Archive for 6月, 2009

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藤の花(蝮蛇草)

火曜日, 6月 30th, 2009

鬼城竜生

 2009年4月18日(土曜日)“藤の花”の写真を撮りたいため、横須賀しょうぶ園に出かけた。京急線の川崎駅で特急に乗り換え、京急線汐入駅で下車。駅前のバスターミナルから池上経由衣笠駅行きのバスに乗った。このバスは池上中学のバス停に止まるバスと、池上十字路に止まるバスがある様であるが、良く解らないので、停留所が池上十字路となっているバスに乗車した。

横須賀しょうぶ園には昨年菖蒲の時期に出かけたが、次には歩いてみようと云うことでバスの窓から外を見ていたが、池上十字路から先は殆どどう行ったのか解らなくなった。最も車の運転をしない人間が、車の窓から道を覚えようというのがどだい無理な話なのかもしれない。

池上十字路で下車して国道27号線を左折“しょうぶ苑”入口に入り、池上中学校、池上小学校の前を通過、平作小学校の前を通って左に入ると広い道路に出るが、右は横須賀インター入口、左は工事現場に突き当たる道になっている。その斜め前が“しょうぶ苑”である。

正直言って、藤の花にはまだ時期が早かった。日当たりの関係で木によってはそこそこ咲いているものもあったが、全体としては三分咲き程度というところで、個別の木を引き寄せて写せばそれなりに写るが、全体として撮るにはやや寂しい風景であった。従って藤の花はまた来なければ駄目と云うことで、その他の花を撮ることにしたが、“オオデマリ”と“石楠花(シャクナゲ)”の花は、そこそこ絵になるものが得られた。

それ以上に嬉しかったのは、“マムシ草”の写真が撮れたことである。山登りをしていた時は、特に興味を惹く被写体ではなかったが、複数の株が群生しているのを見ると、写真に撮りたくなるから不思議である。

“マムシ草”は、テンナンショウ(天南星)属さといも科の多年草で、偽茎面のまだら斑に基づき蝮蛇草と命名されている。同属として“あおまむし草”があり、蝮蛇草の緑色の品種である。ヘビノダイハチ、ヤマゴンニャク、ムラサキマムシグサの別名がある。本州関東から近畿地方の山地の木陰に生える。球茎は約5cm位。子球はでない。偽茎は普通紫褐色のまだら。葉は2枚左右に開出、鳥足状の複葉、小葉は7-15。花は晩春、雌雄異株。肉穂花序は仏炎包内の中央に直立[牧野富太郎:原色牧野日本植物図鑑 コンパクト版II;北隆館,2000]。

“マムシ草”のイモ状の球茎は昔、救荒植物として食べられたと云うが、そのままでは食べられない。切り口から出る汁液はサポニンを含み、肌に付くと痒みや爛れを起こす。また、食べると嘔吐や腹痛を起こす[海老原昭夫:知っておきたい身近な薬草と毒草;薬事日報社,2003]。さといも科の植物は、全草にシュウ酸カルシウムの針状結晶を含むものが多い。“マムシ草”も同様で、これらのものを口に入れた時、強い刺激痛があるので、多量に食べることはまれであるとされている。

シュウ酸の毒作用は局所刺激作用と低カルシウム血症並びに腎障害である。局所刺激作用のため、食道や胃に糜爛を起こし、急性胃腸炎の症状を生ずる。頭痛を訴える。シュウ酸が血液中のイオン化カルシウムと結合するため、痙攣やテタニーを起こすことがある。腎臓にシュウ酸カルシウムの結晶が沈着することによって、腎障害を来す[内藤裕史:中毒百科-事例・病態・治療-改訂第2版;南江堂,2001]。

