医療事故に関する私的考察[3]

                                                                  医薬品情報21
                                                                      古泉秀夫

6.日本消化器学会の報告から

 

日本消化器学会の医療事故対策委員会が損害保険会社の賠償金支払い例を分析した結果が報告されていた[読売新聞,第44737号,2000.10.26.]。

事故が起きた肝臓・胆嚢・膵臓の主な検査・治療[( )内は死亡者数]

 

?開腹手術 75(27)
?腹腔鏡による胆嚢摘出術 50(4)
?内視鏡による胆嚢・膵臓造影 34(10)
?肝臓の組織採集検査(肝生検) 12(3)
?全身麻酔 11(4)
?採血 10(0)
?点滴 9(4)
?胆管出口の切開術 8(3)
?腹部血管造影 7(3)

 

分析の結果、初歩的なミスが原因の圧倒的多数を占めることが明らかになった。内視鏡を入れた途端に食道や直腸などに穴を開けたり、手術の際に異物を腹部に置き忘れたりする注意や技術で防げる事故が殆どだった。同委員会では「一部の医師の技術の未熟は明らか。再教育も必要」とし、医師の技量、経験などで保険料に差を付ける“荒療治”も必要としている。
データの大半は1989?1997年の9年分で約500件。内視鏡による消化管の検査と治療では、保険金支払い例が198件。目的とする消化管に到達する前の単純なミスが多く、死亡例も目立った。
肝胆膵の検査と治療では、344件に保険金が支払われた。殆ど初歩的なミスで、手術の際のガーゼや管の置き忘れが29件と最も多く、採血で神経を傷つけた例(8件)や縫合ミスによる手術後の出血(6件)、肝細胞を採集する検査で他の臓器を傷つけた例(4件)などがあった。腹部から管を入れる腹腔鏡による胆嚢摘出もミスが多く、今回の調査で関連事故が50件にのぼったととしている。

調査の結果について初歩的なミスと切り捨てるのも結構であるが、研修医・レジデントの期間を通して教育・訓練した時代の教育担当医はどの様な教育をしてきたのか。その当たりから掘り下げなければ、本当の意味での見直しにならないのではないか。単に『医師の技量、経験などで保険料に差を付ける“荒療治”も必要』等という簡単な結論では片付かないものが、医療教育の根元にあるのではないか。

7.個別的事項(続続)

 

 

報道時期 事故の概要 事故内容の問題点

1999年11月

薬剤調製ミス

大阪吹田市の国立循環器病センターで、心臓手術を受けた女児が、臨床工学技士が心筋保護液を混ぜていない蒸留水を使用したことにより死亡[読売新聞,2000.3.8.]

[1]臨床工学技士は、あくまで薬については専門外であり、製剤室業務を行うための薬剤師が配置されているのであれば、院内製剤として調製し、払い出すべきである。それを実施していなかったというところに最大の問題点があるといえる。

[2]継続中の作業の終了までは、決して作業を中断してはならないと言うのが、医療現場における過誤防止の鉄則である。これは病院薬剤師としての経験に基づく鉄則であり、マニュアルにも明記されているはずである。

[3]医師は身近にいる人間に安直に仕事の依頼をする傾向があるが、それぞれの専門性を評価し、薬の調製は全て薬剤部に依頼するの原則を遵守すべきである。

1999年11月 東京都中央区の聖路加国際病院で、昨年11月、親子二人が相次ぎ浴室で一酸化炭素中毒死した事故で、最初に亡くなった父親を治療した際の血液検査をした時、血中の一酸化炭素濃度が41.7%と、一酸化炭素中毒を疑わせる数値がでていたにも係わらず、これを見落とし、家族らに伝えていなかったことが2000年6月6日に分かった。事故は風呂釜の工事ミスで発生し、翌日長男が同じ風呂に入り一酸化炭素中毒で死亡した。父親の中毒の疑いが知らされていれば、長男の事故は防げた可能性もあるが、病院側は「父親の蘇生措置の時点で、中毒死を推測するのは困難だった」としている。病院側は、心停止状態で救急搬送された患者を既往の狭心症であると判断[読売新聞,2000年6月6日]。

予断を持って物事を見れば、結論は自ずから決まる。あるべき事実を事実として認識し、総合的に判断するのが科学だとすれば、データの一部に疑問を持たなかったというのは、明らかに失敗だったといえる。

報道の内容からだけでは、何故このような結果が生じたのかの背景は不明である。しかし、少なくとも治療に関係した医師のうちの誰か一人でもデータに疑念を持てば、結果は変わっていたのではないか。データを見ながらデータを読み切れないのでは、技術力低下をいわれても仕方がない。

あるいは専門分化し過ぎた現在の医療のありようが、化学物質の中毒を疑わせるデータを見逃させたとしたら日本の医療のあり方を変えない限りこのような事故が続くということである。

1999年12月 東京都豊島区の癌研究会附属病院で抗癌剤過剰投与による患者死亡事故が発生。主治医が誤って行った標準の3倍もの投薬指示に、薬剤部や当直医が何の疑問も抱かず、3日間にわたり副作用の強い抗癌剤が投与された結果だった。担当医が死因は投薬ミスと認めながら家族には死亡後3カ月も事実が伏せられ、警察への届出は未だにない。1999年12月16日、男性の注射や検査内容を書き込む3日分の「指示票」に抗癌剤などの薬品の投与日や回数を記入した際、本来1回投与したら3週間以上投与を避けるべき抗癌剤を3日続けて投与するよう丸印を付けてしまった。シスプラチンに付けるべきではない丸印を行を間違えて付けた結果[読売新聞,2000.4.27.]

