た時、海の方から眺めたことがある程度であるが、昭和44年に御用邸としては廃止され、45年からは記念公園となって、庭園や邸が公開されるようになったと云うことである。

当日、夕方から雨の予報で、次の日まで引き摺ると云われており、そうなると御用邸の見学は難儀だなと思っていたところ、予報通り雨が降り出した。自然の範疇に入る天候について、くよくよ考えても仕方が無い、明日のことは明日のこととして、6時から食事を開始。宴会が始まる前に、館内の自動販売機で缶ビールを購入、宴会が始まる頃には相当出来上がっていて、宴会ではあまり酒は進まなかった。尤も明らかに年齢の問題もあって、酒が弱くなったと云うこともあるのだろうが、最初に頼んだ分だけですんでしまった。日本酒も何本か頼んでおいたが、誰も呑む人が居なかったので、幹事の責任で全て片付けさせていただいた。

その後、歌を歌おうと云うことで、話がまとまり、カラオケルームについて確認したところ、1曲100円で御自由にと云うことだったので出かけていって、何曲が歌たっ所に元気のいい女性の一群が沼津-02入ってきたので、引き上げることにして部屋で飲み直すことになった。

幸いなことに翌日は晴れて日が照っていた。御用邸を見学の後、香貫山に車で登れるところまで登ると云うことになっていたので、天気が回復したのは、心から感謝である。

朝出かけにホテルの前で前方の山を見ていた担任があれは象山だろうと云うので眼をやると成る程そんな形をしている山が目の前にあった。尤も象山は地元の人の言う通称で正式な名称は“徳倉山”である。隣町の三島に住んでいながら知らなかったが、香貫山から南へ横山、徳倉山、志下山、小鷲頭山、鷲頭山、大平山と続く山稜線は沼津アルプスと命名されているようである。地元の愛好会が登山道を整備し名付けたものという。標高は一番高い鷲頭山でも392mと低山ではあるが、起伏が激しく鎖を伝って歩くところもあるので、登山用の装備が必要だと云われている。その他、耳新しい言葉として『沼津垣』なる言葉を眼にした。これは昔から沼津周辺で浜の潮風を防ぐために用いられてきた垣根沼津-03で、箱根竹という細い篠竹を十数本ずつ束ねて、網代編みにした物だという。

ホテルの庭もそうだったが、此処も雨上がりの庭に黄色い石蕗の花が、点々と咲いていた。御用邸の邸内を見学したが、窓にはゆがみの入ったガラスが入っていたが、何とこれは昔のガラスを再生したガラスだという。建物全体の立て付けは、夏の避暑地ということではいいのかもしれないが、冬は住みたくない建て付けをしていた。明らかに暖房をするには非効率的な建物だと云える。

                          『見渡せば石蕗の花雨上がる』

建物内では特別企画として「吉田多最(たもつ)」の日本画展が実施されていた。その他庭では第42回菊花展が開催されていた。旧厩舎の近くにあるお休み処「主馬」で抹茶と和菓子を食し、香貫山を目指して出発した。但し、頂上を目指した訳ではなく、慰霊塔のある香陵台の駐車場まで上がった。そこでしばらく沼津港などの風景を遠望した後、食事をする予定の沼津港に向かった。沼津港では新鮮な魚が食いた沼津-04いと云うことで、魚河岸丸天でそれぞれ刺身盛り合わせ定食や海鮮丼を食して解散した。

地元の人達と別れて、沼津駅まで送ってもらった後、新幹線で東京に戻った。さて後何回クラス会が出来るのか、担任の先生は84歳と云っていたが、未だ元気だった。来年別の人間が幹事をやるが、今回の仲間が元気で集まれることを期待したい。

            (2012.11.18.)