『3児童マムシグサの実を食べ食中毒 /長野[6月20日14時1分配信 毎日新聞6月20日朝刊]』

*松本保健所は19日、東筑摩郡の8-10歳の小学生3人が学校から下校途中に道端に生えていたマムシグサの実を食べ、シュウ酸カルシウムによる食中毒を起こしたと発表した。県食品・生活衛生課によると、食道や口唇の炎症などの症状が出たが、全員が快方に向かっているという。マムシグサは山地の木陰に生える多年草で、茎は紫色。初夏に緑色の実を付け、秋には赤く色づく。その実を大量に摂取すると、下痢や嘔吐(おうと)などの症状が出るという。

帰りはしょうぶ園の前の道を右折し、途中で工事のため直進できない状況になっているため、左折、平作保育園の前を通り、JR横須賀線のガードを潜り国道27号線(横須賀葉山線)を右折、衣笠駅経由で久里浜駅、京急久里浜駅から川崎駅経由で戻ってきた。

今回は花に詳しいカミサンが同行したので、花の種類について色々聞いたが、被写体になるかならないかの視点で花を見ているので、花の名前は中々覚えられない。本日の総歩行数12,084歩。

ところで、京急汐入駅という名前から、余り開発の進んでいない田舎の駅位に思っていたが、実際に降り立ってみると、駅前は整備されており、都会的な佇まいを見せていた。調べてみたら「横須賀軍港駅」として開設されたが、防諜上の理由から、昭和15年に「横須賀汐留駅」となり、戦後の町名改正で、汐留町が汐入町に吸収されたため、昭和36年に現在の駅名に改称されたという解説が見られた。

更に江戸時代、現在の駅の近くに汐留の堰が設けられ、その堰から西側の山すその入り江が汐入と呼ばれていた。トンネルとトンネルの間にある駅で、隣接してホテルや横須賀芸術劇場などの高層の建物が立ち並び、様相は一変した。それにともなって駅も改良され、見違えるようにきれいになった。駅前広場も広く開放的で、横須賀中央に次ぐにぎわいをみせているということの様である。駅のどこかにそのような解説板は飾られているのであろうか。やはり古い歴史は大切にすべきではないかと思うが、どうであろうか。

(2009.5.28.)

芝公園

金曜日, 6月 26th, 2009

鬼城竜生

 蝋梅を前景として東京タワーを写した写真が新聞に掲載されていた。人が発見した撮影ポイントを狙うなどと言うのは、本来避けるべきであろうが、どうせ素人が撮る写真、新聞に掲載された蝋梅と東京タワーを真似て写真でも撮ろうかということで、芝公園に出かけた。

大江戸線大門駅で下車し、A6出口から出たら何と眼の前に芝大門更科『布屋』の看板があった。最近体重を落とそうとして、できるだけ昼飯は蕎麦を食べることにしており、1時過ぎの時間帯ということで、混ではいないだろうということで入ることにした。鴨蒸籠を注文して何気なく店内を見渡すと、店の案内を印刷した紙が眼に付いた。

創業寛政三年(1792年)信州の反物商布屋萬吉が蕎麦屋に転向し、創業の運びとなりました。江戸四大食(蕎麦・寿司・鰻・天麩羅)の一つとしてお引き立て頂き、今日まで二百余年の商いをさせて頂いております。江戸の昔より口伝にて受け継がれる「家伝変わりそば」の技術を加え、常時五種類のお蕎麦を四季の香りでお楽しみ頂けます。

店にとって最も大切なのは『蕎麦打ち』と『汁作り』でありますが、製麺技術の木鉢では、老舗の技術が接近しすぎて特徴が出し難く、一子相伝の暖簾の伝統として特徴を作り易く継承させ易かった『蕎麦汁』により神経を使ったものと思われます。

普通、蘊蓄を述べる食い物屋は余り美味くないのが通り相場だが、この店はそれなりの蕎麦を食わせてくれた。

ところで芝公園であるが、何処から何処までが公園なのか初めは解らなかった。芝公園は、明治6年に太政官布達によって指定された、日本で最も古い公園の一つで、敷地内には東京都指定史跡である前方後円墳(丸山古墳)があり、全長110m、後円部径約64m、くびれ部分の幅22mという、都内では最大級の規模となっているというが、何処から何処までが古墳なのか解らなかった。

