トップページ»

「枝垂れ桜」

月曜日, 1月 24th, 2011

鬼城竜生   

             後期高齢者医療制度は いますぐ廃止!
                       安心の医療実現!                   
                       4・3大集会IN東京               
日時 4月3日(土曜日)13時30分開場
      場所 明治公園14:00開会15:10パレード出発

枝垂れ桜-01

久々に昔頑張っ枝垂れ桜-02ていた連中からチラシを貰った。折角OB会の旗を作ったので、それを持って集会に参加しようじゃないかと言うことになった。

当日は天気も良かったので、出かけることにしたが、貰ったチラシに印刷されていた地図の中に気になる場所が書かれていた。中央・総武線の千駄ヶ谷駅で降り、東京体育館沿いに坂を下ると、明治公園はあるが、道を挟んだ反対側に“仙寿院”という名前が見られた。
到着した時間が早く、集会参加者もあまり集まっていなかったので、取り敢えず“仙寿院”を覗いてみることにした。明らかに嵩上げしたように見える敷地にそこそこの本堂が建てられていたが、本堂に行く前に御寺の縁起を書いた看板が出ていた。

法雲山仙寿院沿革

當山は、正保元年(1644年)紀伊の太守徳川頼宣の生母お萬の方(法名養珠院妙紹日心大姉)の発願により里見日遙(安房の太守里見義枝垂れ桜-05康の次子)を開山として創立された。従って江戸期は、紀伊徳川家、伊予西条松平家の江戸表における菩提寺祈願所として、十万石の格式を持って遇され、壮大な堂宇と庭園は江戸名所の一つに数えられ、新日暮里(しんひぐらしのさと)とも呼ばれていた。
お萬の方は、徳川家康の側室で紀伊徳川家の祖、頼宣、水戸徳川家の祖、頼房の生母でもあり、また法華経の信仰篤く、日蓮宗門の大外護者として知られている。

開山里見日遙(一源院日遙上人)は、後に飯高檀林(瑞世した日遙を祖とする千駄ヶ谷法類は、當山を縁頭寺とする江戸期において隆盛を誇った當山も明治維新の変革によって衰微し、明治十八年には火災によって全山焼失、その後里見日