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「猿江恩賜公園から両国へ」

土曜日, 12月 25th, 2010

鬼城竜生     

 

昨年4月、猿江恩賜公園で「枝垂れ桜」の写真を撮ったというお便りを先輩から頂戴した。どういうわけか京都では枝垂れ桜は幾らでも見られるが、東京で猿江公園-01は比較的眼に触れる機会が少ない。都内では六義園の枝垂れ桜が有名だが、ここは花の時期になると、人が押しかけて、長い行列ができ、入るまでに草臥れてしまう。一度300人位の行列を見て、遠慮させて頂いた。

それ以後、枝垂れ桜を探しているが、中々迫力のある花は見つけることができずにいた。そこに昨年お知らせを戴いていたので、江東区住吉にある猿江恩賜公園に行ってみることにした。ただ、出がけに確認した桜の写真は、明らかに吉野ではなかったが、枝垂れ桜とも違うのではないかと思われる佇まいを見せていた。

JRの秋葉原駅から乗り換えて錦糸町駅で降りる。京葉道路を渡り高速7号小松川線を潜り、四つ目通りを左に折れると公園の入口に辿り着く。公園の前をそのまま直進すると横十間川に突き当たる。

猿江公園-02ところで“猿江恩賜公園(さるえおんしこうえん)」とは、東京都江東区にある都立公園である。1932年の開園で昔から貴重な緑地として周辺住民に知られていた。元々当地は、江戸時代から続く徳川幕府による貯木場であった。その後、明治政府御用達の貯木場になり、その後、一般に公開された公園として開園された。公園の北側の地区は、戦後しばらく貯木場として使用されていたが、これも江東区潮見に移転され、1981年に追加開園されたとする紹介がされている。

公園は時計塔のある中央広場、子供達が遊ぶ冒険広場、子供達の水遊び場「じゃぶじゃぶ池」を水源とする全長約300mの細流が作られている。その他、健康広場、芝生広場、野球場兼競技場、テニスコート、ミニ木蔵が設置されており、植生として公孫樹、山桃、欅、サツキ、ソメイヨシノ・サトザクラとする紹介がされており、どうやら枝垂れ桜はないようである。ただ、隅々まで見て歩いた訳ではなく、もしかしたら見逃したのかもしれない。

猿江公園-06枝垂れ桜は発見出来なかったので、地図に記載されていた「五柱稲荷」に御参りすべく、両国方面に向かったところ、いきなり五徳山江東寺に行き合った。この御寺は地図に記載されていないが、寺の案内では本山は天台宗比叡山延暦寺とされており、「江東観世音」とする記載もされている。

江東寺は、 阪東16番札所水沢寺 (群馬県伊香保町水沢観世音) の別院として、 昭和15年に株式会社東京楽天地(江東橋4丁目・旧江東楽天地)の招聘により江東・本所地域の発展を願って創建された。 然し、 昭和 20 年3月 10日下町一帯大戦火に遭遇し、 当寺も被災して、本堂庫裡共に焼失した。ただ、幸にも御本尊千手観世音菩薩・脇侍不動明王は、 すでに水沢寺に奉還していたため難をまぬがれる事が出来たという。 翌 21 年時世混乱のさなか逸速く再建され、 戦後の大猿江公園-08区画整理の施行により同24年現在地に移建され今日に至っている。 尚、 現在の本堂は昭和 55 年鉄筋コンクリート造りにより再建し、 又、 庫裡は平成6年鉄骨造りにて新築されたという。

清昌稲荷社:京都伏見稲荷の眷属にして稲荷山三ノ峰にお塚が祀られている。 江東寺創建当初より縁深いお稲荷様で、 毎月4日祭礼が執り行われている。
出世弁天堂:鎌倉時代の出現と伝えられ、 昔は洞窟弁天と称され、 安政の大地震により地中深く埋没し、 当弁天が祀られていた江東区毛利2丁目一帯は江戸幕府ご用材の貯木場で、此処を管理する金原藤太郎なる者に夢告あり再出現し、 名も出世弁財天と改称された。 そして、 昭和 19 年縁あって江東寺に移建奉安された。
錦糸公園にも桜があるだろうということで反対側に抜け、公園内に入ったが、入って直ぐの所に鳥居が見えたので写真を撮りに行ったところ、千種稲荷の石柱が建っていた。千種稲荷は徳川四代猿江公園-10将軍家綱の時代(寛文?延宝)に治水工事が行われあとで、柳島村の守護神として祭られたと伝えられている。明治時代になっても、この稲荷神社は保護されて郷土の守護神として残された。その後陸軍糧秣廠本所倉庫をこの地に建設したとき、敷地内にあった稲荷神社を取り払ったところ再三火災が発生した。そこで旧位置に稲荷社を再建して祀ったところ不思議にもその後火災はまったく起こらなかったという。 大正十二年の震災はもちろん、昭和二十年の空襲にもなんの被害もなく多くの人が境内に避難し戦火を逃れたという。

一端元の道に戻り、京葉道路で両国高・中校の前を通り、江東橋を渡って左手を見たところ神社のあるのが見えた。前に行ってみると「五柱稲荷」の扁額が鳥居に掛けられていた。
御祭神は宇迦之御魂命(うがのみたまのみこと)とされており、、享保十三年三月三日中御門天皇、紀元2376年徳川八代将軍吉宗公の世代に、植村土佐守正朝が伏見より奉祀し、その後朝廷より華蔵院の称号を賜り、明治十三年公認神社(内務省の管轄)、昭和二十一猿江公園-13年六月宗教法人神社認証を得たとする紹介がされている。

その後、両国駅を目指して京葉道路を進み、「野見宿祢(のみすくね)神社」を見るべく亀沢町に行く目的で、緑図書館の前で右に折れ緑町公園にでて、その辺を探したが、神社には行き合うことができなかった。結局、地下鉄の両国駅から電車で戻ってきたが、大体野見宿祢神社は地図に記載されていない無かった。

この日、思わぬところで現在建設中の東京スカイツリーの写真を撮ることができたが、どのあたりで撮れたのか、記憶が定かではないというよりは、直ぐ側にあった公園の写真を撮ったつもりだったが、桜の花に邪魔されて、公園の名前が写つていなかったというていたらく。今度あの辺を歩く機会があったら、場所の分かる写真にしたいと思っている。

2010年3月30日(火曜日)の総歩行数は14,367歩。

1)猿江恩賜公園パンフレット

 

(2010.5.5.)