その古墳上から麓にかけて染井吉野、山桜、里桜等の桜が約60本植えられている。芝公園自体が標高16mの台地上にあるうえ、古墳の土が盛られているため、頂上からの眺めはまた格別だ。もう一箇所、弁天池周辺にも桜の一群があり、公園内全体の桜の本数は、およそ200本であるとされている。

『銀世界』:元新宿角筈にあって、江戸時代から銀世界と称せられていた梅林を明治41-42年ごろ芝公園に移植したその標示碑であるという。元来17号地グランドの西にあったが、道路拡張に伴い、昭和41年に現在地に移されたとされる。

『紅葉谷』:昭和59年に復活した人工の渓谷。大小の自然石を組み合わせた岩場と周囲の樹林とを取り合わせ、高さ10mの岩場から落下する滝がみられる。谷の名称は一帯にはモミジが植えられており、秋にはそれなりの風情があるところである。

『伊能忠敬測地遺功表』:伊能忠敬の測量の起点となったのが、芝公園近くの高輪の大木戸であったという関係で、東京地学協会がその功績を顕彰して遺功表を建てたとされる。明治22年に立てられたものは、高さ8.58mの青銅製の角柱型のものだったとされるが、戦災で失われたため、昭和40年に現在のものが再建されたという。

『大野伴睦句碑』:昭和38年6月調理師法施行5周年にあたって、長年調理師会の名誉会長として尽力した政治家大野伴睦氏の労に謝するため贈呈されたものといわれている。

『ペルリ提督の像』:昭和28年7月20日、日本開国百年記念祭挙行のとき、東京都民からニューポート市に、石灯籠1基を贈った答礼として受け取った像であるとされる。

正直に申し上げれば、蝋梅は殆ど茶番劇であった。あるにはあったが、東京タワーを背景として新聞に掲載するほどのものではなかった。 ただし、“銀世界”と称する梅林は面白い花の咲き方をしていた。枝がみんな上を向いており、さほど広い梅林ではなかったが、花の見え方は迫力があった。

『丸山随身稲荷大明神』なる御稲荷さんが祀られてあったが、増上寺の裏鬼門を守るために祀られているということで、その意味では元は此処も増上寺の敷地の中だったということができるんだろうか。

直ぐ近くに『芝東照宮』なる神社があり徳川家康を祀ったものとされている。本来は増上寺にあったものが、明治初期の神仏分離令により、この地に移設されたものという。境内に銀杏の木があるが、この銀杏の古木は、天然記念物に指定されている。

2009年2月12日、歩行数8,258歩。1万歩には到達せず。

(2009.4.28.)

『健康食品考』

木曜日, 6月 25th, 2009

医薬品情報21

古泉秀夫

 メタボリック・シンドローム(内臓脂肪症候群)等と称して、厚生労働省が脅しをかけるものだから、世は上げて健康ブームである。

 当然のこととして、一般大衆は簡単に健康を手に入れようとして『健康食品』なるものを購入し、それで全ては片付くと考えていると見えて、健康食品市場は受けに入っている状況にあるようである。簡単に『健康食品』というが、しかし実際にはそう簡単なものではない。

いわゆる健康食品:法律上の定義はないが、『健康食品』は、医薬品ではないため、医薬品のように疾病の治療・予防等を目的とする表示、身体の構造や機能に影響を及ぼすことを目的とする表示については、医薬品的な効能効果とされ、表示することができない。一般に栄養成分・含有量表示。狭義では、保健機能食品を除いた健康食品。[健康補助食品]

保健機能食品

特定保健用食品(トクホ):生活習慣病の予防など、健康に影響を与える成分を含み、効果が期待できる食品。国の審査が必要。[個別許可型]

栄養機能食品:国の基準に適合し、ミネラルやビタミンなど栄養成分の機能を表示している食品。[規格基準型]

 健康食品のうち『保健機能食品』に分類されている『特定保健用食品(トクホ)・栄養機能食品』は、国の審査を受けるか国の基準に適合することが求められているが、いわゆる『健康食品』(健康補助食品)は、法律上の定義・規制は何等なく、現状は野放し状態である。

