遵法の意味を考えるべきではないのか?

魍魎亭主人

 

「お前は無闇に酒が強い。酒を呑んでも私は酔ってないと称して車を運転するタイプだ。免許を取らなければ車の運転はしないで済む。免許は取るな………」

「しかし、仕事で車が必要なときもあるんじゃないですか。そんなとき困るでしょう。」

「東京で仕事をする限り車はいらんよ。車に乗りたければ、運転手を雇って乗れるようになるんだな。」

「ははー、なるほど………」

何でこんな話になったのか前後の話は忘れたが、大学の部の顧問の教授と呑んでいるときに、突然、教授が言い出した。その後、どういう訳かその時の忠告を守って車の免許は取らずに過ごしてきたが、確かにおっしゃられる通り、東京で仕事をする上では、特段の不足はなかった。

免許がないため、車を持てないということからすれば、酔っぱらい運転はやりようがない。呑み過ぎるとタクシーでのご帰還となるので、高く付くのだけが、若干不満であったが、そういう気持になること自体、免許があれば車を運転していたという事になるのかも知れない。

ところで車の免許を取るということは、道交法を順守して、車を転がすということではないのか。飲酒運転をした役人の厳罰化に対して、兵庫県の井戸敏三知事は2006年9月26日の定例記者会見で、職員の飲酒運転を厳罰化する自治体が相次いでいることについて「飲酒運転をしたから直ちに免職というのは、行き過ぎているのではないか」と述べ、疑問を示した。

飲酒運転以外の処分案件と比較した場合に「懲戒処分としてのバランスをあまりにも欠き過ぎている」ということのようである。同県は今月12日、職員が飲酒運転で事故を起こした場合の懲戒処分の基準を明文化。

▽死亡事故=免職

▽重傷事故=免職?停職

▽軽傷、物損事故=免職?減給

等の4段階と定めた。

その他、静岡県の石川嘉延知事も、25日の定例会見で「(飲酒運転した職員を)オートマチックに免職とするのはいかがなものか」等と発言したとの報道が見られた。

知事は飲酒運転の公務員の免職処分について「日本の雇用慣行からすると、免職はその人の職業生活上、死刑判決に等しい」と述べ、画一的な厳罰化の動きに疑問を示した。知事は「刑法の場合でも、犯した罪の状態と結果に相応の罰則をするのが鉄則。例えば酒気帯びで検問に引っ掛かった場合にオートマチックに適用するのはいかがなものか。[共同通信,2006.9.25.]。

くどいようではありますが、車の免許書を持っているということは、法令を遵守して車を転がすということである。更に役人は、国民の公僕であり、率先して国民の範とならなければならない立場にある。その諸君が、飲酒運転をすること自体言語道断といわざるを得ず、あの自動車というやつ、凶器であるということを忘れているのではないか。車が人に激突すれば、明らかに生身の人間は助からない。

知事達の論を展開すれば、田舎では公的交通手段が少ない。因って飲み屋に寄れば簡単に家に帰れない。足がないから仕方なしに車に乗って帰るので、大目に見るべきだということになる。酒を飲まなくとも死にはしない。公僕である限り、法令の遵守は義務である。処分が厳しくなるのは仕方がない。

(2006.10.18.)