総合病院における入院患者の基本は、日々容態の変化する急性期の患者である。従って退院間近の患者以外、治療は日々変化するのが当たり前のはずである。そのような医療機関で、頻繁に変更されるはずの注射薬が3日分の「指示票」で処理されていることに疑念を持つのである。必要とする注射薬は「注射処方せん」に記載し、薬局で1日分ずつ調剤するの原則さえ確立されていれば、行を間違えて丸印を付けるなどということはあり得ないことである。

通常、医師が指示簿に注射薬を記載し、注射伝票に看護婦が転記、薬剤師が払い出すという仕組みが多いはずであるが、注射薬も「処方せん」に医師自らが記載し、1日分ずつ調剤して出す方策を確立すべきであり、その結果、注射薬に関係する多くの事故の一部は防止できるはずである。

2000年1月
抗癌剤8倍量投与

大阪市天王寺区大阪赤十字病院で前立腺の末期癌で1999年12月22日入院した男性患者(63歳)が通常量の8倍の抗癌剤を投与され、副作用のため17日後に死亡していた。処方した研修医が別の薬剤の投与量と勘違いしたミス。
本来は10mgの投与量である抗癌剤を、別の薬と間違え80mg投与の指示を出した。看護婦が糖液に溶解して別の医師が男性に点滴。男性は副作用で白血球が減少して敗血症になり、2000年1月13日多臓器不全のため死亡した。[読売新聞,2000.3.10]。

注射薬の管理が、どうなっているのか記事内容だけでは理解できないが、注射薬の管理という面からいえば、病棟には余分な注射薬を置かないというのが基本原則である。従前は『箱渡し』ということで、病棟に箱ごと払出して、任意に使用するという方策が採られていたが、これは注射薬の誤用という面でも、薬品管理という面でも最悪の方法といわなければならない。次にセット制が導入され、各病棟毎の必要量を定め、必要最低量をセットにして2組のセットを定期的に交換する方法が導入されたが、まだ、定数量が多い、注射薬を取り出すのが看護婦・医師等特定できないという弱点がある。

セット制の欠陥を改善するために導入されたのが、処方せんに基づく個人渡し制(注射薬調剤)とセット制の併用である。この方式であれば、セットに入れる薬の数は最低限の臨時使用分ということであり、薬剤師が責任を持って調剤した注射薬が払い出されるため、注射薬の取扱に関する事故は限りなく減少するはずである。

2000年1月

松江市の国立療養所松江病院に入院中の少女が、人工呼吸器のスイッチを入れ忘れて死亡[読売新聞,2000.3.8.]

全医労国立松江病院支部の調査によると、11種50台以上の人工呼吸器を保有しているとされている。更に『多様な患児に対応するため機種が多種多様で、全機種の操作に精通することは困難』との意見を述べているが、機種の多様性は、患児の多様性だけの問題なのかどうか。国立療養所の宿命として医師が定着しない。補充のため派遣されてくる医師の出身大学が同じなら問題ないが、もし出身大学が異なっていれば、その都度使用機器の変更が求められる。『曰く、使用経験のない機械は使用できない』。手術用メス1本にまで従前使用していたものに固執する医師の性格からすると、機械ではなおさらそういう要求がでてくる可能性が予測される。

*医療内容の高度化に伴い、使用する医療機器も高度・複雑化しているのが現状であり、それらの機器を医師・看護婦で保守点検・操作することは困難である。医療機器の保守管理・操作を行う専門家(臨床工学士)を導入することが必要である。

2000年1月 沖縄県宜野湾市の国立療養所沖縄病院で、昨年7月に人工呼吸器の管が外れたALS患者が半年後の今年1月に死亡していたことを明らかにした[読売新聞,2000.4.30] 同上

1床当たりの職員数比較
先進国:2.14人
日 本:0.95人
[朝日新聞,2000.9.2.]

2000年2月

島根県伯太町が2月小学校6年生を対象に実施した予防接種で、3校の計46人に対して適量(0.1mL)の5倍のワクチンを接種していた。幼児対象の別の予防接種と量を勘違いしたミスで、接種したワクチンはジフテリア破傷風混合ワクチン。5?6人に接種部分が腫れるなどの症状がでた[読売新聞,2000.3.16.]

明らかなうっかりミスである。医療のあらゆる場面において二重・三重のチェックをするのは常識である。しかし、忙しいとか、仕事に対する慣れとかが、この基本を忘れさせる。
2000年3月 東京都文京区「有馬記念医学財団・富坂診療所」茨城県土浦市内の事業所の巡回検診で胃の検査に使用するバリウム液を使用する際、誤って消毒用エタノールを混ぜ、これを服用した受診者54人中21人が酒に酔ったような症状を訴えた。症状は顔の火照りや動悸、ふらつき等。バリウムに混入したアルコール濃度は12%で、日本酒約80mLを一気に飲んだ場合に相当。[読売新聞,2000.3.10]

ラベルの確認という基本を忠実に実行していれば、起こり得ない間違いであり、ワクチンの投与量を間違えた前出の事故と同根のものである。
専門職能のとしての誇りにかけて一般人が起こすような失敗を起こさないという自負は、何処かに置き忘れてしまったとしか思えない。

 

事故を防止するための作業手順は、各施設毎にマニュアル化されているはずである。しかし、マニュアルは時間とともに風化する。決定されたときの事故に対する反省と忸怩たる思いは、伝え続けることは難しい。その事故の内容が、単純であればあるほど、『そんなことを私は起こさない』という自惚れが先に立つのと同時に、面倒な手順は省きたいという怠惰な思いが忍び込むのである。

 

[2008.1.12.一部修正]