 健康食品の中には普通に食事として摂取した場合、特に何等問題にならないものが、食品中の機能性成分を抽出・精製することによって、錠剤やカプセル剤、顆粒剤等に製剤化して摂取することにより、有害作用が発現する。

 『いわゆる健康食品』の宣伝文句で『医薬品ではないので副作用はない』、『健康食品だから安全』という惹句を眼にするが、『健康食品だから安全』という根拠は何処にもないといえる。確かに医薬品ではないので、『副作用』とはいわれることには抵抗があるのかもしれないが、購入者の側からすれば、明らかに期待していない作用であり、有害作用以外の何物でもない。

 更に厄介なことは、薬物代謝酵素に影響を与える『いわゆる健康食品』があり、その酵素によって代謝されるはずの薬が、代謝されるまでに時間を要し、薬の副作用を増強するなどと云う問題を起こすのである。

 規制緩和の一つとして、錠剤・カプセル剤等の利用が健康食品にも可能となったが、本来的に云えばこのような規制緩和は、本来不要な規制緩和ではなかったのかと考えている。勿論、薬剤師として、薬に係わるあらゆる情報を収集しているが、売り出される健康食品の種類が多く、その全てに対して対応することは困難であり、如何に許可無く販売することが出来るとはいえ、業者の責任として酵素経に対する影響についての資料を取り揃える位のことはして欲しいと思うのである。

(2009.5.27.)

『赤目不動から吉祥寺へ』

木曜日, 6月 25th, 2009

鬼城竜生

 2009年3月15日(日曜日)、第18回国民の医薬シンポジウム実行委員会が主催する『薬害シンポジウム』ということで、東洋大学の白山キャンパスに出かけた。『待ったなし! 今こそ薬害根絶を!-医薬品行政と現場の大改革へ-』というのが主題で、二つのシンポジウムが計画されていた。

第1部は『多国籍業の経済戦略批判』[儀我壮一郎(国民医療研究所顧問)]・『製薬企業と医薬品行政』[荒木茂仁(全国薬業労働者連絡会議事務局長)]・『医薬品行政改革への提言[水口満寿美(薬害オンブズパースン会議事務局長)]の3氏がそれぞれの立場で発言した。こういうシンポジウムに参加して何時も思うのは、『薬』を介して製薬大企業の開発意欲を一方的に批判するが、新しい『薬』の開発によって恩恵を受けるのは人類であって、『薬』の開発は悪ではないはずである。薬害の発生は『薬』を使用する側の問題であって、『薬』そのものには何の責任もないはずである。

甚だ申し訳なかったが、天気も良く、直ぐ近くの駒込に“目赤不動”があり更にその先には“吉祥寺”もある。昼飯を食いに出るついでにそのまま街歩きに出かけることにした。

最初に眼に付いたのは『史跡文化財駒込土物店跡』なる石柱である。土物店というのは、この辺り一帯は駒込なすの産地であり、その他、泥つきの野菜がそのまま持ち 込まれたので「土物店」の名前がついたと説明されている。神田、千佳と並んで江戸の青果三大市場のひとつであったという。起源は元和年間で、農民が江戸へ運ぶ野菜を、この地の住人が買い求めたのがきっかけで、市が開かれるようになったという。昭和12年(1937)に豊島区へ転出し、豊島青果市場となったとされる。天栄寺の境内に「駒込のやっちゃ場」と呼ばれた江戸期の青果市場跡を記念する石碑が建てられている。

