『逃 散』

                                                                        鬼城竜生 

医療の崩壊は、社会的混乱を招き、国民を困難の極地に追い込む。厚生労働省は、医療労働者の実態を見ることなく、医療職種の員数問題に嘴を挟んできたが、なかでも医師の員数については、厳重な調整管理を続けてきた。その結果、地方の病院での医師不足は深刻になり、地方都市から大都市へと、浸食の範囲を拡大しつつある。

厚生労働省は、一方で開業医を地方の医療の下支えに期待しているようであるが、開業医には高齢化の波が押し寄せており、期待したとおりの医療の確保が出来るのかどうか、甚だしく疑問である。

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ところで小松秀樹氏はその著書「医療崩壊」中で、疲弊した病院から医師が離れていく現状を「立ち去り型サボタージュ」と命名しているとされる。

今、間違いなく、地方の病院から医師がいなくなっている。頻繁な当直業務と、当直中の日勤業務の延長ともとれる過酷な勤務。更に引き続く日勤業務と、終わりの見えない業務に消耗し、退職する。そこには医の倫理などという高邁な理念などでは御し得ないほどに、展望の見えない勤務の連続が見られるのである。

退職する医師が出れば、仕事の全ては残った医師の肩に掛かってくる。更に自院だけではなく、他院の医師の退職による医療空白の穴埋めを期待して、地域の患者が集中する。その結果、待っているのは医師の加重労働ということであり、耐えきれなくなった医師は、退職するという結果を招く。

診療科の廃止や病棟の閉鎖が始まり、連動する診療収入の減少は、ついには病院の廃院という自体にまで追い込まれる事になる。ただし、これは地方に限ったことではなく、ついに東京においても同じ様なことが起こり始めている。

厚生労働省は医師は偏在しており、全体として医師は不足していないというが、都会でも医師不足を理由とした廃院が起こっているとすれば、一体何処に偏在しているのであろうか。最も最近になって、厚生労働省も実態として医師不足は認めざるを得ない状況になってきているが、長年医師数の抑制を図ってきた付けは大きい。緊急避難的に大病院から医師を派遣する方式の導入を厚生労働省は企図したが、どういう派遣方式をとるのか、戻っていた時にポストは残っているのか等、種々解決しなければならない問題が存在し、そう簡単にはいかない。

行政職一の事務系の職員は頻繁に転勤があるため、派遣などという方策を思いつくのであろうが、技術屋はそう簡単にいかない。特に医師は、長期であれ短期であれ、派遣されることを嫌う。一つの組織の中で、それぞれ根を張っており、一度抜けると元に戻ることは困難と考えるようである。何れにしろ医師の定数増を計らなければならないが、相当の時間を要する作業になる。

しかし、医師の病院からの撤退を「立ち去り型サボタージュ」というのはやや格好がよすぎるのではないか。医師が病院から撤退するということは、医療機関としての存立に係わる話であり、地方においては地域住民の居住権を侵しかねない話なのである。言ってみれば大名の悪政に呆れて、住民が逃げ出すと同じ様なことで、地域住民の側から見れば、『逃散』以外の何ものでもない。

1)小松秀樹・井部俊子:対談「医療崩壊から医療再生へ」;週間医学界新聞,第2728号,2007.4.16.

                                                                  (2007.11.11.)