江戸五色不動のうち東急田園都市線三軒茶屋駅の近くにある目青不動は、既に拝観(よく見えなかったが)しており、本駒込にある“目赤不動”を拝観すれば、五色不動のうち二色不動を回ったことになるわけである。目青不動に比べると、目赤不動の方は動きが見られた。大聖山東朝院南谷寺で頂戴した目赤不動尊縁起によれば、『当山に安置し奉る江戸五色不動の一つ目赤不動尊の由来を申し上げますと、元和年間(1615年頃)比叡山南谷に万行律師(南谷寺初代住職)という持戒知徳の名僧がおり常に不動尊を尊信し昼夜不退に不動真言を称えており在る夜聖童夢枕に来たって告げ給う、万行多年不動尊を信奉する事深切なり、伊賀の国の赤目山に来たれ不動明王の霊験あらんと告げ終わり金光を放って飛び去る夢を見て夢さめたり。信心を肝に銘じ、お告げに従い速やかに比叡山を発ち、伊賀の国赤目山に登り絶頂の盤石に端座すること三日三夜、口に不動真言を称え手に秘印結び心寂然として明王の来迎を待ち奉る。不思議なるか虚空に御声もろとも投げ入れ給う物あり。手を開き見れば是すなわち黄金一寸二分の不動明王の尊像にて、有り難くも尊くて欽喜の泪にむせび礼拝恭敬し法楽して後赤目山を下り比叡山南谷の庵室に安置す。

その後関東に出てきて下駒込(今の動坂)にお堂を建て、万民化益を祈念していたというが寛永五年将軍家光が鷹狩りの途中、立ち寄った時に由来を言上したところ府内五不動の因縁を以て赤目を目赤と称える様にとの上意があり、淺嘉町藤堂家屋敷跡を拝領し寺院の建立がされたという。

目青不動、目赤不動の他に目黒不動、目白不動、目黄不動があり、目黄不動尊は二カ所に勧請されていると縁起には書かれている。

赤目不動を出て本郷通りを左に行くと吉祥寺前の信号があり、それを渡ると吉祥寺の門の前に出る。

吉祥寺は本駒込三丁目にある曹洞宗の寺院で、山号は諏訪山である。群馬県の永源寺の末寺、神奈川県の最乗寺の孫末寺にあたる。長禄二年(1458)太田持資(道灌)の開基で青巌周陽によって開山。道灌は江戸城築城に際し和田倉付近の井戸から吉祥と刻銘した金印を得、これを瑞祥として青巌を請じて西の丸に建立した。山号はこの地が諏訪神社の社地であったことによるという。天正十九年(1591)第五世用山元照の代に徳川家康より寺領五十石を寄せられ、同時に神田駿河台に移り、明暦の大火(1657)後現在地に移転。駒澤大学の前身である栴檀林(せんだんりん・私学)は五世用山の創立で、宗門の禅学を修得する道場であり、江戸中期から洞門に数千の人材を送った。江戸四ヵ寺の一として堂宇は壮麗を極めたが四十二世仏海宗国の代から絶海勝俊に至り震災と戦災にあい焼失。昭和三十九年大本堂、庫裏、庭園等を落成した。榎本武揚、川上眉山、二宮尊徳の墓がある。

武蔵野の吉祥寺は、明暦の大火の折りに門前に居住していた人達が移転し、村を作り村の名前として吉祥寺と付けた事によるとされている。

文京九中入口の信号を右に入ると天祖神社がみえる。天祖神社の創建は古く、文治五年(1189)源頼朝が奥州藤原泰衡征伐の時、霊夢のお告げがあり神明を祀ると伝えられている。その後宮守もなかったが、慶安年中(1648-1652)堀丹後守年直が再興したとされている。その後第二次世界大戦の時に空襲により残らず消失したが、氏子各町の熱意により昭和二十九年に新築し現在に至っているという説明がされている。

 更に本郷通りを進み富士神社前の信号で右に入ると富士神社が見られる。駒込富士神社は、本郷村の名主が天正元年(1573)現在の東京大学の地に駿河の富士浅間社を勧請したことにはじまるという。寛永五年(1628)加賀前田家が、上屋敷をその地に賜るにあたり、浅間社を現在地に移したという。拝殿は富士山に見立てた山の上にあり、江戸期の富士信仰の拠点の一つとなった。6月末から7月はじめの山開きには夜店が出てにぎわいを見せるとされるているが、通常は社務所は無人の様である。

赤目不動・吉祥寺・天祖神社は御朱印を戴けたが、そんな訳で富士神社は戴くことができなかった。

本郷通りを真っ直ぐ行くとJRの駒込駅に出る。そこまで歩いて家に帰ったが、総歩行数13,074歩となった。しかし、江戸時代の人は電車もバスも無い中をよく歩いたと感心するが、最近躰が鈍っているせいか、歩行数が一万歩を超え始めると、足が縺れる様な気がするのは単なる気分の問題ではない様である。そんな気分がした時に歩数計をみると、大体が一万歩を超えた当たりである。

(2009.5.6.)

『開発段階のアルツハイマー病治療薬』

木曜日, 6月 11th, 2009

KW:薬名検索・アルツハイマー病治療薬・T-817MA・LY450139・SMSN-001・KMI-1027・KMI-1036・CTS-21166

Q:開発段階のアルツハイマー病治療薬について

A:調査可能範囲で、次の報告が見られる。

治験記号・薬品名(会社名)

開発段階

特記事項

CTS-21166

(アステラス製薬)

前臨床段階(国内)。

第I相臨床試験(米国)

本品は米・コメンティス社が開発したβ-セクレターゼ阻害作用を有する次世代アルツハイマー病治療薬である。本品はアルツハイマー病の原因蛋白質であるβ-アミロイドの病因説に基づいた治療薬として期待されている。Tg2576トランスジェニックマウスの試験で、300mg/kgの単回経口投与で脳内可溶型β-アミロイド40を23%低下させ、10-100mg/kg1日2回5日間の経口投与で大脳皮質内β-アミロイド42を15-20%低下させた等の報告が見られる。

E-2020(エーザイ)▼donepezil hydrochloride▼(ドネペジル塩酸塩)▼

製造承認申請中

新剤形として経口用ゼリー剤の追加。本剤はエーザイが創薬したacetylcholine esterase阻害剤。神経伝達物質である脳内acetylcholine濃度を高める作用を持つ。高齢者等の服薬困難者を対象にした剤形の追加。

KMI-1027/KMI-1036

(京都薬科大学)

京都薬科大学21世紀COEプログラムの木曽教授らが創製したアルツハイマー病治療剤である。beta-amyloid(Aβ)を産生する酵素の一つであるBACE1に着目した遷移状態アナログをリード化合物に用いて設計した非ペプチド性BACE1阻害剤である。本品はいずれも2μMでBACE1を96%阻害し、IC50値はそれぞれ50、96nMであったと報告されている。

LY450139

(米・イーライリリー)

第III相国際共同臨床試験(米国等)

本品は蛋白質を切断し、より短い凝集性蛋白質のbeta-amyloid(Aβ)を作り出す酵素γ-secretaseを阻害する。γ-secretaseを阻害することによりAβの産生を抑制し、脳細胞の破壊を遅らせる可能性があると報告されている。本品はin vitro、in vivoのいずれにおいても一定濃度以上でAβを低下させ、低濃度では上昇させた。剤型:経口。

PBT2

本品のランダム化比較試験を行った結果、同薬により遂行能力の指標のうち2項目が改善し、β-アミロイド蛋白の脊髄液濃度を低下させることができた[Lars Lannfel・et al;Lancet Neurology(2008;7:779-786)]に発表した。本品はβ-アミロイドと亜鉛イオン・銅イオンとの相互作用を妨げることで、作用を発揮する[Medical Tribune,41(42):3(2008)]。

PF-4360365

(米・ファイザー)

RN-1219・RI-1219

第I相臨床試験段階

アミロイドβ-ペプチドを標的としたアルツハイマー病ヒト化モノクロナール抗体。本抗体は、ファイザー社が開発したアミロイドβ-40(Aβ)を標的とするヒト化モノクロナール抗体であり、日本でもファイザー社がアルツハイマー型認知症を対象に臨床試験を進めている。剤形:静注剤。現在国内において軽度-中等度アルツハイマー病患者に対する第I相試験が行われている。

SMSN-001

(東京理科大- 理論創薬研究所)

本品はアルツハイマー病の原因物質beta-amyloid(Aβ)を産生する酵素の一つであるBACE1を阻害することによって、Aβの産生を抑制しアルツハイマー病を治療することを目的とする。本品はin silico空分子設計手法によりBACE1低分子阻害剤のリード化合物を探索した結果、導出された。

SUN Y-7017(第一三共)▼memantine hydrochloride▼(メマンチン塩酸塩)

第III相臨床試験

独・メルツ社が開発したグルタミン酸受容体の一つであるNMDA受容体への拮抗作用を示す、新しいカテゴリーのアルツハイマー型痴呆治療薬であり、これまで上市された治療薬にはなかった高度アルツハイマー型痴呆の治療薬として大きな期待がもたれている。経口剤。錠剤。神経伝達物質acetylcholineの分解酵素を阻害するdonepezil とは作用機序が異なり、小規模オープン試験で両薬の併用による上乗せ効果が示唆されていたとする報告が見られる。

T-817MA(富山化学)

第II相臨床試験準備中(米国)

富山化学が開発した神経保護作用を有するbenzothiophen誘導体である。アルツハイマー型認知症の発症・進展にbeta-amyloid(Aβ)peptideの蓄積による神経毒性が関与するが、本品はin vitro、in vivoにおいてAβによる神経細胞死を抑制し、記憶障害を回復させたと報告されている。剤型:経口。

1)New Current,19;11,2008.5.10.

2)New Current,19;10,2008.5.1.

3)New Current,19;18,2008.10.

4)New Current,19;22,2008.10.

[011.1.ALZ:2009.2.10.古泉秀夫]

『エビクサについて』

日曜日, 6月 7th, 2009

KW:薬名検索・メマンチン・memantin・エビクサ・ebixa・ナメンダ・namenda

Q:エビクサとは何の薬ですか

A:エビクサ(Ebixa)[H.Lundbeck A/S Made in Germany]は、1錠中にmemantin hydrochloride 10mgを含有する製剤が市販されている。

メマンチン塩酸塩は、中等度・重度アルツハイマー認知症の治療薬としてEU及び米国で承認され、臨床使用されているが、我が国では、2008年現在臨床試験中であると報告されている。memantinはメルツ社(独・Merz Pharmaceuticals GmbH)が開発。米国ではForest Laboratories社からナメンダ(Namenda)の商品名で発売されている。

薬理:NMDA(N-methyl-D-aspartate)antagonist。既存のacetylcholine esterase阻害剤とは異なり、記憶や学習などに関係する脳内神経伝達物質グルタミン酸受容体の一つであるNMDA受容体への拮抗作用を有する。神経細胞保護作用による認知症症状の進行抑制が期待される。米食品医薬品局(FDA)は中度から重度のアルツハイマー病の進行を遅らせることを期待できる治療薬として承認した。

これまで軽度から中度の症状に対する薬はあったが、重度の患者向けの薬の認可は初めて。

痴呆症状を引き起こすアルツハイマー病は、脳内神経伝達物質のグルタミン酸の過剰が原因のひとつと考えられており、FDAなどによると、memantinはグルタミン酸の働きを阻害し、神経細胞を保護するという。

米国で実施された重度のアルツハイマー病患者650人を対象にした臨床試験では、記憶の減退や判断能力の低下を遅らせる効果が確認された。患者の6-7%に、めまいや頭痛などの副作用が報告されている。

1989年独逸において認知症治療薬として発売。2002年6月EUで承認、2002年に独・メルツ社が発売。日本では1997年末、サントリー(現アスビオファーマ)が日本での販売権を獲得、2002年架橋治験を開始。国内第II相臨床試験に海外第III相臨床試験を利用した架橋による申請を2004年に予定していたが厚生労働省との協議で、国内大規模第III相臨床試験が必要となり新たに実施されている。

1)New Current28-治験薬一覧-,19:29(2008.12.20)

[011.1.MEM:2009.2.15.古泉秀夫]

『nitazoxanideについて』

日曜日, 6月 7th, 2009

KW:薬名検索・nitazoxanide・ニタゾキサニド・Alinia・クリプトスポリジウム症・駆虫剤

Q:nitazoxanideについて

A:ニタゾキサニド [Nitazoxanide・商品名Alinia(Romark社)]。経口液剤・錠剤。

『本品はニトロチアゾールベンザミド(nitrothiazolebenzamid)系薬であるが、構造的にはmetronidazoleに類似する。esterasesによって活性型のチゾキサニドとなり、これがピルビン酸:フェレドキシン酸化還元酵素で活性化され、代謝系における電子伝達を阻害する。クリプトスポリジウム症の薬剤として期待されているが、ランブル鞭毛虫、赤痢アメーバ、回虫、鞭虫、肝蛭などにも効果があるとされる。熱帯病治療研究班(略称)では経口(懸濁液)を導入しているが、11歳を超える小児、成人、HIV感染者を含む免疫不全者における安全性と有効性は確立されていない』とする報告が見られる。

[適応]研究班では、後天性免疫不全症候群(AIDS)などの免疫不全者におけるクリプトスポリジウム症のみを対象としている。

[用法・用量]1-2g/日 分2  14日間の投与を基本とする。

[治療効果]メキシコでAIDS患者を対象としてランダム化二重盲検プラセボ対照試験が行われ、約4週間の観察期間につき、上記の1 g/日が63%、2 g/日が67%の寄生虫学的治癒率を示し、また下痢の消失をもたらした[1]。

[副作用]腹痛、下痢、嘔吐、頭痛などが記載されているが、薬剤との因果関係は不明である。

[小児への投与]元来、途上国の免疫健常な小児で治験が行われてきたが、免疫不全の小児を対象としたデータはみられない。免疫健常な小児では、1-3歳が200 mg/日・分2、3日間、4-11歳が400 mg/日・分2、3日間。

[妊婦への投与]安全性は確立されていない。

その他

ロタウイルス性下痢で入院した小児患者に、チアゾライド系の抗感染症薬であるニタゾキサニドを投与し、効果を調べる小規模な無作為割付試験を実施した米国の研究で、投与開始から症状消失までに要する時間は、ニタゾキサニド群で31時間だったのに対し、偽薬群では75時間となり、明確な差が見られた。米Romark Laboratories社Romark 医学研究所のJean-Franccedilois Rossignol氏らの研究で、詳細はLancet誌2006年7月8日号に掲載された。

寄生虫病の一種である住血吸虫症の治療薬ニタゾキサニドが、C型肝炎にも効くことが、エジプトでの臨床試験でわかった。エジプトでは住血吸虫とC型肝炎ウイルス両方に感染する患者が多く、住血吸虫症の治療薬がC型肝炎にも効くと言われてきたが、米バイオテクノロジー企業「Romark医学研究所」の試験で裏づけられた。同社がイタリアで開かれた欧州肝臓学会で発表した。同社のJean-Franccedilois Rossignol氏らがエジプトのC型肝炎患者で試験した結果、標準治療を受けた40人のうち、C型肝炎ウイルスが消えたのは半数の20人だったが、標準治療にニタゾキサニドを加えた28人では約8割の22人になった。ニタゾキサニドがC型肝炎ウイルスに効く理由ははっきりしていない。

等の報告が紹介されている。

1)Rossignol, J.-F., Hidalgo, H., Feregrino, M., Higuera, F., Gomez, W.H., Romero, J.L., Padierna, J., Geyne, A., Ayers, M.S.: A double-‘blind’ placebocontrolled study of nitazoxanide in the treatment of cryptosporidial diarrhoea in AIDS patients in Mexico. Trans. R. Soc. Trop. Med. Hyg. 92:663-666, 1998

2)ヒューマンサイエンス振興財団政策創薬総合研究事業熱帯病治療薬研究班:,2009.4.3.

3)ロタウイルス性下痢;,2009.4.3.

[011.1.MIT:2009.4.3.古泉秀夫]